2013年5月25日土曜日

「1と2のこわい話」




 別に悪気があったわけでないと思います。きっかけはたぶん、ちょっとしたふざけ心だったのではないでしょうか。ちょっと格好付けていただけなのかもしれませんし、まあこの年代の人たちには良くあることのようにも思えます。でもやはりここまではという常識を、彼は破ってしまったのだと思います。それも複数回にわたって…。
 何をかというと、まず授業態度。3年生になってから、明らかに彼はある授業のときにふざけていたように思います。それも授業妨害に近い形で、勝手なことを口にしては、クラスメイトたちから笑いを取っていました。それに提出物、その教科の提出物を、彼もクラスの中心的な生徒たち同様、今学期は一度も提出しませんでした。
 そんなとき、いま中学校の先生たちは成績に関係なく容赦なく「2」や「1」をつけます。確か定期試験でほぼ同じ点数だった、真面目で有名な◯×くんは通知表で「4」がついたのに、なぜか彼だけは「1」がついていた。提出物を出さなかったのは、彼だけではなかったはずなのに。仲の良い同じクラスの◯△や△△だって、提出物を出していない。それなのに、彼らには「2」が付いた。なんで自分だけが「1」なのだろうか? 彼は不思議に思いながらも、間もなく始まった中学校最後の夏休みの楽しさで、そのときに味わったひどいショックはすぐ忘れた。

 上の様な状況というのは、たぶん安行地区・新郷地区の中学校でよくあることだと思います。どのクラスでもたいてい、複数人の「1」を取る生徒が出ているようですし、北辰テストで60以上の偏差値を取るような生徒であっても、「2」を取る子は比較的多いようです。しかし不思議と、「1」や「2」を取ってしまった生徒たちに不安はないようです。同じクラスの〇〇や××も取っているから、自分だけではない。そんな理由もあるのかも知れません。

 ただ高校受験を考えたとき、「1」や「2」の評定は大きなマイナスになります。これはたぶん、受験生となる中学生たちやその保護者の皆さんが考えている以上に大きすぎるマイナスとなり得ます。
 いま埼玉県公立高校入試は、入試得点に内申点(通知表の評定を元に各学年末に通知表とは別に評定される各教科「1」から「5」までの数値)や資格(例えば英検や漢検等)、そして活動(生徒会や部活の部長等)といったものを積み上げて、その高さを数値化した点数で合否を決めていると言われています。入試得点に比べれば、内申点や資格や活動といったものは、かなり低い高さで表されているようですが、やはり「1」や「2」があると、その分を入試得点でまかなう必要が出てきてしまいます。それが合否を不確実なものとしてしまうわけです。例えばある生徒が川口北校(平成24年度入試平均偏差値62.1、以下平成24年度入試平均偏差値を省略)を目指しているとします。12月と1月の北辰テストで5科63、65の偏差値を取ったとすれば、普通ならばたいていは川口北校を受験すると思います。ただもしもその生徒の内申に「2」があったとしたら、私はその生徒が川口北校を受験することにストップを掛けると思います。たぶんご家庭に電話をして、「合格が難しいかもしれない…」。そんな言葉を保護者に話すと思います。それに対して、もしも保護者が「私立も覚悟しています」と言われればGoだと思いますが、もしも保護者の言葉が「公立に入ってもらいたいと思っています」という言葉だとしたら、私は越谷南(59.9)か浦和南(57.4)あたりを奨めると思います。本当は越ヶ谷高校(61.2)と言いたいところなのですが、やはり「2」があるということが、私を不安にさせるのだと思います。
 もしも「2」ではなく、「1」だったとしたらどうするか。上の12月、1月の北辰の偏差値が5科63、65の生徒であったとしても、たぶん市立川口(57.1)への受験も不安になるのではないかと思います。そればかりでなく、「1」を取ってしまったという事実が、高校生活自体がはたしてこの生徒に続けられるのかということに不安を感じるかもしれません。そう、いま中学・高校の先生方も含めて受験に関係する仕事に就いている大人たちは皆、「2」や「1」という評定を取る子どもたちに対して、社会不適格者的な見方をしている部分が多分にあると思います。高校側にとっては、「1」を持つ生徒を中退予備軍と考えているようにも思えます。

