2019年4月14日日曜日

高校受験に資格は、必要なのか?2019.4

毎年年度の初め頃になると、資格に対する問い合わせをいただく。
英検等でどの級を受けたら良いか? あるいはそのための学習方法は?との質問である。
シローズは、表立って資格習得のための学習指導は行ってはいない。とは言え、困っている生徒がいれば、対策のための授業を行ったりもしている。

ただ英検にしても、数検や漢検にしてもその勉強が5教科で行われる高校入試の得点にどれだけプラスになるかというと、それはたぶんかなりゼロに近いと思う。英語の入試問題は英検とは違う方向に今のところ行っているし、数学でも入試で高得点を取るには、数検合格のための学習とは視点の違う学習が必要となっている。漢検しかりだ。そもそも埼玉県の国語の入試問題では漢字の配点はそれほど高くはない。

でも保護者の方は言うと思う。資格を持っていると、入試で合格しやすいと聞いた…ことがあると。また今年もそんな声があっちにもこっちにも、湧き上がっているはずである。
確かに公立高校入試では、入試得点、内申点の他に持っている資格によって加点が付く。合否のボーダーラインにいる生徒は、その資格を持っている、持っていないによって合格・不合格が決まっているかと言えば、それはすなわちイエスだ。
ただ僕などはいつも、でも………という言葉を思い浮かべてしまっている。

英検の場合、市内の底辺校を除くとたいていは3級以上が加点の対象となっている。市立川口、川口北となると、確か準2級以上が加点の対象となるはずである。
そこで疑問が生じる。この地域の子供達が英検で3級、準2級で合格をするために、どれほどの労力が必要だろう。それを思うと、北辰等の偏差値や内申点(通知表の評定)を上げる方がはるかに簡単なように思えるのは、僕だけではないと思うがいかがだろうか?

受験は保護者の性(さが)が飛び交う場だ。
どんな保護者であっても、我が子と自分の選択の正しさを周囲に漏らしたくなるものなのかもしれない。そのパイの大きさで、中学受験や大学受験以上に高校受験は、きっと飛び交う情報の量が大きいのだと思う。
ただそれが性(さが)に根ざしたものであるがために、その情報は我が子の努力や自分の選択を賞賛する形になり易い。
この地域の保護者たちが言う、資格がないとなかなか合格は難しい…という言葉は、もしかしたらそうして広まったものなのかもしれない。
確かに市内のある高校は、3級以上の資格(4級とも言われる?)取得者には不合格を出していないという話を耳にしたことがある。
でもだからといって、それが全ての高校に通用するものではないはずである。

いまあまり表に出てきていない問題として、高校入学後に授業についていけない学生が増えていると聞く。そんなときにたいていの保護者たちは、「〇〇高校はレベルが高いから、ついていくのが大変…」という言葉を使うのだと思う。
でもそれはちょっと違う事情があって、中学の内申によって合格した高校受験だったとの見方もできる。つまりその高校の合格者平均偏差値よりも低い学力の生徒が、内申点の高さで合格通知を受け取る。
それはそれで立派な合格には違いないが、内申で合格した生徒は、授業が始まった途端に周囲の人たちとの学力のギャップを感じるはずである。

資格についてもそれと同じ状況がある。
高校合格のために出来るだけ資格を取ろうとする。本来は入学後に必要な学力を蓄えなければならないときに、資格取得のために時間を使う。
その後、志望の高校に合格したとすれば、保護者は「やっぱり資格は必要だった…」と思うのかもしれない。でも資格試験の内容と高校入学後に要求される学力はかなり異質である。

県入試はこれまでも、そしておそらくこれからも、中学校の成績と入試得点の合算で合否が決まていくのだと思う。その他にも生徒会活動や資格が加算されていく。
でも文科省が決めている高等学校のカリキュラムの成果は、入試で高得点を取る力で決まるのだと思う。
それを身につけるために何が必要かと言えば、1年次からの中学授業の内容よりも深い部分の学習であるはずである。とくにこの地域では、その必要性はひどく高いし、これからもその必要性は増すばかりなのだと思う。

2019年3月16日土曜日

高校受験が終わって…シローズ塾長のよもやま話2019.3

1、高校入試が終わって思うこと

高校入試が終わった。
それほどまでに意識をしていないつもりでいたのに、急に身体が身軽に感じるのはなぜだろう。季節柄、ちょっと前まで外に出る時に着ていたオーバーを脱いだのと同じような感覚がある。

県入試の問題を全て細かく見たわけではない。ただ印象としては、全体的に難易度が下がったのではないか? との印象を持っている。
今年この地域の受験生たちの合格が多かったのも、その影響と言えなくはないのではないか。
昨年よりも英語が少し簡単になったような気がする。それと数学の最後の問題を受験生の何割が解けたのか? との疑問を持った。
これは選択問題の方の印象で、共通問題の数学を現中学二年生に解説した印象では、解きやすい問題だったではないか? というものだった。
共通問題を生徒にいきなり渡されて、ホワイトボードを前に、その場で解いていったわけであるが、それほど僕の持つマジックは止まらなかった。二学期以降に実施された北辰テストの方が、もっと難しかったような気がする。
どうなのだろう。ここ何年かは、共通問題は解きやすく、選択問題は若干の難易度の上下動はあるものの高い難易度を維持するような気がする。

たくさんの15歳の少年少女が試験に臨み、その結果として合格者と不合格者に分かれる。ただその前に北辰テストや中学校の校長会テストがあるわけだし、内申点は12月に知らされているはずだから、県入試の合否は受験前からある程度想像できる試験であるとも言える。
ただ合格と不合格の分かれ目に位置する生徒と、川口北以上の高校の受験者にとっては、やはり合否は時の運的な意味合いがあるのかもしれない。そこで合格するか?、不合格になるか?というのは、大多数の生徒にとっては、どこの塾に通っていたかが関係しているような気がする。

