2017年9月30日土曜日

安行中 my Love「数学が上位校への受験の妨げになる」

この地域の中学生たちの高校受験において、川口北以上の高校の合格者が極端に少ないのには訳があるのではないか。何もこの地域の中学校の学力のレベルが低い…などという言い古された言葉を使いたいわけではない。
その原因がある教科の勉強方法にあると言ったら、どれだけの方が耳を傾けてくれる説得力を持つのだろうか? 自分でも不安であるし、実のところ、何度も書いてはボツにし、今回もボツにしようかと思いながらも書き進めたというのが正直なところだ。
ただ今回だけは、ボツにするわけにはいかないと思った。時期的に、そろそろ塾生たちの周りで、ある教科の学力の急下降が始まっているようである。そして、今年も志望校を下げてしまう生徒たちが続出する事になるのだろう。

この地域の高校受験で、上位の高校への合格者が少ないのは、たぶん数学という教科が原因なのだと思う。
たいていは、受験を控えた中39月以降、模擬試験での数学の偏差値が急降下する。70だった偏差値が60になる。65だったのが、50台後半まで下がる。そうした事が、この地域では頻繁に起きているようである。

わずか1教科とはいえ、偏差値の下降が尋常でないために、受験生である中学生たちの精神的なポテンシャルは大いに下がってくる。ひどく混乱しはじめて、他の教科でも踏ん張りが効かなくなる。そして、3教科・5教科の偏差値は崩れ出す…。
そんな我が子を間近で見ている保護者はというと、浦和市立も可能だったはずなのに…、蕨まで下げよう。いや川口北にしようか。ちょっと待って、同じ市内なら市立川口を受けさせよう…。そんな意識が駆け巡るのだと思う。
よく聞かれる、「蕨も安全圏が出ていたのだけれど、安全志向で市立川口にした」等の保護者の声には、この数学の落ち込みが見え隠れする。

数学の偏差値が大きく下がる原因は、その勉強の仕方にある。
数学、いやその前に小学校で算数を勉強している時から、ほとんどの児童たちが、解き方を教えてもらうことを、罪悪感のかけらもなく、同然の権利のように思っているのではないか。
本来、算数や数学という教科は、解き方を1から10まで教えるという教科ではないと思う。式を説明して、そこに児童・生徒たちが数字を当てはめて完成というやり方ではないのだ。
問題文を読んで、意味をしっかりと読み取って、式を自分で考えて、その式に数字を当てはめて、答えを出して完成なのだと思う。そしてそれができた時の喜びを求めて、子供達は問題と格闘していたのではないか。

そうした授業が、いま小学校や中学でできなくなってきている。特に学力レベルが低いこの地域では、なおさら難しくなっているのだろう。また小学校側としても、「分からない問題を教えてもらえない…」との保護者からのクレームを警戒している面があるのだと思う。だから、もう本来あるべき算数や数学の授業を期待することは難しいようだ。

そして何が起きているかといえば、小学生の時の算数よりもはるかに文章題が増えた数学の問題を中学生たちは、例題を見ながら解く。つまり類似する問題を気づかぬうちに探して、頭の中のパターン別に作られた箱にしまい込もうとしているのだと思う。
こうした数学の勉強方法が身についてしまった子供達のその後は、二つに分かれるのではないか。普通程度の知能指数の子は、数学が他の教科よりも苦手になる。そして知能指数が高い方の子は、ある時期までは得意教科になると思う。ただ得意教科である方の子も基本問題が得意なだけで、難易度が高い問題はたぶん解けないと思う。そして高校受験を意識しだした頃の中3の二学期以降、数学が得意科目から苦手科目に変わる。
いつ変わるのかといのは、おそらくその生徒の知能指数の高低によるところが大きいのだと思う。100人に1人程度の知能指数であれば、高校入試まで保つことも考えられるかもしれない。でもそうした生徒たちでも、高校入学後、数学は得意科目にはならないだろう。理系の大学への進学は難しいはずだ。

