2017年4月1日土曜日

県入試は暗記が通用しない…時代になった2

いま実は大変なことが起こっている。
シローズの近くの某中学校の公立高校の今年の合格実績が、かなり悪化しているようである。とくに川口北以上の上位校でかなりの不合格者が出ているという。一時的なものであれば何の心配などないけれど、これが長期化するとなると、非常にたくさんの子供達のこれからの人生に暗雲が立ち込めることになる。
一時的なものであるのか、それともこれからも続くものであるのかは、誰にもわからないが、もしかしたらここしばらくは続くのかもしれない。そんな思いを私は持っている。

一番に気になるのは、小学校の学校授業である。
小学校を卒業し、4月から中学校に入学する生徒たちに授業をして感じるのは、彼らは分からない問題を自分で解こうとする意欲を持ち合わせていない。すぐに目の前の先生と呼ばれる人たちに聞こうとする。そして聞かれると、たいていの先生と呼ばれる人たちは、おそらく答えない方が生徒のためになると思い、躊躇を感じながらも義務としてそれに応えようとしているのではないか。
確かに以前から、考えずにすぐに質問する傾向がなかった訳ではない。56年前からあったように思う。しかし最近、その度合いが妙に高まってきているように思えてくる。
小学校で日々授業をする先生方も、また私のように塾で生徒たちに授業をする講師たちも、ほとんど無条件に答えを用意しているのではないか。それは「分からないことをなぜ教えてくれないのですか?」との保護者の声を恐れているからではないか。

小学校の先生方にしてみれば、クラスをまとめていく上で、苦情を口にする保護者が出てくるのを何よりも恐れているのだと思うし、塾の講師たちにしてみれば、「あの塾は分からないことを教えてくれない」との悪い評判が高まってしまうこと、またそれによる生徒たちの退塾を恐れているのだと思う。
それは分かる。とくに塾の場合は、社会のニーズに応えていくことが経済活動を続けていく唯一の策というのは間違いなく事実だろう。分かってはいるけれど、その結果が可愛い生徒たちの合格と不合格に関わるものだとしたら、考え直さなければならないのではないか。

何も急に、県入試の問題の傾向が変わってきたのではないと思う。いまはまだ2020年の大学改革に向けて、入試問題を思考力や発想力の方向にシフトして行こうという方向性が決められたというレベル程度ではないか。それにもかかわらず、シローズの周りの地区で、とくに川口北以上の上位校で不合格者が数多く出ているのには、生徒たちの思考力や発想力の低下が著しく低下していることが原因であると思う。
以前はまだそれでもよかった。生まれながらにして学習に向いている知能指数の子供達はそれでも合格通知を手に入れることができたのだと思う。しかし小学校授業における考えることからの激しい低下と、思考力や発想力を問う入試問題の導入によって、この地域の合格者数が他の地域よりも早く低下してきたために、高知能指数の子供たちでさえ上位校への合格が難しくなってきてしまったという見方もできるのではないか。

それともう一つ、学力でない部分の子供達の変化がそこに加担してきている。それが子供達の自己肯定の意識である。ゆとりの教育は終わったというが、次に教育の柱になっているのが、子供達に自己肯定の意識を植え付けるという教育であるようだ
例えば先生方は、いま盛んに子供達に「皆さんはすごいのですよ」とか、「皆さんはたくさんの可能性があるのですよ」という言葉をしきりに口にしているように思う。これは悪いことばかりでなくて、10年ほど前まで中退率がとても高かった高等学校が、この方法で中退率をかなり低くしている等のメリットが出てきている。おそらく非行の防止にもなるのだろう。しかしそれによって、必要以上に子供達は自分を肯定しだしてきている。それ自体は決して悪いことではないのだが、子供達は同時に自己に対する反省をしなくなった。そして思考力と発想力の低下である。
この結果どうなったかといえば、塾で思考力や発想力を高めようとする指導に対して、反発する子供達が出てきている。そして子供達の反発は、保護者の反発にもなってしまう。
「塾に通っているのに、分からないことを教えてもらえない」
もうこの言葉をここ数年、何度耳にしたことだろう。高校受験を考えて、生徒のためを思って、考えさせるという授業を行うと、必ず一部の生徒にこの問題が起きるようになってしまっている。それでも気持ちを伝えようとすれば、またトラブルの類は後をたたなくなってしまう。
伝え方だ…という意見はある。しかしそれだけの問題ではなくなってきているのも事実であろう。

結局のところ、小学生の時代の学力などというものはどうでもいい問題なのかもしれない。できるならば小学生の高学年までに塾に通い、考える授業を受ける。自己肯定をしながらも、私たち先生と呼ばれる人たちの声をもっと心の中心で捉えてもらうことができさえすれば、そして保護者がもっと先生と呼ばれる人たちのことを信頼してくれさえすれば、成績は必ず上がると思うし、進学先となる高校は、1クラスいや2クラス上にすることも可能ではないか。しかしそれこそが、難しい時代になってしまっている。だから社会のニーズに応えようと真剣に考えれば考えるほど、分からないことをなんでも教えようとする塾ばかりが幅を効かせることになる。そしてそれは、不合格者を確実に増やすことにつながってしまうのだろう。
ある中学の教員は、子供達が武器をかざしだした…との言葉を使って、最近の苦悩を語っていた。これまでは、時として権利を振りかざしていた子供達が、自己肯定の意識と相まって武器を持ち出してきたと言いたいようである。
私はそこまでの思いは持っていない。ただ何とかして、この現状を打破する方法はないものかと、必死になってその方法を探し求めている状況である。これ以上合格者が減ってしまうと、川口北以上の高校は入れる高校ではなくなってしまう。そんな危惧が大きくなるばかりである。

春休みの夕方、部活を終えたいつもの生徒たちが塾の事務所で机に向かっている。彼らはもう2時間程机に向かっているが、集中力が途絶える様子もなく、当然おしゃべりもなく、必死に塾のテキストに目を向けている。
僕は彼らに対してだけは、先生としてというよりも、かなり本音で接するように心がけている。彼らも塾長がまた変なことを言っているよ…と、きっと思いながらも、今のところはそれに従ってくれている。おそらく彼らにとっては、シローズという場所が単に勉強を教わる場所ではなく、いろんなことを考えて、いろんな経験ができる場所になっているのではないだろうか。だから僕が、こう思うんだよ…という言葉を口にすれば、変な自己肯定などという意識を少しも出さずに、僕の言葉の意味を考えてくれている。
彼らにしても、塾を探していた時期からこれまでの間にきっといろいろな紆余曲折があったのだと思う。入塾してからも、退塾という言葉が頭に浮かんだことだって、きっとあったに違いない。でも彼らは今、ここにいる。シローズで頑張ろうとしてくれている。彼らとの信頼関係が、1人でも多くの生徒に広がることを何よりも望んで日々を過ごしている。