それと今年、この地域の蕨高校以上の合格者が例年よりも多かった。
選択問題の英語の難易度がやや下がったことが、関係しているのではないだろうか。もしも昨年同様の英語問題が出されたとしたら、もっと合格者は少なくなったような気がしている。

実は選択問題の英語と数学の出来には、その生徒たちがどんな学習を小学生の頃からしてきたか? ということが、大きく関係しているような気がする。そして、どうも北辰等の偏差値では測りきれない何かがあるような気がしてならない。
つまり同じ偏差値65、または70であっても、選択問題の出来には差が出ているのではないか? そんな印象がある。

これが何に関係しているのか? 僕にはうまく説明できないのであるが、おそらくこの地域の場合という註釈がつくように思う。
たぶんそこには、小学校からの授業のレベルが大きく関係しているのではないか。偏差値70の受験生たちが一斉に入試に当たったとしたとして、どの地域の受験生なのかによって、出来には差が出てしまうのではないか?  この地域の塾が、それをどこまで払拭できるかが、塾の努力にかかったいるような気がしてならない。


2、浦和高校のこと

浦和高校について、何度かブログで書いたことがある。
正直に言う。勉強をすることが嫌いでない普通の小学生が、3年生の終わりか4年生の1学期までに塾に来てくれて、指導を任せてくれたとしたら、僕は浦和高校に受験するまでの成績を身につけさせる自信のようなものがある。一女にとっても同様だ。
そこには、あれをこうして…、次にこれをして…、という流れがあるように思う。もちろん障害物もたくさんあって、最終的には生徒本人とその保護者の気質のようなものが関係することになると思う。

ただ最近考えてしまうことが多くなった。
果たしてこの地域の子供たちにとって、その二校に合格できたとして、それが幸せなのか? ということを。
いま二校とも、国公立や有名私立高校の滑り止めとなった感がある。その辺が大宮や、かなりレベルを上げてきた浦和市立と大きく異なる点なのではないか。

中学受験を経験し、あるいは国公立や都内にある有名私立に合格するための特殊な受験勉強をしてきた生徒には、公立の小中学校で普通に学んできた子供たちとの大きな違いがある。
それはもちろん知識量の部分もあるが、それだけでなく、テストを前にした時の集中力の高め方であったり、授業中の先生の説明の中でポイントを探り取る力のようなものがあるような気がする。そこでの差は、当然テストの得点に現れるだろうし、さらに高校に入ってからの知識の詰め込み方にも差が出てしまうようである。そして二校がクラスでの上位の生徒を対象とする授業を続けていることも、その格差を大きくしているようである。
受験期よりもかなり集中を高めて、睡眠時間までを削るような机の向かい方をしたとしてもなかなか成績が上がらない。そのときに小学校、中学校を通して、学年で一、二の成績を取っていた少年少女たちが、どんな思いをするのか? そこでの挫折感は、将来に対する絶望感に近いものがあるのではないか。

ここでも、同じ偏差値70であっても学力の質が違う…ということが、その原因になっているような気がする。
小学5年生から本格的に英語の授業が導入されて、県庁所在地や県西部の駅近の住宅街の学区で学んできた、この地域とは違う地域の価値観の中で成長してきた彼らとは違う彼らが、高校入学後にこれまでに体験したことのない絶望感を感じとったときにどうなってしまうのか? それを塾を続けている間、僕は考えなければならないと思っている。


3、多くの子供たちが抱える闇

小学校から高校までに通う子供たちの悲しい出来事を知ったときに、僕はいつも考え込んでしまう。
きっといま大多数の子供たちの中には、「それぐらいのことで…」という文化があるのだ。それは通知表の2という評定が、いまの絶対評価の中では決して取ってはならないという事実を、自分だけでない他の多数の級友たちが2を取ることで、普通の評定だと思い込んでいるのと同じ愚かさなのだと思う。
この考えがある限り、悲しい出来事はきっと続いてしまうのではないか。毎日塾に集まる子供たちを見ながら、ときどき僕は、そんな思いに駆られることがある。

いまに始まったことではないが、塾のスリッパは頻繁に破かれている。去年はトイレの壁紙が少しずつ破かれたり、トイレの床一面に大量の水が撒かれるということが何度も起きた。
悪気がないのは分かる。ちょっとした出来心だということも。でもそのちょっとした出来心が、塾を一生の仕事であると思い込んでいる僕とその家族の心に与えるダメージの大きさを思うと、悲しい出来事が起きたとき、その対象となった子供たちの悲鳴をいつも思い浮かべてしまう。

子供たちは、いまその子の前に立ちはだかる壁を保護者がいつも払い除ける中で大きくなってきている。我が子に舞い降りる困難は保護者が払い除けなければならないという意識は、いま保護者の中で共通認識になった感がある。
様々な習い事であっても、指導者たちが子供たちを成長させるために壁を用意することを悪だと考える社会理念がきっとあるのだ。
その結果、この地域の子供たちは、中学入学後に避けきれない壁の高さに怯えだすことになる。

頑張って向かおうとする、いまとなってはごく少数の子供たちはやがてその壁を乗り越えていくのだろう。でもそれができない大多数の子供たちは、傷を舐め合うことに終始しまっているのかもしれない。その結果、自分で壁を乗り越えることを諦めた子供たちは小さな集団を作って徒党を組む。
時には壁を乗り越えようとする級友の邪魔をしでかそうとする集団が出てくるし、それを悪だと考える集団に属する子であっても、無意識のうちに悪意の無い嫌がらせに走ってしまうことがあるのだと思う。

問題が起きた時、悲しみをこらえられない人たちは、学校に責任を負わそうとする。でもそれで解決する問題ではないのではないか。
なぜなら原因を作り出していたのは、その被害者の周りにいた個人としては善意に満ちた純真な子供たちだから。
問題はそうした子供たちの割合なのだと思う。
その割合が高くなると、悲しい出来事を引き起こしてしまう可能性が一気に高まってしまう。この地域では、そこから抜け出すための高校入試なのかもしれない。