 実際に私立高校では、「2」や「1」の評定を持つ受験生の受験を大多数の高校で受け付けてくれなくなりました。各高校で2学期に行われる個別相談(1学期の通知表と北辰テストの結果書類を持ち、私立受験校を訪問。その場で一定レベル以上の受験生には合格の約束がもらえる)で「2」を持つ生徒には確約を出しはもらえませんし、「1」がある生徒は、確約どころか受験自体を断るケースがほとんどとなってしまっています。
 以上のように、「1」と「2」は怖いです。そしてそれが中学生たちの悪意のない、ちょっとふざけ心によって起きてしまうということを、私はとても怖く感じています。



 

2013年5月11日土曜日

「算数と数学の間違った学習の仕方」


 算数と数学の勉強の仕方について書かせていただきたいと思います。
 シローズの生徒たちは、わりと算数や数学ができると言われているようですが、思うように成績が上がらない、または成績が上がるまでにかなり時間が掛かってしまう子たちもいます。そういう子たちは、次のような特徴があるような気がします。
 それを書いてみますと、

    1. 授業中の講師(たいてい算数と数学の指導は塾長である私が行っていますが)の説明
  が習慣として頭に入らない。言い換えれば、小中学校の授業中に、先生方の説明を聞
  いて理解するという習慣ができていない。
     「だいたい聞いている」とか「だいたい分かった」と、口にしがちな生徒たちが、これ
  に該当するのかもしれません。もっと言ってしまえば、授業をしっかり理解できてい
  ない状態が普通になってしまっている状況といえるかもしれない。

   2. 家庭学習が定着していないために、授業中に講師が「ここを復習して直して来て」、
  あるいは「◯◯から△△が宿題です」と言った内容をほとんど行わない状態で次の授
  業に出てしまう。

   3. 問題を解くときにテキストや教科書の例題を見ながら、あるいは自分のノートから過去
    にやった類似問題を見ながら解くという習慣が身に付いてしまっている。このために塾
       の授業で講師が「自分で考えるんだ」という話を聞いても、宿題に追われている状
       況の中で、ついつい例題や類似問題を見ながらという習慣から抜け出せない。