こうした状況が出来上がってしまった原因の一つは、塾業者たちの存在があると思う。
いま保護者たちの塾に対する評価は、もちろん入試結果だと思うが、それはどんな保護者にとっても、高校入学後に出す評価なのだと思う。もっぱらの評価は、中学の定期テストの結果なのではないだろうか。きっとこの結果は、我が子である生徒たちの実際の学力以上の得点を取らせる塾の指導力による評価なのだと思う。
その時に塾は何をするかといえば、定期テストに出やすい問題の説明と「暗記のすすめ」だと思う。
問題の演習はさておき、定期テスト必須の問題を暗記してもらうための説明にならざるを得ないのではないか。塾によっては、予想問題を作るところまであるだろう。予想問題も演習を目的としたものではなく、むしろどんな問題が定期テストで出されていて、それを頑張って暗記しましょう…の授業であるはずだ。

シローズはというと、特別なテスト対策の授業をいまはしていない。
ただ定期テストの2週間前から通常授業を止めて、講師たちが教室を回りながら、生徒たちの質問に答えるという対応はしている。
とはいえ、時にテスト対策の依頼がくる場合がある。その時に何をしているかといえば、やはり出題の可能性の高い問題の演習でなく、やはり解説の方である。
このやり方は、一度限りの定期テストでは意味を持つと思う。しかし模擬試験や入試には、あまり役立たないだろう。特に数学は、その傾向がかなり高いのだと思う。時々見かける塾の定期テスト対策には、実はそうした現実がある。

これを書いているのは、930日土曜日である。明日101日は、中3生たちの第5回北辰テストが行われる。この地域の中3生たちも、大挙して受けることと思う。その中には、これまでの北辰テストで65あるいは60以上の偏差値を取っていた生徒たちの数学の偏差値の落ち込みがあるのではないかと思う。
でも落ち込むことはないはずだ。まだまだ時間はある。

そんな時こそ両脚に力を込めて、しっかり前を向いて、焦るのではなく、数学の勉強の仕方を変えるべきだと思う。まだまだ10月なら、やり方次第で時間はある。

2017年5月27日土曜日

安行中 my Love「まだ間に合うかもしれない」

勉強って、たぶん頭を使って、それで答えを出すものだと思うのですが、この地域の小学校の授業が年々、子供達が頭を使わないで答えを出すものになってしまっているような気がします。

ではどうやって、子供達は答えを出しているかというと、自分では頭を巡らせているのではなくて、先生たちが答えの直前までの説明をしてしまって、それに助けられて答えを出している。
そうした傾向が、いまの小学校の低学年になればなるほど強まってきているように思います。

日本の小中学生全体の学力の低下というのは、たぶんきっとあるのだと思います。
もう10年以上前になるでしょうか。当時の文部省はゆとりの教育を打ち出しました。それが反省されて、いまは脱ゆとりの教育に向かっているのだと思いますが、やはり一度落ちてしまった学力は、なかなか元には戻らないのだと思います。きっと全国的な学力の低下が、いまゆっくりと起きているというのは、あるのだと思います。

そうした中で、たぶんこの地域だけが、急激な学力の低下が始まっているのではないかと思うことが多くなりました。
「目」と「指」が直結して、考えなければならない問題は、先生たちが答えの直前までを説明する…そうした流れが、小学校で常識的なものになってしまっているのではないかと思えるのです。

そうすると、そうした小学校を卒業して、中学生になった子供達は、頭を使って問題を解くということができなくなります。子供達が決して悪いわけではないし、中学のクラスでも頭を使う学習が一般的でないわけですから、危機感のようなものをほとんどの子供達が感じずに生活しているという状況だと思います。この状況の中で、子供達は完全な被害者だと思います。何も悪いはずがない。

ただ子供達には、大きな問題が控えているのです。
それが高校受験です。いまの受験問題は、大学入試の変革の影響を少しずつ受けていて、暗記がなかなか通じなくなってきています。全ての問題とは言わないまでも、ほとんどの問題で「考える力」を必要としているともいえると思います。そうすると、たまたまこの地域の小中学校に通ってきた子供達は、ただそれだけの理由のために、点数が取りづらくなってきているというのを飛び越えて、実際には点数が取れなくなってきている状況だと思います。
何度も書かせていることですが、この地域のある中学校の今年の高校受験で、約4割弱の生徒が不合格になっています。
来年は、もっと多くの生徒たちが不合格になりそうです。それにストップを掛けるには、受験校のレベルを下げること以外に方法はない…というのが、いまの状況なのだと思います。

もちろん、学力を上げるということでの解決はあると思います。
ただそのためには、問題を読んで、その内容を頭に入れて、考えて、答えを出す…という流れが絶対に必要ですし、変にパターン別に問題を頭に入れて、解き方を暗記しようという考え方も、やはり危険だと思います。
そこで問題となるのが、小学校の頃から身について来た「目」と「指」の直結をどうやって壊すかということだと思います。