2018年10月26日金曜日

いま、もう一度私立高校を考えてみたくなった 2018.10

今年も高校受験が追い込みの時期になってきている。
来月の初めに、中3生の第6回北辰テストが行われ、その結果が16日頃に自宅に送られる。保護者たちはその結果と、一学期の通知表の写しを持って、我が子が受験する、あるいは受験を希望する私立高校の個別相談会に出向くことになる。埼玉県の中学生たちだけの制度である確約を取るためだ。

確約とは、合格の内諾と言い換えることもができる。表向きには、確約は存在していないことになっていて、受験生たちは1月の22日から25日に行われる私立高校の入試を受験し、ちゃんと合格発表は行われるのであるが、実は95パーセント以上の受験生の合否は7月末から始まっている個別相談の場で決まっている。
95パーセント以上と書かせていただいたが、私が塾を始めてから二十数年の間で、確約が出ているのに不合格となった生徒はわずかに2人。1人は入試時の態度で、もう1人は内申書に書かれた欠席日数と個別相談時に伝えていた欠席日数が大きく違ったために不合格となった。その2人以外は全員合格している。

その確約を、県内全域と都内の北区、足立区、豊島区、板橋区等、埼玉県内の中学生たちが多く受験する地域の私立高校のほとんどで、この確約を出している。
ただ一部の私立高校はこの確約を出してはいない。この確約を出していない私立高校は、指で数えられるほどにごくわずかであるはずだ。その意味で、ほぼ全員に近い埼玉県の中学生たちは、この確約という制度を利用して私立高校に合格することになる。

確約の基準となるのは一学期の通知表と、7月から11月までの北辰テスト。12月の北辰テストの結果を見てくれる場合もあるが、このことはその私立高校の募集状況によって変更となる場合があるので、できる限り11月までと思った方が無難であると思う。もしも11月までの北辰テストで、基準に達していない場合に、12月の北辰テストの結果や二学期の通知表、あるいは12月初めに渡される内申書を見てもらえることもある。

中学で行う実力試験や校長会テストというのも基準にはなっているようであるが、私立高校側にとっては、どちらかといえばそちらは、やや消極的であるように思う。校長会テスト等中学で行う模擬試験と北辰テストは、受験者の人数が異なるから、同じ50の偏差値であっても、当然学力に違いがでる。その結果私立高校側にとっては、どの辺の学力なのかがわからない面があるようだ。
塾に来ている生徒たちに、中学で行う模擬試験と北辰テストの偏差値を聞くと、やはり差が出ている。
どうだろうか? そうでない場合もあるが、若干北辰テストの偏差値の方が、低く出る傾向があるようにも思う。
それと英検等の資格も加点となると思うが、どのレベルの高校を受験するかによって、またどのレベルの資格なのかによって、加点の内容は変わってくる。
偏差値50程度の私立高校であれば、英検3級は加点となると思うが、もしも偏差値60以上の高校であると、英検準2級であっても、それほどの加点にならないようである。

というようなやり取りが、私立高校の個別相談会で繰り広げられた結果、お子さんに確約が出されるかどうかが決まる。やはり単願の方が、いくぶんレベルは下がり、入りやすくなる。
各私立高校では、内申点や偏差値による基準を一学期中に決めているはずですが、応募の状況や前年度の入学者数によっては、その基準を下回ったとしても相談に乗ってもらえる場合がある。
このことに関しては、保護者よりも塾からの相談が有効であるようだ。
今さいたま市を除く、県内の全域で公立中学側からの相談が望めない状況があるから、やはり塾の室長クラスの方が相談に出向く必要があるのだと思う。お子さんの塾選びの際に、こうした私立高校への斡旋を行っている塾であるかどうかを確認する必要もあるのかもしれない。


では、公立高校と私立高校の違いって何なのだろう?
毎年二学期の中間テストが終わる頃になると、よく考えることがある。
ただこの問題、なかなか保護者の方と同じ見解を持てないことがあり、私から保護者の方に伝える言葉や表現の部分の力不足を痛感することも多くある。
これはきっと真正面から私立高校を見ている保護者と、やや斜め前方からその私立高校を見る癖がついてしまった私との見方の差の違いのせいではないか。そのために、私にはいくつもの私立高校に対する疑問がある。

まず、私立高校の施設の充実に関する疑問がある。
果たしてたくさんのお金を掛けた施設が必要なのか?という疑問だ。中には掃除を専門に行う業者が入っている学校まであるのではないか。
誰しも綺麗な場所、豪華な場を求める向きがあるのだと思うが、高等学校という教育の場に、果たしてそれが必要なのだろうか?との疑問をどうしても持ってしまう。
それがこの地域の保護者たちに、社会認識の中で中堅の部類に入る私立高校に対して、妙なブランド意識を持たせていると思う。
校舎の豪華さや、最先端の設備以上に考えるべきことがあるのではないか。そんな思いを持つことは多い。

二つ目は、進学実績である。
一般的に公立高校よりも、大学への進学実績は私立高校の方が良いと言われているが、果たしてそれが事実であると言えるのだろうか。
どこの私立高校にも、特待制度がある。特待制度とは、その受験者が本来入学するべきレベルの高校よりも下の高校に入学することが条件で、入学金や授業料が免除される。
私立高校の進学実績とは、本来その高校に入るべき生徒ではない生徒たちの実績である可能性がある。さらには彼らに複数の大学、例えば早慶上智に合格できる生徒に、合わせてMARCHを受験させる。あるいはMARCHに合格できる生徒に日東駒専を受験させる。つまり公立高校以上に私立高校が、こうした受験実績の底上げがなされているとは考えられないか?
つまりその学校の進学実績イコール受験指導の充実とはならない部分があるとは言えないだろうか。