 上で書かせていただいた中で、それぞれが深刻な問題だと思うのですが、比較的1と2の内容というのは、時間を掛ければ解決できる問題だと思います。実際に今年の4月に入塾した生徒の中に上の1と2に該当する生徒がいましたが、保護者の皆さんの協力によって、一月あまりが経ったこの時期、だいぶ改善されてきています。
 私たちが手を焼いてしまうのが、実は上の3に該当する生徒たちです。彼らの場合、わりと定期試験の点数が高いという特徴があります。そのことが、彼らの算数や数学の学習の仕方の訂正をしにくくさせているという面があると思います。生徒である彼らにとってみれば、80点から90点の点数を学校で取っているのですから、今さら勉強の仕方を変える必要はないと考えてしまうのは当然のことだと思います。それが塾に通い出した途端、「その勉強の仕方は間違っている」と言われてしまっては、彼らのプライドは傷つくし、せっかく出来かけて来た塾の先生たちとの信頼も壊れてしまいそうになるのではないでしょうか。ただそれでもその勉強の仕方を直さないと、将来的に困ることになってしまいます。
 一番最初の困難は、中2の2学期の初めに来ます。一次関数の単元で、中学校で教える解き方とは違う解き方を教えなくてはならない箇所があります。中学校で教える解き方とは違う解き方という書き方をしましたが、中学校で教わる解き方でも解けないことはないと思います。でも時間が掛かってしまうんですね。模擬試験や入試は制限時間がありますから、中学校で教わる解き方をしていては制限時間内に終えることができない。そのためにシローズでは、この単元の底に隠れている知識を引っ張りだして解くことを教えています。ところがいろんな知識を引っ張り出さないといけないために、例題や前に解いた問題を参考にして算数や数学を解いてきた生徒たちにとっては、頭の中が混乱してしまって、パソコンでいうフリーズ状態(固まる)?になってしまうのだと思います。
 こんなとき、保護者の方たちはひどく動揺してしまうようです。
  「いままであんなに数学が得意だったはずなのに、急に分からなくなった。塾に通っているのにどういうことですか」
    でもそれにはやっぱり理由があるんですね。その理由というのが、上で書いた3の勉強方法だと私には思えます。
 ちょっと話が変わるのですが、算数や数学という科目は、以前に学習した内容が次に学習する単元の基礎知識となってしまう科目だと思います。例えば小学校の学習範囲で、分数のわり算は分数のかけ算が理解していないと、理解できない単元です。中学校の学習範囲でもそれは同じで、中学1年生・2年生で学習した内容が分からなければ、中学3年生で学習する範囲を理解することができないように思います。
 ところが中学のカリキュラムは上手くできていて、中学1年生と2年生で学習する数学の単元は、大方似通っている内容となっています。中学入学後すぐに勉強する「正負の数」とその次の「文字と式」は中2の「式の計算」の単元で復習できます。それから中1の「比例と反比例」は中2の「一次関数」で、中1の「一次方程式」は中2の「連立方程式」である程度まで復習ができるはずです。あと中1範囲では、「平面図形と空間図形」の単元が残っていますが、たぶんそれは受験前の総合問題の演習で復習ができると思います。
 ところで保護者の皆さんにとっては、いつ頃までにお子さんを塾に通わすべきかとの疑問があるのではないかと思います。数学という科目で考えたとき、中学2年生の早いうちまでの入塾が必要だと思います。よほどできる(中学の成績が良いのではなく模擬試験の偏差値が高い)生徒は別だと思いますが、一般的な生徒たちにとって、数学という科目に限定した場合には、やはり中学2年生がリミットだと思います。それも出来るだけ早い時期に
 中学の中間・期末テストのレベルとは違う、最近の公立入試レベルでの中1範囲の復習をしながら、中2範囲の入試レベルの学習をするには、もうこれが最後のチャンスになってしまいます。そして例題や過去に解いた問題を参考にしながら問題を解くという悪い習慣を身に付けている生徒たちに、考えて知識を総動員させて問題を解く習慣を身につけさせることで、中1・中2範囲の数学知識を一気に公立入試のレベルに押し上げることが出来るはずです。もちろん安行地区や新郷地区のように、小中学校の授業のレベルが異常に低くなっている地域限定での話ではありますが、
 