そのためにどうすれば良いか? 塾長は最近、そんなことばかりを考えています。
生徒たちを怒れば、解決していた時期もありました。解決しなければ、怒鳴れば何とかなっていた時期もありました。シローズが厳しい塾だというのは、たぶんその辺のことを言ってのことだと思います。
でももうそんなことが通用する時代では、完全になくなってしまったようです。

「目」と「指」が直結してしまうことが、もはや常識となってしまった感のあるこの地区の子供達に、「考えること」イコール「勉強」なのだという新しい価値観を持ってもらうには、どうしたら良いか?
最近思うのは、保護者の協力が必要なのではないか?との思いです。
保護者の皆さんの理解によって、この問題は解決するのかもしれない…との思いです。

例えば、お子さんが勉強が分からない…との言葉を口にした時に、「もう一度考えてみなさい。考えることが勉強なの…」というような言葉を口にしてほしい。
間違っても、「何で先生が教えてくれないのよ…」とか、「先生に説明してもらいなさい…」という言葉を口にしてほしくはないと思います。
保護者がそれを口にしてしまうことは、子供達に「目」と「指」の直結という…「考える」という学習方法を否定させるという考えを肯定させることになるだろうし、それによって高校入試における不合格の可能性もかなり高まることにも繋がることになるはずです。

塾長はいま、保護者の皆さんと話がしたいと思っている。話をすることで、もしも1人でも多くの保護者の理解が得られれば、きっと1人の不合格者を減らすことができるのではないか。

実際には、これも難しいだろう。でも、この地域の高校受験に挑む生徒たちの不合格者を減らすには、もうそれくらいしか方法は、もうないのかもしれない。

2017年4月1日土曜日

県入試は暗記が通用しない…時代になった2

いま実は大変なことが起こっている。
シローズの近くの某中学校の公立高校の今年の合格実績が、かなり悪化しているようである。とくに川口北以上の上位校でかなりの不合格者が出ているという。一時的なものであれば何の心配などないけれど、これが長期化するとなると、非常にたくさんの子供達のこれからの人生に暗雲が立ち込めることになる。
一時的なものであるのか、それともこれからも続くものであるのかは、誰にもわからないが、もしかしたらここしばらくは続くのかもしれない。そんな思いを私は持っている。

一番に気になるのは、小学校の学校授業である。
小学校を卒業し、4月から中学校に入学する生徒たちに授業をして感じるのは、彼らは分からない問題を自分で解こうとする意欲を持ち合わせていない。すぐに目の前の先生と呼ばれる人たちに聞こうとする。そして聞かれると、たいていの先生と呼ばれる人たちは、おそらく答えない方が生徒のためになると思い、躊躇を感じながらも義務としてそれに応えようとしているのではないか。
確かに以前から、考えずにすぐに質問する傾向がなかった訳ではない。56年前からあったように思う。しかし最近、その度合いが妙に高まってきているように思えてくる。
小学校で日々授業をする先生方も、また私のように塾で生徒たちに授業をする講師たちも、ほとんど無条件に答えを用意しているのではないか。それは「分からないことをなぜ教えてくれないのですか?」との保護者の声を恐れているからではないか。

小学校の先生方にしてみれば、クラスをまとめていく上で、苦情を口にする保護者が出てくるのを何よりも恐れているのだと思うし、塾の講師たちにしてみれば、「あの塾は分からないことを教えてくれない」との悪い評判が高まってしまうこと、またそれによる生徒たちの退塾を恐れているのだと思う。
それは分かる。とくに塾の場合は、社会のニーズに応えていくことが経済活動を続けていく唯一の策というのは間違いなく事実だろう。分かってはいるけれど、その結果が可愛い生徒たちの合格と不合格に関わるものだとしたら、考え直さなければならないのではないか。

何も急に、県入試の問題の傾向が変わってきたのではないと思う。いまはまだ2020年の大学改革に向けて、入試問題を思考力や発想力の方向にシフトして行こうという方向性が決められたというレベル程度ではないか。それにもかかわらず、シローズの周りの地区で、とくに川口北以上の上位校で不合格者が数多く出ているのには、生徒たちの思考力や発想力の低下が著しく低下していることが原因であると思う。
以前はまだそれでもよかった。生まれながらにして学習に向いている知能指数の子供達はそれでも合格通知を手に入れることができたのだと思う。しかし小学校授業における考えることからの激しい低下と、思考力や発想力を問う入試問題の導入によって、この地域の合格者数が他の地域よりも早く低下してきたために、高知能指数の子供たちでさえ上位校への合格が難しくなってきてしまったという見方もできるのではないか。