三つ目は、その学校に対する保護者の満足度と、生徒たちの満足度の差だ。
一般的に公立高校に比べて、私立高校の方が保護者の満足度が高いように思う。
この部分に疑問がある。
保護者の満足度を上げることをマニュアルに近い形で優先しているがために、肝心の生徒の満足度を犠牲にしていないか?との疑問である。

結局のところ私立高校に出向いて、募集担当の先生と話をさせていただいたり、校内を案内させていただいて感じるのは、生徒のことを考えて運営しているというよりも、設置者一族とその周辺の人たちの裕福な生活を維持するための場、言い換えれば商業的な匂いの漂いをどうしても感じることが多い。
学校説明会の話にしても、どこまでが本当で、どこまでが嘘であるのか?ということを、聴力とは違う、心の察知をしてしまっている自分がいたりもします。

その学校は、東久留米にある。
東川口駅から武蔵野線と西武線を乗り継いで約一時間。線路沿いに続く学園町の中に、その学校はある。
幼稚園から最高学部である大学までが、東京ドーム何個分もの広い敷地の中に入っていて、創立100年の中で、いまも様々な分野で活躍する卒業生たちを輩出している。

「これだけの施設を、なぜこんな生徒数で維持できるのですか?」
と、案内を買ってくれた先生に聞くと、
「そう、私も初めてここにきた時に、同じ疑問を持ったのです」
との答えが返ってきた。

帰りに、隣接する喫茶店に案内されたが、その隣にはクッキー工場があった。
どうも学園の附帯事業の利益が、学園に入ること。そして卒業生や在校生からの寄付金があるという。
よくは分からないが、授業料だけでは維持できない施設の維持を、この学園なりのやり方で維持しているということだと思う。

何人もの生徒や先生方とも、話をした。
どの方たちも、こちらが、背筋が伸びるような、そんな品の良さを感じさせてくれた。
それも訪れたのは説明会等の日ではない通常の授業日だったから、学園内では日常の授業や生活が行われていたはずである。つまり他の私立高校でよくありがちな、説明会仕様でない通常の学園の様子であったのだと思う。
学園を後にして、駅への道を歩きながら、こうした私立学校は有りだと思ったし、もしかしたら本来の私立学校の姿が、ここにあるのではないかとも思った。

本来あるべき私立学校の姿とは、その学校の教育理念に賛同した教職員が集まり、公立高校にはないその学校独自のやり方で、生徒たちの人間的、学力的な成長を目指すことにあるはずである。
私立学校が有名大学への進学実績を求めることも有りだとは思う。しかしその学校独自の人間力の養成法がなければ、その学校の生徒たちは単なる点取りに夢中なだけの人間になってしまう。
その結果、卒業後に困るのは生徒自身であると思うし、やがて我が子の成長を期待していた保護者たちは大きな落胆を味わうことになるのではないか。

いま社会は、多くの人たちに他人に対する思いやりの気持ちや、本来人間が持つべき品というものをないがしろにするように求めている時代だと思う。
この地域の中学生たちの内面の変化は、もしかするとその表れであるのかもしれない。そんな時代の中での学校選びは、より難しいものになって来た。

2018年10月12日金曜日

子供たちに、必要なこと 2018.10

いまの時代を生きる子供たちにとって、必要な能力って、いったい何なのだろう?

きっと巷では、英語力という答えが圧倒的に多いはずである。
確かに今年、小学校の5年生からかなり本格的な英語授業が始まった。その内容を一言で言えば、中学の学習範囲を耳から理解させようとしているように僕には思える。これからもっと、英語という教科は学校での学習には欠かせないものとなっていくのではないか。
それから、国語力を求める保護者たちも意外に大勢いるように思う。
我が子が小学校の高学年に近づくにつれて、読解力の不足が気になる保護者がいるのだと思う。

ただこの読解力については、実際に塾で子供達を相手にしている者としては、やや疑問の気持ちを持っている。確かに読解力の問題は深刻だったりもするのであるが、生徒たちのやる気の問題に大きく関わっているようにも思えてくる。つまり明らかに読解力が不足している子供達もいるが、読解力の問題ではなく、やる気がないために問題が解けない、あるいは解こうとしない生徒も大勢いるのではなないか。
例えば算数の文章題を解こうとしない、国語に興味を持たない。保護者はすぐに読解力が不足しているのではないか?と考えがちではあるが、むしろ子供達のやる気の問題である可能性もあるはずである。
とはいえ、上のことに該当しない、読解力に問題を抱えている子供達もかなり多くいる。実はいま、自宅で小さな塾を長年続けている塾長には、この問題が悩みの種になっている。

僕はこのブログやFacebookで、ずいぶんとこの地域の小中学校の問題を書かせていただいている。初めは学力の問題ばかりが気になったいたけれど、いまではそうなってしまった原因を考えることが多くなった。
いま気になっているのは、読書をする子供達の割合が少ないことと、学力の関係である。
それを考えている僕にも、果たして読書の経験を持つ子供達と、学力の関係は分からない。ただ文章を読み取れる子供達であれば、成績をかなり上げられる自信はある。もちろんここにも、その子供達が現実に向き合えることができるか?という心の問題が最終的には関わってくると思うが、ある程度まで成績は伸びるはずである。
ここでのある程度というのは、川口高校合格(北辰偏差値53程度)のレベルではなくて、市立川口合格(北辰偏差値60程度)のレベルだと思う。もちろん平均偏差値がたいていは北辰偏差値4245程度であるこの地域の中学校の生徒達がである。

読書は、いろいろな人生を疑似体験できる場なのではないかと思う。
よく言葉の数を読書による成果と考える向きがあるが、読書はそのこと以上に、その時その時のストーリーの中で、自分がその登場人物であったなら、どう考え、どう行動するかを想像する場なのだと思う。この経験は、子供たちの精神状態をかなり成長させることになる。
一方読書の経験のない子供達には、それができない。自分が生きているコミュニティー以外の体験がどうしても不足してしまう。当然視野は狭く、家族や身近な知人が話すことが世界の全てであると考えてしまう。それは思考する力の不足を招き、想像する経験が乏しいから、学習意欲を奪うことにつながっているのかもしれない。

