2016年2月19日金曜日

安行中 my Love 「思考力の壁」

いま小学校の授業で、地域の格差が進んでいるのではないだろうか。
それを感じたのは、シローズで行われている日々の授業のことである。一般的な塾のテキストを難しいと言い出す小学生が増えてきている。たぶん小学校の授業が、上辺に近い内容に終始しているのではないか? そんな思いをすることが多くなった。
先日の冬期講習会でも同様のことがあった。標準的な算数の講習テキストを解くある生徒が5問に1度くらいの割合で「分からない」という言葉を口にしていた。彼は小学校の算数のテストでほぼ100点を取っている。その彼にしても、解けない問題が5問に1問あるというのはどういうことか? やはりこの地域の小学校授業のレベルが、下がっているということではないだろうか…。

10年ほど前、私はこうした状況を単なる学力の低下だと考えていた。しかしどうも違うようだ。いくら塾に来てくれている生徒たちの学力を上げようと、講師たちのレベルを上げても、クラス編成に知恵を絞っても、シローズの高校受験実績は以前の状況には戻らない。10年前、偏差値5859である越谷南高校や浦和南高校に合格させるというハードルが、いまでは明らかに偏差値53の川口高校になってしまっている。ということは、学力が低下している以上に地域格差が広がっているという見方は出来ないだろうか?
安行地区・新郷地区のように伝統的に学力レベルの低いと言われている地域の子どもたちの不幸は、実は上の地域格差だけではない。さらにいま、起き、そして今後起きようとしていることがある。
学力レベルの低下は、思考力や判断力の低下にもつながる。とくに小学生時の思考力の低下は、中学生になったときの学力吸収の低下を招くことになる。

平成24年度まで埼玉県の公立入試問題は難易度を上げ、年々平均点の低下を招いていた。平均点の低下は、入試合格点の低下を招く。例えばこの年の浦和高校の合格最低点は400点を切っていたのではないかと思われる。
私はこの年に浦和高校を受験しようと頑張っていた塾生に、「1教科84点でいい…」との言葉を口にしていた。1教科84点ということは、解けない問題が2問から3問あっても合格することにつながる。たぶん2問から3問は落としていいという状況は、受験する生徒の気持ちをかなり楽にすると思う。私はその言葉で、彼を送り出した。
ところが翌年の25年の現高校3年生の受験から、一気に40点近く平均点が上がった。そしてそれが現在まで続いている。したがって、いま浦和高校は420点では合格しないと思う。440点から450点取らないと、合格できない高校になってしまった。1教科にすると100点満点中で90点平均である。いまの入試問題で90点平均を取るということは、全教科でほぼ100点を取ることを目標とする必要がある。これはかなりの至難の技に違いない。これ以降、シローズの塾生で浦和高校を受験した生徒はいない。
たぶんいま安行地区・新郷地区の中学校に通う生徒で、浦和高校に合格できる生徒というのは、かなり高いIQを持つ生徒に限られているはずである。

ただ他の地域ではどうなのだろうか?
浦和高校と浦和一女の合格者が、毎年2桁という中学があるという。県内ではさいたま市や志木市、所沢市といった限られた地域ではあるとは思うが、その地域の中学校がとくに高いIQを持った生徒を抱えているとは思えない。何が地域によって差が出ているのかといえば、それが小学校からの学校授業の違いなのではないかと思うのである。
安行地区や新郷地区に限らず、その近辺の小学校の学校公開を見させていただいて思うのは、授業が先生から生徒への一方通行になっているとの思いである。先生たちが、黙って机に向かう子どもたちに説明を繰り返す。説明の内容が分かっているかどうかの確認はもちろん繰り返してはいるが、日々行われるそうした授業の中で、子どもたちは頭をフルに動かす状況までには至っていない。
フルに動かすという言葉を使ったが、果たして頭を使っている生徒がいるのかどうか…、それ自体も不安に思うような授業が繰り返されている。
宿題にしてもそう。頭を使うというよりも、机に向かうトレーニングを繰り返しているに過ぎないのではないか? そんな授業は知識を増やすことができても、考える力や解く力までを養成することなど不可能なのではないか。そんな思いを私は持っている。

小学校の先生方も、きっとこの辺の問題点には気づいているはずである。気づきながら、どうすることもできない状態なのではないか。
実際聞いたわけではないが、小学校に限らず、先生方は保護者の皆さんからの「授業が分からない…」という言葉に怯えているように思う。1クラスに40人近い生徒がいて、学力は当然様々である。その中で考える力や解く力を高めようとする授業をするにはあまりにリスクが高すぎる。何のリスクかといえば、保護者から、「子どもが、授業が分からないと言っている」という言葉が出ることを恐れているのではないだろうか? そうすると、一方通行の授業というクラスの生徒たちに負担をかけない授業をする道だけしか、道が残されていないという事情があるのではないか…。

小学生や中学生たちに勉強を教えていて感じるのは、成績を上げようと…、あるいはそのために考える力や解く力を高めようと、授業中に生徒に考えさせようとする。
解けないという問題で少しずつヒントを与えながら、敢えて考えさせようとする。そうすると、たとえ5年生・6年生の生徒であっても、たいていは「分からない」という言葉を口にして、助けを求めようとする。
それでも放っておいたとすれば、遅かれ早かれ、保護者からの問い合わせを受けることになるだろう。
なぜそんなことが起こるのか? 安行地区・新郷地区の小学校の授業が、考えることとは無縁の…説明をただ受ける形になってしまっているからだと思う。
でも他の地域の小学校授業は、これとは違うはずである。学力別に指導を行う塾のようにはいかないだろうが、子どもたちに考えさせる授業を小学校で行っているはずである。だから思考力を徐々に上げていくことができるのだと思う。
そうでなければ、浦和高校と浦和一女の合格者が2桁…などという状況が起きるわけがない。たぶんこの小学校授業の違いが、地域の学力格差を生んでいるのではないだろうか? 小学校授業の違いは、中学校授業の違いを生む。そして高校進学先の違いを生んでいるのだろう。

現中学2年生の受験から、公立高校入試が変わる。
大きな変更点は、英語・数学の入試問題が2種類になること。3月末に発表されるが、おそらく川口北以上の上位校では難易度の高い選択問題が、それ以下の高校では簡単な共通問題が出されると言われている。
ここで問題なのは、安行地区・新郷地区にある中学の生徒が、その選択問題を解けるのかということである。解けないと思う。解ける生徒は当然出るだろうが、きっと川口北以上の高校に合格する生徒は、いまよりも少なくなるはずである。浦和高校が安行地区・新郷地区にある中学の生徒にとって、25年度入試以降により入りづらくなったように、おそらく川口北も29年度以降入りづらい高校になるのであろう。

いまこの国の教育は、2020年の大学入試改革の方向に向かって進んでいる。小学校から始まる学習も単なる「知識の量の習得」から、「知識の使い方」の方向にシフトしていくことになる。
入試が「覚える」ことから「考える・行動する」ことへの方向転換。さらには詳細はまだ明らかではないが、センター試験が、「思考力・判断力・表現力」を問うテストに変わるという。現中学2年生の29年度埼玉県高校入試から選択問題が導入されることも、大学入試改革とは無関係ではないと思う。選択問題の導入の後には、自校問題の導入も予測される。安行地区・新郷地区と他の地域の間で学力の格差が広がる中で、時代は子どもたちに「考える」ことから始まる「思考力・判断力・表現力」の高さを要求している。そうした時代がもう始まっているのだ。私は安行地区・新郷地区の子どもたちが、時代に取り残されてしまうのではないかとの不安を持っている。