 もう一度話を戻します。上の3の勉強方法を気づかぬうちに身に付けてしまった生徒であっても、中学2年生の終わりまでは数学が得意科目となっている人たちがいます。つまり中2の2学期の「一次関数」の単元が無事にクリアーできたわけです。たぶんその生徒たちは、知能指数がかなり高いのだと思います。ところがそういう生徒たちであっても、中学3年生の7月か9月の模擬試験をピークに数学の偏差値が急激に下降しはじめます。中学の定期試験は2学期の中間か期末までにはたぶん下がってくると思います。
 こうした場合、焦り出すのは生徒本人と保護者です。なぜこんなことになってしまったのかと途方に暮れているうちに、志望校を決める時期になってしまいます。「◯◯高校も合格圏なんだけれども、△△高校を受けようと思う」とか「大学受験を考えて私立を受ける」、そんな言葉が志望校を決めるこの時期に飛び交うのも、数学の偏差値の急激な低下と無関係ではないのではないでしょうか。
 そしてそのことは、実は大学受験にも大きく関係します。国公立大学の場合、文系の大学受験であってもセンター試験で数学の受験が必要です。ただ中学3年生までに、数学が苦手科目となってしまった生徒たちにとっては、高校入学後の数学授業はかなり苦痛となってしまうのではないでしょうか。その結果が国公立大学を諦めて、私立大学への受験に絞るという結果に繋がっているようにも思います。
 ただ何度も書かせていただいた3の算数・数学の勉強方法なんですが、現在の小中学校の学習指導ではやむを得ない部分もあるように思います。去年だったか、近くの小学校で算数科の研究発表がありました。幼稚園の関係で出させていただいたのですが、発表の内容が、いかに落ちこぼれを無くして最低レベルの授業を維持していくか。そこに先生方の関心が向かってしまっているように思えました。そうすると小学校での算数授業は、算数が苦手な生徒も答えられる質問を先生方が児童たちに投げかけて、それに児童たちが手を上げて答える。それから誰もが解けるレベルの問題演習。知識をフル動員して考えるような指導は、もう期待できる状況ではないのかもしれない。その結果が例題を見ながら、一度解いたやり方を見ながらという習慣に結びついてしまっている理由の一つなのかもしれません。そして小中学校での評判が良く、素直でおとなしい子ほど、そうした算数・数学の学習方法を身に付けている子が多いようにも思います。




 

2013年5月7日火曜日

「必要なのはギアチェンジだけかもしれない」


「もしかしたら、必要なのはギアチェンジだけなのかもしれない」
 先日のこどもの日、朝からTVでは国会議員や教育評論家たちが教育問題について討論をしていました。その番組の最後で出演者たちがまとめのコメントを話すのですが、どの方も「これから始まる世界的な競争社会を生き抜くたくましさ…」との言葉を口にしていたのには驚かされました。やっぱり誰もが、今後を生き抜く難しさを感じているということなのだと思います。とくに今の子どもたちが社会に出て行く将来には、その競争がさらに激しくなるということなのかもしれません。

 もう一つ教育に関連した番組が、別のチャンネルでその後に放送されていました。マレーシアは今、不動産バブルの真っ只中にあるといいます。中国人や日本人が投資目的でマレーシアの不動産を盛んに購入している。
 その番組の中でマレーシアにできた世界的に有名な小学校に子どもを通わせている日本人の話が紹介されていました。家族でマレーシアに住む方たちには好都合なのかもしれませんが、父親は日本で仕事、母親と子どもたちだけが最上級の教育を求めてマレーシアで暮らすという家族の話です。教育費はそれなりに掛かるといいますが、物価が安いためにサラリーマン家庭であっても、日本とマレーシアの二重生活が可能ということらしい。
 世界的な競争社会、それから最上級の教育のために母と子が父親と分かれてマレーシアに住む。この2つの事柄を頭のすみに置いたまま、私は昼間の勤め先である幼稚園へと向かいました。この日は、安行スポーツセンターで開かれている「みどりの地球号in安行」に年長の子どもたちが出させていただいたんです。
 初夏を思わせるような強い日差しの中、元気な年長の子どもたちがリズムを踊っています。その周りでご家族の皆さんがニコニコとした笑顔で、子どもたちの様子を眺めています。お母さんだけでなくお父さんも、そして年長児たちのお兄さんやお姉さんたちも、中にはおじいちゃんやおばあちゃんたちまでがニコニコ笑っている。それにこうした行事になると、急に身体が大きくなった(実際には数年という歳月が経っているはずなのに、私には彼らが幼稚園に来ていた時間がついこの間のように思えてくる…)卒園生たちと顔を合わせることになります。
 年長の子どもたちも、それから幼稚園を卒業した子どもたちもみんなとても元気でした。そして明るく、どの子も健康で体力がありそうです。その上、身近で子どもたちの成長を暖かく見守るご家族がいる。そのとき私が思ったのが冒頭の言葉でした。