それと、いまの人工知能に代表されるコンピューターの発達によって起こる社会構造の変化が気になる。
就労人口の減少は、出生率の低下があるために致し方ないことだけど、その減少と就労人口の関係がどうなるのか? こればかりは小さな塾の塾長には、想像できない。
ただ識者によると、ルーチンワークというのだろうか? 決まりきった仕事のほとんどはコンピューターに代わられていくらしい。またホワイトカラーの仕事も、そのほとんどがコンピューターに代わられるという識者までがいる。
そこで気になるのは、いまの子供たちが成人となった時に、生計を立てるための仕事に就くことができるのか?との疑問である。海外では職場が大規模なオートメーション化を導入することで、仕事を失う事を危惧した労働者たちのデモが行われている模様が報道されているというが…。

小学生の頃から塾に来て、そこそこの高校に入り、一流ではないけれどある程度の大学を卒業し、途中で塾の講師もしてくれて、いまは英語が標準語の職場でSEをしているという若者は、久しぶりに会った酒の席で、
「いまの子供達がおとなになる頃には、仕事がなくなるんじゃない?」
と呟く僕に、
「いや、無くならないでしょう。だってめちゃくちゃ仕事が入ってくるから。本当に倍の数を採用してよ。というのが、職場の総意ですよ」
と言っていた。

これは日々仕事に追われながらの生活をしている彼の本音なのだとは思うけれど、塾長が心配しているのは、彼のレベルに達していない子供達の事だったのです。
地元の小中学校に通い、だいたい上位一割の成績で、彼は電車に乗り高校に通っていた。確か一年浪人はしたけれど、都心にある大学の社会学部か何かに進学し、就職活動の前に英語学校に通い、TOEFLだかTOEICだかは知らないけれど、わりと高得点をとって、子会社ではあるらしいけれど、とある外資系の会社の就職。周囲からは中国語訛りと言われているらしいけれど、社内では英語だけを使い、外人に囲まれて仕事をしている彼のレベルに達していない…子供たちのことが、どうしても気になってしまう。

もしかしたら、十年後二十年後は完全な格差社会になるのかもしれない。
忙しいほど仕事に追われている人たちと、真面目に生きてきたのに、仕事に就けない若者たち。
もしもそんな社会が十年後二十年後に訪れたとして、その格差は何によって生まれるのか?と考えると、それは単なる出身高校や出身大学の違いではなくて、溢れるようにどこからともなく湧き上がる数々の情報の中で、何が自分にとって有益な情報なのかを判断する力なのではないだろうか。そして判断した後で、何年か後の世の中を想像し、自分がいま何をすべかと考え、実行に移せる能力の差なのではないだろうか。
ごく最近まで、そうした能力は属するコミュニティーの中で、きっと人が教えてくれたのだと思う。人と出会い、知り合いとなっていく中で、そうした能力に長けた人たちがもてはやされた時代だったのだと思う。でも世の中はもう完全に変わった。人から教わるのではなくて、自分で自分の羅針盤を持たなくてはならない時代になったのではないか。

子育てにも同じことが言えるのかもしれない。先輩や知り合いの母親達からの情報で子育てをする時代は、もう終わりに近づいている。
溢れながらも、さらにいくらでも入ってくる情報の中で、何が我が子に有益な情報なのかを考え、判断する能力が必要になってきている。保護者のこの差は、きっと子供達の将来に大きな影響を及ぼすことになるのではないか。
そしてそれは子供たちにも同じことが言えて、もう中学校に入学した頃からは、自分で少しずつ判断する能力が必要になって来ているのかもしれない。
ではその能力をどこで身につけるかと言えば、スタートはやはり幼い頃の読み聞かせかだと思う。この読み聞かせの成果は、保護者がどこまで愛情を、聞き手である我が子に掛けられるかにかかっているように思うのであるが、ここで小学校入学後に読書が好きになるのか、嫌いになるかが決まる。

この地域に限らず、いまの時代を生きる子供達は、大多数がゲームを身近な遊びにしているようだ。大勢の大人も子供も、ゲームが蔓延しているコミュニティーの中で生きている。
ゲームを趣味にしたことがない私には、ゲームと学力の関係は分からない。ただここで気になるのは、コンピューターが私たちの生活や仕事に入り込んでくる十年後二十年後の社会は、意外に他人を思いやる気持ちが求められる時代なのかもしれないとの思いがある。
このことについて私は多くの根拠を持たないが、じっと社会を見渡してみると、
以前とくらべて出世や、それに伴う裕福な生活に対する憧れの気持ちが弱くなって来ているのではないかと思うことがある。
それと、コンピューターという名の機械相手の仕事が大半を占めるであろう、未来世界は、「上司」=「カウンセラー」的な役割が必要となるような気がしてしまう。

だから子供達に、ゲームに時間をめっちゃやからと取らせていてはいけないと思う。
子供達には、本を読む時間を与えなければならないし、さまざまなコミュニティーに参加させて、人と共に過ごす楽しさを教えなければならない。
そして自分で情報を取り、その選別された情報の中で、どのように生きて行くか? それを見極めて、実行に移す力を身につけなければならないのではないか。
安行という地で、子供達に学習を教えているだけの私が、なぜそんなことを考えているのかと言えば、いまの子供達が成人となる十年後の社会は、多くの人たちにとって、これまで以上に生き難い時代となっている可能性があると思うからだ。

2018年6月25日月曜日

蕨と浦和西の話2018.6

こんなことばかりを書いて、一体何の役に立つのだろうか?
あまり物事を否定的に考えない…ことを常としている自分であったとしても、やはり頭の中で、どうすれば元気な中学生たちを蕨や浦和西に合格してもらうか? そればかりを頭の中で考えてばかりいる自分は、この地域の保護者たちにとって、奇異な人間に映ってしまうのではないか? そんな思いを最近持ち続けている。