それともう一つ、学力でない部分の子供達の変化がそこに加担してきている。それが子供達の自己肯定の意識である。ゆとりの教育は終わったというが、次に教育の柱になっているのが、子供達に自己肯定の意識を植え付けるという教育であるようだ
例えば先生方は、いま盛んに子供達に「皆さんはすごいのですよ」とか、「皆さんはたくさんの可能性があるのですよ」という言葉をしきりに口にしているように思う。これは悪いことばかりでなくて、10年ほど前まで中退率がとても高かった高等学校が、この方法で中退率をかなり低くしている等のメリットが出てきている。おそらく非行の防止にもなるのだろう。しかしそれによって、必要以上に子供達は自分を肯定しだしてきている。それ自体は決して悪いことではないのだが、子供達は同時に自己に対する反省をしなくなった。そして思考力と発想力の低下である。
この結果どうなったかといえば、塾で思考力や発想力を高めようとする指導に対して、反発する子供達が出てきている。そして子供達の反発は、保護者の反発にもなってしまう。
「塾に通っているのに、分からないことを教えてもらえない」
もうこの言葉をここ数年、何度耳にしたことだろう。高校受験を考えて、生徒のためを思って、考えさせるという授業を行うと、必ず一部の生徒にこの問題が起きるようになってしまっている。それでも気持ちを伝えようとすれば、またトラブルの類は後をたたなくなってしまう。
伝え方だ…という意見はある。しかしそれだけの問題ではなくなってきているのも事実であろう。

結局のところ、小学生の時代の学力などというものはどうでもいい問題なのかもしれない。できるならば小学生の高学年までに塾に通い、考える授業を受ける。自己肯定をしながらも、私たち先生と呼ばれる人たちの声をもっと心の中心で捉えてもらうことができさえすれば、そして保護者がもっと先生と呼ばれる人たちのことを信頼してくれさえすれば、成績は必ず上がると思うし、進学先となる高校は、1クラスいや2クラス上にすることも可能ではないか。しかしそれこそが、難しい時代になってしまっている。だから社会のニーズに応えようと真剣に考えれば考えるほど、分からないことをなんでも教えようとする塾ばかりが幅を効かせることになる。そしてそれは、不合格者を確実に増やすことにつながってしまうのだろう。
ある中学の教員は、子供達が武器をかざしだした…との言葉を使って、最近の苦悩を語っていた。これまでは、時として権利を振りかざしていた子供達が、自己肯定の意識と相まって武器を持ち出してきたと言いたいようである。
私はそこまでの思いは持っていない。ただ何とかして、この現状を打破する方法はないものかと、必死になってその方法を探し求めている状況である。これ以上合格者が減ってしまうと、川口北以上の高校は入れる高校ではなくなってしまう。そんな危惧が大きくなるばかりである。

春休みの夕方、部活を終えたいつもの生徒たちが塾の事務所で机に向かっている。彼らはもう2時間程机に向かっているが、集中力が途絶える様子もなく、当然おしゃべりもなく、必死に塾のテキストに目を向けている。
僕は彼らに対してだけは、先生としてというよりも、かなり本音で接するように心がけている。彼らも塾長がまた変なことを言っているよ…と、きっと思いながらも、今のところはそれに従ってくれている。おそらく彼らにとっては、シローズという場所が単に勉強を教わる場所ではなく、いろんなことを考えて、いろんな経験ができる場所になっているのではないだろうか。だから僕が、こう思うんだよ…という言葉を口にすれば、変な自己肯定などという意識を少しも出さずに、僕の言葉の意味を考えてくれている。
彼らにしても、塾を探していた時期からこれまでの間にきっといろいろな紆余曲折があったのだと思う。入塾してからも、退塾という言葉が頭に浮かんだことだって、きっとあったに違いない。でも彼らは今、ここにいる。シローズで頑張ろうとしてくれている。彼らとの信頼関係が、1人でも多くの生徒に広がることを何よりも望んで日々を過ごしている。