 「もしかしたら、必要なのはギアチェンジだけなのかもしれない」






 安行地区の小中学生たちは、昔から学力が低いと言われています。旧浦和市の公立中学校に通わせる保護者の方たちが、ごく平均的だと考える高校が、安行地区では超できる子の進学先であったりしますから、やはりこれは事実なんだと思います。その結果、安行地区の中学校に通った卒業生たちの上場企業への就職率は驚くべきほど低く、反対にアルバイトを生業とする卒業生たちの割合が非常に高くなってきています。自営の仕事があり、跡取りとなれる人たちにとっては何の問題もないことなのかもしれませんが、それ以外の人たちにとっては、たいへん深刻な問題となる可能性があります。なぜなら「世界的な競争社会の到来」は、もう間近に迫っているのですから…。


 そこで問題なのが、どうやって子どもたちにギアチェンジをさせるかという問題です。必要なのは、小学校入学以来クラスメイトたちに学力的に遅れないでついていくことを「できる」という言葉で、担任の先生たちから評価されていた子どもたちが、本当の意味で「できる」子になるためのギアチェンジです。それは今までとは違う勉強のやり方と、それに要する時間に対するギアチェンジという意味でもあると思います。


 安行地区の小中学校に通う子どもたちが、小学校の高学年から中学在学中の間に、もしも上で書いたようなギアチェンジが本当にできたとしたら、彼らはきっと大きく成長し、立派な社会人となれるはずです。両親の愛情をしっかり受けて育ち、健康で明るく体力がある。そして小学校の間たくさんお友だちと遊んだ経験がある。これだけ揃っていれば、必ず社会に出たときに大きな仕事ができるはずですから…。













2013年5月1日水曜日

「保護者の皆さんと連絡を取り合いたい」




 いろんな塾がある中でシローズに来てくれた子たちの成績の上がり方って、たぶん二通りあるのだと思います。
 一つはシローズの授業によってだけで上がる。これは大きく成績を上げるというよりも、徐々に徐々に成績が上がっていくという感じです。たとえば偏差値45の生徒が48になり、50になって、やがて53で受験を迎える。中学での学年順位も塾に来る前は、ほぼ3桁に近い2桁だったのが、30位付近まで順位が上がった。そして見事県立〇〇高校に合格した。当然保護者も生徒も大喜びで喜んでいる。
 もう一つの場合は、上と同じ偏差値が45、中学での学年順位がほぼ3桁に近い2桁だった子が、塾で講師たちからいろんな話をされ、時には塾長である私から厳しい言葉を投げかけられたりしながら、しだいに家で一人部屋で過ごす時間が多くなっていく。母親は子どもの変貌ぶりに驚きながらも、自分の手元から我が子が出て行ってしまったようにも思えて寂しさを同時に感じはじめる。中学の成績もかなり上がりはじめ、同じクラスの友だちからは〇〇変わったよな…との声が出始める。2年生3月の北辰テストで初めて偏差値60の壁を破ったその生徒は、蕨高校という言葉を家でし始める。しかしまだ母親は、我が子が蕨高校へ進学できるなど考えてもいない。塾の面談でも、「そろそろ成績の上昇がとまるでしょう」などという、消極的な言葉が出てしまう。
 中3の夏、部活動の終わってからは中学から帰ってくると、自習のためにすぐに塾に行くようになる。家でもやや無口になり、心配した母親は頻繁に塾に電話を入れては、「あの子は本当に塾に行っていますか?」あるいは「塾で勉強しているんですか?」と聞くようになり、時には塾に我が子の様子を見に来たりする。
 中3の1学期の期末で、その子は初めて学年順位で3位となる。そして「お寿司、いつ食べさせてくれますか?」と私に聞いてくる。私が数週間前に、「中学で3位までになったら、お寿司を食べられるだけごちそうする」と言ったのを覚えていたのだと思う。一週間後、私と寿司屋に行ったその子は、2人前半を食べきって元気に帰っていく。
 夏期講習が終わった9月、その生徒は家で「蕨よりは上の高校を受けたい」と言って、両親を驚かす。母親は翌日に、私に電話を掛けて、我が子がとんでもないことを言っていると相談する。
 「うちの子は何か勘違いをしているようなんですが、先生大丈夫なんですか?」
 それに対する私の答えは、「たぶん蕨は大丈夫でしょう」というもの。母親を私のその言葉を聞いて、さらに不安を募らせてしまう。
 そして受験の時期になったその子は、結局浦和市立高校を受験することになる…。そして見事合格。合格発表の日、塾で開かれた送別会に現われたその生徒は講師たちとハイタッチ、塾長である私とは二人とも涙を流しながら喜び合った。
 シローズは上で書いた二つの状況のうち下の方を思い描いて、私や講師たちがそれを追い求めているところがやっぱりあると思います。それが他の塾との違いとなり、安行地区の中では受験でわりと良い結果を出してきた。でも同時にそれについて来れない子たちを出して来てしまったのではないか…との思いがあります。