だって、例えばシローズに一番近い安行中の場合、蕨と浦和西の2校以上の高校に合格できる生徒の数は、たいていは5人程度ではないか。一番少なかったのは、確かいまの高校2年生の時で、その時はわずか3人しかいなかった。
それが現状であるのにも関わらず、僕は絶えず「どうしたらその2校に、塾生を合格させられるか?」ということばかりを考えている。
それで実際はどうなっているのか?と聞かれれば、様々な壁にぶち当たって、現高1生まではやはりごく数人しか合格者は出ていない。
でもいまシローズに来てくれている1年生と2年生をそれぞれ、頭の中で思い浮かべた時、半数以上の生徒に合格の可能性を感じてしまうのはなぜだろう?
それが僕の幻で、これから訪れる様々な障害物によって夢破れてしまうものなのかもしれないし、意外に生徒たちの持つ素直さとひたむきさによって、簡単に叶うことなのかもしれない。

どこの高校を受験し、どこの高校に入るのか? ということは、僕の管轄などではなく、保護者と生徒自身に決定権があるのは分かり過ぎるほど分かっていることではあるけれど、学力の低下と地域格差によって、保護者自身が我が子の進学先を入り易い高校に求めて、合格時に良かった良かった…と大喜びし、そしてその時点で我が子の可能性は小さくなってしまっているのにも関わらず、その後の我が子の人生に大きな期待を寄せようとする様には、やはり異様な世界を感じてしまう自分がいる。
だから僕は、これからもシローズに来てくれている元気な中学生たちを、蕨や浦和西に入ってもらう方法をいつも考え続けるのだと思う。


この地域に住む、我が子を中学校に通わせる保護者たちが、安心して通わせられる高校はどこなのだろう?と考えてみると、浦和西と蕨の2校が思い浮かぶ。
それより高いとやはり学習面で付いて行くことへの不安があるし、またそれよりも低いと、その後の人生の職業選択等のことで、諦めなくてはならないことが多く起きてしまう可能性が出てきてしまう気がする。それにこの2校は、これから先の高校入試の変革を考えたとしても、おそらく小学校の時代に特別な学習の経験がなかったとしても、中学入学後の学習だけで合格できる可能性の高い高校である。
もしも中学入学後の学習だけでは入れない要因があるとすれば、それは家庭内で話される言葉のボキャブラリー数が極端に少ないか、小学校の時期に読書の経験がほとんどないか、あるいは家庭内やその生徒自身に何らかの問題がない限り、この地域の中学校に通うほとんどの生徒たちにとって、合格の可能性があるものだと思われる。

この地域で、この2校への合格者がなぜ100人に数人という数字しか出ていないのかといえば、それは何が標準なのか?との解釈が、この地域の場合、国の標準から大きく逸脱していることが原因なのだと思う。なぜ国の基準から逸脱しているのかといえば、子供たちの「何が正しくて、何が間違っているのか?」を認識する判断の基準が、小学校入学後から標準の認識からずれてしまっていることが原因だと思う。これについては、保護者をも含めた周りのおとなたちの責任も大きいはずだ。
でもそうした子供たちであったとしても、理想的な指導者に出会ったときに、その指導者の熱意をしっかりと受け止めようとする…素直さがあったとしたら、そして受け入れたことをしっかりやり遂げようとする…ひたむきさがあったとしたら、きっと状況は変わってくると思う。それが叶ったとしたら、前述の2校はかなり合格に近づいてくるものと思われる。

ご主人が官僚で、しかも我が子が有名私立高校に通わせている私の取り合いは、例の国会に招致された官僚たちの問題を、受験勉強の成れの果て…との言葉で話していた。
きっとそれくらい、どこの学校に入学するか?ということが、その人間の人生に大きく影響を与えてしまうものだと思う。考えてみれば、関西の超有名進学校は大学の合格実績は ◎ であるものの、やけに利己的な生徒ばかりを輩出する嫌いがあるという噂は聞いたことがあるし、一部の私立の中高一貫校でも、中学からの入学者よりも高校からの入学者に可能性を感じる…と言い放つ学校関係者は意外と多い。こうした学校では以前から何を問題にしているのかといえば、小学生からの、目の前に吊るされたニンジンを追いかけろ…というような異常な受験勉強によって傷んでしまった心をケアーし、たくましく成長させるためには、学校独自の文化に立脚したノーハウが必要だということだと思う。そしてそうした学校文化を持つ進学後はかなり少ないのが現状のようである。

では、小学校の時代に異常な受験勉強をして来なかった子供たちの受け皿となる公立高校はどうかというと、ここにもやはり問題が渦巻く現状がある。
市内の公立高校を見ても、偏差値50を少し超えたある高校では、学校全体が生徒たちに誇りを持たせることを高校の教育方針にしているようで、生徒によっては自らに対する社会の評価に即したプライドを持てずに、大学進学後の進路選びで苦戦している卒業生たちが多くいるようである。
60近いもう一つの方はというと、やはり進学校という旗を掲げながらも、以前から続く商業高校の文化が色濃く残っているようで、市内ナンバーワンの高校に近づくにはまだまだ時間が掛かるのではなないか。
そうした状況を考えると、やはり浦和西と蕨という2校は、私には光って見えてくる。まずこれまでにたくさんの卒業生たちが作ってきた文化がある。そしてここが大切なところなのだと思うのだけれど、2校は極端な進学校ではない。
蕨高校の場合、最新の進学実績には国公立大学現役合格81名とあるが、合格者の人数が多いのは埼玉大学、埼玉県立大学、首都大学東京といったところで、その他の合格大学はほとんどが地方大学である。そして早稲田、慶應、上智の合格者は30名ほどしかいない。日大と東洋の合格者が一番多くなっていることから、日東駒専レベルがある程度合格保証できるレベルというのが、蕨高校のレベルなのだと思う。そして蕨高校の合格実績よりも1割から2割ほど合格者が少ないのが浦和西の状況のようである。

