2017年3月26日日曜日

県入試は暗記が通用しない…時代になった

高校受験が終わり、毎日のように顔を合わせていた生徒たちが元生徒になり、何人かの不合格者が出てしまって、その人数自体は、その学校の受験倍率を考えれば、たぶん言い訳はできる数字ではあるのだろうけれど、やっぱり彼らが塾で見せてくれた笑顔を思うと、心の中が苦しい思いで満ちてしまう。そんな塾長がいるわけです。それでそれからというもの、ああでもない…、こうでもない…との思いが、私の胸の中から消えてなくならなくて、いろいろと思いを巡らせています。

シローズの生徒が一番多い安行中学校では、川口北以上の高校で例年よりも多い不合格者が出ている模様。というか、ほとんど合格していないのではないか…と思えるほどの不合格者が出ててしまっているらしい。幸いなことに、シローズの生徒にはこのレベルの高校で不合格者は出ていない。彼らは英語と数学の選択問題にも、どうにか立ち向かって合格を手に入れている。ただそれ以下の高校では数人の不合格者が出ている。不合格者の中には、入試前の北辰テストと塾での学習の状況から、不合格を心配して、保護者と相談させていただいた生徒もいる。そうかと思えば、私が合格の可能性がかなり高いと思っていた生徒にも不合格が出ている。後者が気になっている。もしかしたら前述の安行中学校での不合格者にしても、入試直前の塾での学習の様子にしても、北辰テスト等の結果でも、不合格の可能性がほぼない生徒が含まれているのではないだろうか。

埼玉県の公立入試は難しい。全県的に見ても難しい類の問題ではないか。そして深い。この深いというのは、北辰テスト等で高偏差を取っているからといって、入試で高得点を取れるとは限らないことを意味する。
そもそも安行中等、シローズの近くの中学に通う生徒たちは内申点に恵まれていると思う。もしも現状の学力のまま他の中学に通えば、学期の通知表(当然、内申点も)はかなり下がるに違いない。したがって前述の生徒たちが内申の低さで不合格になったとは考えにくい。そこで一つ思うのが、彼らが北辰テストや校長会といったものでは得点が取れても、県入試の問題では得点が取れなかったのではないかとの思いである。実はこうした北辰テストでA評価が出ているのにも関わらず、入試で不合格になっているという生徒は意外に存在している。
一つは内申点の問題がある。でも中にはA評価で高内申点にも関わらず、不合格となっている生徒がときどき出ているようである。特に最近その傾向が高くなってきている。高くなっている原因は、おそらく小学校からの授業が、頭を使う。あるいは想像するものではなくて、先生の話を聞くという作業になっていることが原因ではないだろうか?

彼らの学習の特徴は暗記である。人より優れた知能指数を使って、学習内容をひたすら頭に入れようとする。これによって、まず中学の定期テストでは高得点が取れる。そして中学校内の実力テストや校長会、そして北辰テストでも高得点・高偏差が取れる。したがって、上位の高校を受験することになる。しかし入試では取れない。取るための発想力や思考力が養われていないからだ。

いま小学校高学年以降の学校授業は、2020年の大学入試改革の方向に向かっている。県入試がその影響を受けて、発想力や思考力の方向に進んでいても不思議ではないと思う。
数年前、ある塾生が県内の最上位校の一つを受験した。12月と1月の北辰偏差値は70を上回っていた。内申もほぼ45。落ちるわけがないと本人は思っていたと思う。でも僕には不安だった。「あなたのやり方は落ちるよ」と直接言ったことがあった。ただ彼女は改めてはくれなかった。内申が45で、北辰でA判定が出ているのだから、自分は合格するものと思っていたはずだ。でも不合格になった。なぜかといえば、彼女は北辰の問題を研究し、北辰で高偏差を取るための暗記に終始していたからだと思う。彼女の数学の得点の取り方がそうだった。彼女は考えて解くというよりも、問題をパターン別に理解していくという傾向があったように思う。そして他の生徒たちが必死に問題の演習を重ねているときに、問題演習をおろそかにしている時期があった。それが彼女に発想力や思考力を身につけさせなかった理由だと思う。
普通であれば、60程度の偏差値しか取れなかったはずである。でも彼女には、高い知能指数があった。だから本来は60程度の偏差値しか取れないはずの彼女が、偏差値を70まで上げることができた。でもそれでは、入試問題は解けない。
解けた時代もあった。おそらく10年以上前の入試問題であれば、彼女は高校に合格したのではないか? でもどうも、そうはいかない時代になってしまったようである。

そして問題なのは、この辺の事情は、保護者の方に伝わりにくいことだと思う。どんな入試案内にも載っていない。でも明らかに、そうしたことが起こる時代になってしまったようである。