2020年7月31日金曜日

安行中 my Love 「こんなことでいいのか? 安行中」

もしかしたらこの地域の中学3年生の4割から5割は、総合問題に対応できなくなっているのかもしれない。

今年のシローズの夏期講習会で中3生たちは、3部構成になっている。

一つは通年テキストを進めること…
この地域は入試までに中3の学習範囲が終わらないから、入試問題を解き始める冬期講習会までに中3範囲を終わらせる。あるいはできるだけ進める必要がある。

二つ目が理科と社会…
理科と社会は、夏休み中にある程度目処をつける必要がある。そうしないと二学期以降理科と社会に時間を取られてしまい、英語と数学の学習に時間を割く時間がなくなってしまう。この地域だと、多くの生徒が12月くらいの時期に大きく(英語と)数学の成績を下げる。これを防ぐには、夏休み中にある程度理科と社会で目処をつけることが必要となっている。

そして最後が、模擬試験等の総合問題の演習…
英数国の総合問題を前授業で生徒に配布し、生徒は演習解説日までにそれを解いてくることになっている。

三つ目の模擬試験等の総合問題の演習の解説の初日が終わったとき、僕はある生徒から声を掛けられた。
「分からない。全然解けない…」
憮然とした表情と言ったら良いのだろうか…。ときどき心の中を表情に出してくれる〇〇くんは、僕にそう言った。

彼の解答用紙を見ると、正解がかなり少ない。
この地域のちょうど真ん中の生徒が進学する市内の高校の合格入試得点が一教科二十数点だということを僕は思い出していた。
そのとき、僕は必死に〇〇くんを励ましていたけれど、彼の「いったいなんでなんだよう…」という視線が頭に残った。

学校の定期テストは単元別に出される。
だから定期テストの問題は、ある程度は予測できる問題なのだと思う。
でも模擬試験の類は当然、様々な単元から出されるわけで、〇〇くんにとっては予想外の問題に思えたのだろう。
あれもできない、これもできない…、どうしたらいいのだろう…。そんな思いだったのではないか?

彼は前から塾に来ている生徒だ。でも成績はあまり伸びてはいない。
一つには国語力の乏しさがある。だから問題を瞬間的に分かる・分からない問題に分類するきらいがある。
彼にとっては、分かる問題はすぐに答えを書かなくてはならない問題であり、分からない問題は先生に聞く問題であるのだろう。

分からない問題を聞く…という行為は、決して悪いことではないと思う。
保護者の中にも、分からない問題は先生に聞いて教えてもらう。塾という場所の存在理由の中には、きっとそれがあるのだと思う。
ただここで問題が生じる。

分からない → 先生に聞く 

という行為は、知識として残らない場合が多くある。数日あるいは数時間という時間の中で、忘れてしまうことが起きてしまうようだ。
それはそこに、「考える」という行為が欠如しまっているからではないか。
考えずに聞くという条件反射的な習慣が、確かに彼にはある。それが知識として残らない原因となっている。
知識に残る学習とは、

分からない → 考えてみる → 先生に聞く

という学習方法ではないだろうか?

彼のような生徒は、この地域にかなりいる。
彼は中学の定期テストの順位から考えて、この地域の中学校で中位にいる生徒だと思う。明るく、部活も一生懸命やり、教員たちからも彼はある程度信用されている生徒であるはずだ。
そう考えると、彼の状況はこの地域のごく平均的な中学生たちの状況なのかもしれない。
そこまで考えた時、僕は怖くなった。

保護者の皆さんは、この状況をどのように考えるのだろうか?
中学3年生が夏休みになって、総合問題を解くことができない状況を中学の先生のせいだという方たちもいるのかもしれないし、彼らが通っている塾の指導力の無さを非難する方もいるかもしれない。
あるいはこの地域の中学生たちの能力を疑う方もいるのではないか…。

でも僕はこんなふうに考える。
平均値を思うときの感覚に、他の地域との間でズレが起きているということはないだろうか?

平均値とは、学力だけことではない。
どこが平均的な高校なのか?
中学生たちの普通の学習とは、どんなものか?
中学生が一日のSNSやゲームにかける時間はどれほどが平均的で、学習にかける時間はどれくらいが平均的なのか?

最近では、我が子の学習を見る時間も他の地域との間で差が生じてきているような気がする。この地域の保護者の方たちが、過度に我が子の学習に手を加え出しているような気がしてならない。
この部分での行き過ぎは、子供たちの考える力をひどく奪い取ることになる。

いまシローズに来てくれている中学3年生たちは、たいていは不安の中にいる。
何に対する不安かと言えば、自分の学力の状況が自分の望み通りになっていない…との感覚なのだと思う。
彼らにとっては学校休校が終わり、とうとう受験だ…と思った途端に、北辰テストが帰ったきた。
えっ、自分の偏差値はこんなものなのか?
塾内模試も帰ってきた。さらに落胆は続いたのだと思う。
それが少し癒されたと思ったら、今度は期末テストが帰ってきた。もうすぐ学年順位も出る…。

そんな中、不安は次第に大きくなるばかりではないだろうか?
でも、僕はそれでいいと思っている。高校受験は、自分の置かれている現実に気づくことから始まると思うから。
問題なのは、その状況の中で自分がいま何をすべきかを考えるべきことだと思う。

久しぶりに 安行中 my Love を書きたいと思ったのは、実はこんな理由がある。
安行中の期末テストが終わって、数学で90点以上の生徒が2名だったという話を生徒から聞いた。
僕はまずその時に、そんなもんなのか? という印象を持った。意外に平均点が低い。問題を見た印象としては、クラスで1人か2人くらいは100点の生徒がいてもおかしくない問題だと思った。

それから2日が経ったとき、90点以上だった生徒2人がシローズの生徒だということを知った。
嬉しくないわけじゃない。でも正直に言えば、それほど嬉しく感じられなかった。
むしろ、なんで? という感覚の方が強い。
彼らはできない子たちではないし、何よりも僕にとっては愛すべき子たちだけれど、90点台前半の彼らよりも高い得点を取れる生徒がいないという事実を、僕はひどく重く感じていた。
これまでよりも地域格差が広がっていることを痛切に感じたし、このままでは年明けになってから、志望校を変更する子が後をたたなくなるのではないか?
そんな予感さえ感じていた。

こんなことでいいのか? 安行中。ちょっと不甲斐すぎはしないか…。
先輩ズラするつもりはないけれど、なんだか僕にはひどく寂しく感じられた。
そんな気持ちが、僕をキーボードに向かわせたのだと思う。

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