かなり前から高等学校の予備校化…との問題が叫ばれている。高校側が極端な進学実績を上げようとすることによって、人間形成をする上で本来とても大切な時期であるはずの高校教育の場が、教育とは無縁の予備校のような場になっているとの指摘である。おそらく前述の2校には、そうした問題はないだろう。たぶんたいていの保護者たちがイメージする高校生の生活の場が、この2校にはあるのではないか。
そして卒業後は生徒のほとんどが大学生になると思うが、社会の中で平均的な幸せを得るという片道切符をほとんどの場合、卒業生たちは得られるはずである。我が子が受験勉強の成れの果て…でもなく、わずか大学卒業の年に社会の中での自分に対する評価と、自らのプライドとのギャップに苦しむことのない人生を送るには、やはりこの2校がちょうどいい塩梅なのではないか。

いま僕は、シローズに来てくれている出来るだけ多くの生徒にこの2校に進学ができないものかと考えている。3年生はもう時間的に難しいように思われるが、1年生、2年生にはまだ時間がある。そして2校への受験と合格のためには、学習の時間という絶対量と、生徒の気持ちの部分がどうしても必要になってくるのだと思う。

ではこの地域の中学生たちが、この2校に合格するためにどれくらいの勉強をすれば良いかと言えば、シローズであれば、中1で4日、中2で5日、中3で毎日という学習量だと思う。
3日、5日、毎日というのは、彼らが1週間に授業も含めて塾で学習する日数である。中1は夜9時まで、中2・3は夜10時までという時間である。
部活を終えて、そのあとの塾という生活を心配する向きももちろんあると思うが、中学生たちの体力というのは、きっとこうした生活にもある程度は対応できるはずである。それに塾に来なかったとしても、彼らはテレビにゲームと携帯という生活の中で、12時頃近くまでは床に付かない子たちが多いのではないだろうかと思えてくる。

生活の中での優先順位の一番か二番を塾での学習において、素直さとひたむきさを持って臨んでくれれば、そして保護者の皆さんが、我が子の思いに答えようとする意志さえあれば、蕨と浦和西の2校は決して遠い存在ではなくなるのではないか。
もちろん細かなことはたくさんある。英語と数学をどんな風にどれくらい勉強してもらうとか、もしも読解力が弱ければどうするか?など、きっと小さな軌道修正の連続となるであろう。でもその生徒にこちらの話を素直に受け止めようとする力と、毎日ひたむきに頑張る気持ちさえがあれば、2校を合格圏に入れることは、決して不可能ではないと思う。ここで警戒しなくてならないのは、もしかすると保護者たちの批判癖なのかもしれない。

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2018年6月16日土曜日

英語でなく、国語の世界2018.6

いまの高校1年生から大学入試が変わる。
よく言われているのは、センター試験がなくなり、英語では民間の試験が導入されるという。ここで言う民間の試験には、「書くこと」、「読むこと」、「聞くこと」だった現行の試験に「話すこと」が加わるという。その影響からか、英会話をメインとする塾に通う小学生たちが増えてきているらしい。
ただ具体的にどんな問題が出てくるのか?ということに関しては、高校の進学担当の教員や、予備校等で教鞭を執る一部の人たちにしか分からない。いや想像できない…というのが現実ではないか。小学生や中学生、そして現高校1年生の我が子を持つ一般的な保護者には、???…というのが正直なところだと思う。ただ今回の大学入試改革は、非常に大きな改革であり、その後に小学校や中学校の指導要綱が変わることからも、わずかな変化などではなく、もしかすると、これまでの「勉強ができる」という言葉の意味を変える変革になる可能性がある。

主に高校受験の生徒たちに学習を教えるシローズでも、やはり塾長はかなりこの大学入試改革に敏感になっている。今年から一部のクラスで、英語の授業の時間を倍にしてみたり、夏期講習で国語の授業時間を増やしているのも、そして来年からは小学生の英語クラスを新たに作る準備をしているのも、この大学入試の変革が高校入試に影響を与えるであろう…変化と、一般的に言われる「勉強ができる」という言葉の意味に変化が訪れるであろうことを見越してのことだ。
では高校入試の場において、何が変わるのか?というと、まず問題文が複雑になり、その量が増えてくる。国語だけでなく、国語力とは無縁だったはずの数学や理科そしてある程度は関係していた社会まで、問題文の量が増え、文章が複雑になってくる。
あと英語において、入試問題中の高得点を取るには、どうしても語彙力(ごいりょく)が必要になってくる。問題中の長文が長くなったり、より長文自体が複雑になったことで、単に知っている単語の数ではない…広い理解が必要となってきているように思う。

それと中学校の学習範囲ではない時事的な問題が出される可能性がある。例の日大のアメフト部の問題に絡めて忖度のことだとか、国会で審議されている…18歳成人についてなどということが県入試に出されるかもしれない。それも受験生たちに、それについての意見を述べよ…的な種類の問題が出される?。
例えば国語の作文で、AI(人工知能)についての意見を述べよ。とか、この種類の問題は英語の英作文や社会の問題で出される可能性があるし、数学や理科でもAIに関連した内容が出される可能性は大いにあると思う。
そのためにはご家庭でどのくらいの時間、NHKのニュースを見ているのか?などということが高校受験の合否に関わってくると思うし、例の英語の語彙力や国語の読解力のためには、ご家庭の中で話されるボキャブラリーの豊富さなどということが問われてくるのではなないか。
シローズでも塾長としては、もうテキストの解答を読み上げるだけの講師はいらないと思っている。解答に関連して時事問題を説明し、それに対する質問が聞ける。あるいは講師がそのタイプでないとしたら、生徒たちの心の声に耳を傾けるような講師が必要となってくるのだろう。