 いま高校2年生になるある子が、受験直前の1月に塾を辞めてしまったことがありました。シローズを辞めることを決心した理由はいろいろあったのだと思いますが、その子の口から出たのは「シローズには厳しい雰囲気がある」というもの。その子の言葉を借りれば、「もう塾に入った瞬間から、ピリピリとしたムードがあった」というものでした。受験直前の中3Sクラスですから、それも当然だとは思いますが、その子にはそうしたムードが重荷になってしまったのだと思います。
 学校と違い、塾は短時間で生徒と向かい合う必要があります。それも成績を上げようとすれば、今日の生徒の精神的状況と言うべき、本来はやはり第一に向き合うべきことが、どうしても優先順位の最後の方に回されてしまう。
 上で書いた高校2年生のことですが、たぶんその子がご家庭で発していたであろう言葉や様子をもっと知るべきだった…というのが、いま私の反省としてあります。その子だけではなく、ここ数年の間にシローズを辞めてしまった生徒たちを考えたとき、やっぱり彼らが発していた声を前もって聞き取ることができれば、そうはならなかった…との後悔が残ります。
 どうしたらそうした問題を解決できるのか?
 「生徒の負担のならないような指導を心掛ける」というのは、ちょっと違うと思います。そんなことをしたら、安行地区・新郷地区の中学生たちが上位の高校に進学する機会をこれ以上減らすことになってしまいます。ですからこれからも、生徒に成績を大きく上げる要素があると思えば、どんどん成績を上げようという姿勢は、やはりシローズとしては持っていたい。だから問題なのはその子に対するケアーなんだと思います。そのために、今までしていなかった何かをする必要があるのだと思います。
 いま私が思う解決策は、保護者の方と頻繁に連絡を取り合うことです。電話でそしてメールで、保護者の皆さんとできるだけ連絡を取り合う必要がある。以前から連絡はさせていただいていたのですが、やはりそれでは少なかった。もっと塾側は生徒の精神的な状況を把握しなくてはならないし、それによる生徒みんなに対するケアーを常に考えていなくてはならない。また保護者の皆さんにも、塾側の生徒のみんなに対する一見無謀とも思えるような要求の真意を理解していただく必要があるのではないか。いまそんな思いを強く持っています。
 私が考える理想の指導とは、外科手術のようなものなのかもしれません。放っておいたら手遅れになってしまう生徒たちの学力を、血管と血管をつなぎ合わせるような手術によって、新たな可能性を生み出していくこと。そのときに必要なのが、その生徒が手術に耐えるだけの体力とハートを持っているかどうかの情報なのだと思います。それを何らかの方法で手に入れたい。それが保護者の皆様との電話やメールといった連絡なのだと思います。
 それができたとき、保護者の皆さんにも、生徒である子どもたちにも、そしてシローズ側も、みんなが喜び合う結果に辿り着けるのではないか…。いまそんな理想を私の心が待ち望んでいます。