2015年8月16日日曜日

ある朝、塾長が思ったこと…2


明日から、夏期講習会が再開します。
来春に高校受験を迎える中3生たちは、不安だから学習を続けようとしている子たちと、不安だから何も手を付けられない生徒たちの二つに別れてしまっている…。その二通りの子供たちをどのように導くか? それが僕に課せられた大きなテーマなのだと思います。
そのあまりに難解にも思えるこの課題は、たぶん僕にとってのテストなのだと思います。
人生って、うまく行きそうになると、神様がいたずらをしでかす。それを忍耐だとかと経験とかで何とか突破したとして…目標の達成が見え出すと、さらに神様はもっと本気になっていたずらをしでかす。そんなときは、真っ正直になることしか僕たち凡人にはする手立てが残されていないのだと思います。高校受験は、子供たちにとってそれを知る最良の機会なのではないでしょうか。
保護者の皆様に是非お願いしたいことは、お子様が神様からいたずらをされたときに、真っ正直になって一歩一歩進むしか方法がないということを、保護者の皆様の経験を踏まえて教えていただきたいと思います。我が子を正しい道に導くことは、保護者と呼ばれる人にしかできないことだと思いますから。
そんなことを初盆で訪れた長崎で考えながらブログを書きました。
やっぱり我が子を正しい道に導くことは保護者しかできない大仕事なのだと思います。でもそれがコントロールしにくい社会になってしまっているのではないか。それが子供たちに悪い影響を与えている。そんな思いが僕の心の中に渦巻いていて…書かせていただきました。


読売新聞の8月3日付に、「小4の1割おじさん化」という話題があった。

小学4年生を対象に、香川県が昨年行った血液検査で、肝機能、脂質、血糖値の異常値を示した子どもの割合が、それぞれ1割に上ることが分かった。

おとなが聞けば、どんな人でも耳を疑うような話題である。
紙面によると、小学校の学校検診で血液検査を行う市町村は少ないらしい。ほとんどの自治体が身長・体重・座高・視力に尿検査等に終始している現状であるが、香川県では昨年度全県的(17市町村のうちの16市町村)に血液検査を実施したらしい。それによると、肝機能(ALTなど3項目)では男子12.4%と女子9.5%が異常値、総コレストロールや中性脂肪では男子10.5%と女子11.5%、高血糖状態が続いているかの指数のHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)では男子12%と女子10.9%が異常値を示したという。いったいいま、子供たちはどうなっているのだろうか?
高松市の養護教諭たちは、「肉を減らし野菜を多く」「お菓子やジュースを減らす」「休日は家族で運動を」などの生活指導を行っているというが、それが根本の問題解決にはつながらないと思う。家庭の中での子どもの立ち位置というか、保護者と子どもの関係がどこか違う方向に向かってしまっていると思えてならない。

その他にも気になることはある。
最近塾に来てくれている小学校低学年の生徒たちに変化が出てきている。もちろん全ての生徒に当てはまるわけではないし、シローズに通ってくれている小学生はそんなに何人もいるわけではないのではあるが、明らかに今までにいなかったタイプの子供たちが出てきているように思う。
彼らを一言で言えば、幼いという言葉が当てはまると思う。そして講師たちに甘えることを過度に求めているように感じる。
それが何に起因しているのかは分からないが、明らかに小学校低学年の子供たちを取り囲む環境に変化が現れているように思えてならない。

仕事の関係で中国に住み、今年から子供を現地の幼稚園に通わせているという遠縁から聞いた話なのであるが、いま中国の幼稚園では子供たちを泣かせないための対応に追われているらしい。一人っ子政策の影響で、保護者が我が子が泣くということに非常に神経質になっているのが原因であるらしい。
ただ日本の幼稚園で仕事する私にとってこの事実は、ものすごく異常に思える。
子供が泣かないということは、すべて子供の願いや要求を受け入れることにつながるのではないか。子供たちは自分の思いが叶わないということによって、社会性を身につけていく。人間性の基礎を身につける時期に、「叶う」という状況に慣れてしまった子供たち、言い換えれば「叶わない」という状況の中で考えるという作業を放棄しまった子供たちが、成長したときに何が起こるのかを考えると、そしてそれが集団の常識になってしまったときに起こるものに対して、私は恐怖を感じる。これこそ緩やかな虐待ではないか…とすら思えてくる。

これはもうかなり前から感じていることなのであるが、私立学校と公立学校の一番の違いというのは、教職員の目が保護者に向いているか? 通ってきている生徒に向いているか? の違いではないだろうか。
私立学校に通う元生徒と話すたびに感じるのは、明らかにその保護者の話とのギャップを感じることが多い。というか、ほとんどギャップがあると言って良いようにさえ思える。
私立高校では保護者にとって良い高校が、生徒である子供たちにとっては決して良くない学校になっている。そして公立高校では生徒たちにとって良い学校が、保護者にとってはそれほど良くない学校になっている。
なぜそれが起きているかといえば、いま私立高校は保護者の満足度を得るための方法をマニュアル化しているのではないかと思える節がある。それに対して公立高校は保護者の満足度よりも圧倒的に生徒たちにいまするべきことを追い求めているように思える。だからまだ教育が残っている割合が高いと言えるかもしれない。
もしかすると私立高校ばかりではないのかもしれない。教育が営利目的の商売に成り下がるとき、その方向は保護者の満足度の方にどうしてもベクトルは向かわざるを得なくなる。教育従事者たちはそれを偽であると感じたとしても、大きな目的のためには真として受け止める必要が出てきてしまう。保護者はこの仕組みにこそ、騙されてはならないのではないか。