結局のところ文科省や知識人と呼ばれる人たちは、学校教育を社会に出てから役立つ内容に変換することを考えているのだと思う。そしてこのことは、かなり大きな変革になる可能性がある。
どうしても気になってしまうのは、社会の動きに敏感反応できるご家庭の子だけが流れについて行くだろうし、それとは反対に社会の動きを敏感に読み取る力がないご家庭では、子供たちは時代に取り残されてしまうのかもしれない。塾にも同じことが言えるのだろう。これまでのように安易にテキストを進めるだけの塾は生徒を大いに減らすだろうし、安易に教えたいことだけを教えるようなな塾も同じだろう。世の中の流れを敏感に感じ取れる塾だけが、生徒を集め続けることになるのではないか。
やっぱり国語なのだと思う。国語力でもなく、子供たちの日本語の語彙力を形成させる環境がどうしても家庭には必要となってきている。日本語の語彙力が英語も社会も、関連が薄いと思われがちな数学や理科であっても、かなり必要になってくるはずである。
埼玉県では、英語のリスニングや英作文、そして国語の作文の配点が上がってくると思われるが、大学入試とは違って、「話す力」を問われるまでにはまだまだ時間が掛かるはずである。
ということは、小学生たちが習う英会話にどれだけの価値があるのか?ということが、やはり疑問になってきてしまう。リスニングは高校入試の場で問われてはいるものの、いま問われているのは英語に親しむことでなくて、英語の語彙力の方だと思う。その語彙力を身につけさせるのに必要なのは、日本語の言葉の数ではないだろうか。
それを思う時、ご家庭の判断の重みをどうしても考えてしまう。

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2018年6月1日金曜日

「志望校合格2018.6 中3の11月までは英語と数学に集中する」

来年の228日木曜日に、いま中学校に通う中3生たちの公立入試が行われる。誰もが合格することを望み、不合格となることなど少しも望んでいないはずである。
ではどうすれば合格できるのかというと、ただ学習時間を増やせばいいというわけでもなく、何の教科にどんな内容の学習をどんな風に行っていくのか?ということが重要になってくるのだと思う。とくにいまは、小学校からの学校授業が2020年の大学受験改革に向けて動いている時であり、昨年の入試では川口北以上の受験者たちの入試問題である選択問題の英語で、大きく難易度を上げた。でも考えてみると、数学はゆとりの教育が定着した15年以上前からかなり難易度と問題の視点を変えてきている。他の教科はというと、国語でも理科でも社会でも記述問題が増えていくだろう。この3教科は年によって難易度を上げることがあるのかもしれないが、とはいえ、ほとんどの中学生たちにとっては、英語と数学の2教科の成績が、他の3教科の成績に反映されるようである。
反映されるとは、国語・理科・社会の得点が英語と数学の得点に近づくという意味である。シローズの生徒たちの場合、毎年中3の10月、11月の3科の成績が12月、1月の5科の成績にかなり近づいている。たいていの場合は10月、11月の3科の塾内での順位が、1月の最終の北辰テストの5科の塾内順位になるという状況が毎年見られているのだ。

これは国語・理科・社会という3科の学習をしなくても、英語と数学の学習の成果によって自然に成績が上がってくるという意味ではない。やはりある程度は行う必要がある。ただやはり国語という教科はたいていの場合、英語・数学の学力を形つくっているという意味合いがあるし、理科と社会においては、英語と数学ほど高校受験に対応できる学力を身に付けることに時間がかからないという側面があるように思う。
シローズの場合、上位の高校へ受験する生徒に対して、できる限り中学2年生からの理科・社会の授業の履修を進めている。また国語が英語と数学に比べてひどく学力差が出ている生徒に対して、中3の2学期に集中的な学習を行わせているという状況もある。
そして入試の実施が2月末から3月の初めになっているという現在の埼玉県の現状を思うと、私立高校の受験が終わる1月23日頃から2月いっぱいまでの30数日がある。国語・理科・社会の3教科の中で苦戦している科目がある場合には、この期間に集中的な学習を行うこともできるはずだ。

なぜシローズが、中3の塾生たちに英語と数学を中心に学習させているかといえば、それはこの地域の地域性が関係しているように思う。
2学期になり、あと志望校まで偏差値を3上げなくては…となった頃、なぜだか英語と数学の偏差値が下がりだすという状況が、この地域にはよくあるようである。英語では長文の問題が難しくなり、数学では図形の問題の出題が増えてくる。きっとそれに対応できなくなるのだと思う。
シローズの場合、英語と数学で2学期以降の北辰テストで70の偏差値を取れる生徒が減ってきた。1学期には何度か70を取れていた生徒が9月以降、とくに11月以降になると65から68くらいの偏差値に、また60の偏差値が取れていた生徒が57から59程度で安定してしまうという傾向が出てきている。この辺がこの地域の中学生たちの浦和・大宮・一女への合格を難しくしている要因だし、同様に市立川口や越谷南への合格を難しくさせている要因になっている。

だから高校受験が5教科で行われるかと言って、比較的成果が出やすい理科と社会の学習に集中するのはとても危険である。その生徒の得点の状況にもよるが、11月までは英語と数学の学習の割合を7割以上、12月でも5割以上、年明けから私立入試までが10割、私立入試後から公立入試までが英語と数学が3割で理科・社会が6割、国語が1割というところがベストな割合ではないだろうか。

それから、あまり毎回の北辰テストの科目別の結果に、保護者が右往左往されない方がいいと思う。国語が上がれば…とか、社会がこうなれば…とか、受験の度に返却されるデータを見ながら、科目別の学習の割合を子供たちに指示する保護者が最近増えてきているように思う。私立の確約の時期になると、なおさらこうした傾向が出てきている。気持ちは分からないわけではないが、お子さんの学習の状況と出される問題の傾向によって、やはりこの時期の偏差値は小さく(3から4程度)上下動する。もしも大きな上下動(8程度)であれば対策を考える必要はあると思うが、小さな上下動は目を瞑るべきである。何よりも、受験生であるお子さん自身が自分の成績の状況をしっかり把握できるようになるというのが合格の条件になるのではないか。

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