2017年5月27日土曜日

安行中 my Love「まだ間に合うかもしれない」

勉強って、たぶん頭を使って、それで答えを出すものだと思うのですが、この地域の小学校の授業が年々、子供達が頭を使わないで答えを出すものになってしまっているような気がします。

ではどうやって、子供達は答えを出しているかというと、自分では頭を巡らせているのではなくて、先生たちが答えの直前までの説明をしてしまって、それに助けられて答えを出している。
そうした傾向が、いまの小学校の低学年になればなるほど強まってきているように思います。

日本の小中学生全体の学力の低下というのは、たぶんきっとあるのだと思います。
もう10年以上前になるでしょうか。当時の文部省はゆとりの教育を打ち出しました。それが反省されて、いまは脱ゆとりの教育に向かっているのだと思いますが、やはり一度落ちてしまった学力は、なかなか元には戻らないのだと思います。きっと全国的な学力の低下が、いまゆっくりと起きているというのは、あるのだと思います。

そうした中で、たぶんこの地域だけが、急激な学力の低下が始まっているのではないかと思うことが多くなりました。
「目」と「指」が直結して、考えなければならない問題は、先生たちが答えの直前までを説明する…そうした流れが、小学校で常識的なものになってしまっているのではないかと思えるのです。

そうすると、そうした小学校を卒業して、中学生になった子供達は、頭を使って問題を解くということができなくなります。子供達が決して悪いわけではないし、中学のクラスでも頭を使う学習が一般的でないわけですから、危機感のようなものをほとんどの子供達が感じずに生活しているという状況だと思います。この状況の中で、子供達は完全な被害者だと思います。何も悪いはずがない。

ただ子供達には、大きな問題が控えているのです。
それが高校受験です。いまの受験問題は、大学入試の変革の影響を少しずつ受けていて、暗記がなかなか通じなくなってきています。全ての問題とは言わないまでも、ほとんどの問題で「考える力」を必要としているともいえると思います。そうすると、たまたまこの地域の小中学校に通ってきた子供達は、ただそれだけの理由のために、点数が取りづらくなってきているというのを飛び越えて、実際には点数が取れなくなってきている状況だと思います。
何度も書かせていることですが、この地域のある中学校の今年の高校受験で、約4割弱の生徒が不合格になっています。
来年は、もっと多くの生徒たちが不合格になりそうです。それにストップを掛けるには、受験校のレベルを下げること以外に方法はない…というのが、いまの状況なのだと思います。

もちろん、学力を上げるということでの解決はあると思います。
ただそのためには、問題を読んで、その内容を頭に入れて、考えて、答えを出す…という流れが絶対に必要ですし、変にパターン別に問題を頭に入れて、解き方を暗記しようという考え方も、やはり危険だと思います。
そこで問題となるのが、小学校の頃から身について来た「目」と「指」の直結をどうやって壊すかということだと思います。

そのためにどうすれば良いか? 塾長は最近、そんなことばかりを考えています。
生徒たちを怒れば、解決していた時期もありました。解決しなければ、怒鳴れば何とかなっていた時期もありました。シローズが厳しい塾だというのは、たぶんその辺のことを言ってのことだと思います。
でももうそんなことが通用する時代では、完全になくなってしまったようです。

「目」と「指」が直結してしまうことが、もはや常識となってしまった感のあるこの地区の子供達に、「考えること」イコール「勉強」なのだという新しい価値観を持ってもらうには、どうしたら良いか?
最近思うのは、保護者の協力が必要なのではないか?との思いです。
保護者の皆さんの理解によって、この問題は解決するのかもしれない…との思いです。

例えば、お子さんが勉強が分からない…との言葉を口にした時に、「もう一度考えてみなさい。考えることが勉強なの…」というような言葉を口にしてほしい。
間違っても、「何で先生が教えてくれないのよ…」とか、「先生に説明してもらいなさい…」という言葉を口にしてほしくはないと思います。
保護者がそれを口にしてしまうことは、子供達に「目」と「指」の直結という…「考える」という学習方法を否定させるという考えを肯定させることになるだろうし、それによって高校入試における不合格の可能性もかなり高まることにも繋がることになるはずです。

塾長はいま、保護者の皆さんと話がしたいと思っている。話をすることで、もしも1人でも多くの保護者の理解が得られれば、きっと1人の不合格者を減らすことができるのではないか。

実際には、これも難しいだろう。でも、この地域の高校受験に挑む生徒たちの不合格者を減らすには、もうそれくらいしか方法は、もうないのかもしれない。