2022年4月20日水曜日

安行中 my Love 「2022年のいま」

塾に来てくれている生徒たちを通して、僕はいつも彼らが通う近くの中学校を見ている。

手にはいつだって潜望鏡を持ち、生徒たちや保護者の方たちから聞こえてくる話から、いま近くの中学校で何が起きているのかを僕はいつも思っている。

なぜって、高校受験にとっては中学校の動向は無視できない。中学校の動きを僕たちが絶えず理解していないと、高校入試の結果は喜びとは違う方向に向かう…。

 

本当は中学校と塾がタッグを組んで、高校入試に向かった方が良い結果が出るに決まっている。

でも塾は中学校にとってはきっと信用できない存在だから、もう塾をやって三十年近く経つというのに、僕には中学校とタッグを組ませてもらったという経験はない。

いつも中学校の動向に目をやりながら、中学校の動向がこうだから、塾はこうしなければならない…と考えてきたような気がする。

 

その近くの中学校の状況が、最近また気になり出している。

今回 安行中my Love…というタイトルをつけさせてもらったけれど、何も安行中だけに限ったことではないと思う。

安行東中もそうだし、東中だって状況は同じだと思う。

戸塚地区の2中学と鳩中は、やや安行中たちよりはやや良い状況にはあると思う。でもだからと言って、これから書かせていただくことは無縁ではない。かなり当てはまる部分があるはずである。

もう一つの近くの中学である神根中はどうかと言えば、だいぶ状況は上記の中学校とは違うようである。一言で言えば落ち着いているということができると思う。とはいえ、やはりかなりの部分で当てはまると、僕はそう思っている。

 

 

「中学校授業はいま?」

 

日々中学校で繰り返される授業、この内容が県入試に対応できなくなっている。対応できないというよりも、定期テストの成績上位者や、通知表で「5」の評定を取る者が、実際に入試を受けたときに得点が取れなくなってきている。

以前からこの傾向はあったが、それがここ1年から2年でさらに大きく進んできたような気がする。

 

例えば定期テストの学年順位で一桁の順位の生徒と二十番台の生徒が北辰テストなり、入試問題を解いたとしたときに、二十番台の生徒の方が高得点を取るというケースが出てきた。

学校授業とは違う頭の使い方を覚えないと、いまの北辰テストや入試問題は解けない。それなのに、それを中学校はそれに対応しようとはしていない。というも、高校受験に対応できる授業を行える状況ではなくなってきているのではないか。

 

 

「中学校は、なぜ県入試に対応できない授業をしているのか?」

 

一つには、学級崩壊がある。クラスで何人かの生徒たちが勝手な行動を取る。それに呼応して、教室内がざわつきだす。それが授業中にほとんどのクラスで起きている。

もちろん先生方はそれを必死に食い止めようとするわけで、先生方の努力で学級崩壊がどのクラスでも起きているわけではないようだが、どのクラスにも学級崩壊ギリギリの線で授業が行われている現状があるのではないか。

その上一部の生徒たちの問題行動は、学校の中だけではとどまらない。

そうした中で先生方が第一に行わなければならないことが、授業でなくなっているという現実がある。

 

もしかしたら授業のレベルを上げるということが、先生方の願いではなくなっているのかもしれない。

それどころじゃないんだ…。そんな声が先生方から届いてきそうな気がしている。

 

 

「生徒たちはいま?」

 

多くの生徒たちにとって、中学校の授業のレベルがこの国の中で決して低いレベルにあるという認識はきっとないのだと思う。

生徒たちも、それからほとんど保護者の皆さんだって、中学校でごく平均的なレベルの授業を受けているという認識を持っているのだと思う。

だからちょうど中間の生徒が入る公立高校は、ごく平均的な学力の高校だと思っているだろうし、中学での学力順位40位(安行中約250人中)付近までの生徒たちが入学する市内の県立高校は進学校だと言われている。

でも実際にはどうなのか? 両校ともさいたま市の中学生たちには、敬遠される高校のように思われる。

 

その上日々の部活がある。コロナ禍の中ですべての部活動は制限を受けている状況にあるが、制限の期間が終わると、一気に子供たちは部活動の時間の制約を日常的に受けることになる。

そうした中、部活動を真面目に取り組むこと、その部活で活躍することの方が勉強することよりも興味が上回るような環境が中学にあるのかもしれない。

 

そして誰もが自分たちは真面目に勉強している方だ思っているだろうし、僕たち、私たちよりももっと成績が悪い生徒はいる…という感覚がほとんどの生徒たちの心の中にはあるように思う。

だから平均付近の生徒たちの学力の落ち込みが最近は激しい。

 

 

「保護者たちはいま?」

 

おとなたちの中には、先生と呼ばれる人たちに対して嫌悪感を抱く人たちがいるのかもしれない。

 

なぜ? どうして? そういった感覚を持つのかは、僕には分からない。

人それぞれ考え方には特徴があるはずだから、何らかの理由で、おとなになる過程で、そうした思いを持つことになったとしたところで、人がとやかく言うべきではないと思っている。

 

ここ何年か、塾に来てくれている生徒たちの保護者の方と話をしているときに、もしかしたらこの地域の保護者の中には、先生と呼ばれる人たちに対して、毛嫌いに近い感情を持つ方たちが多いのかもしれないと思うことが何度かあった。

先生と呼ばれる人に対する毛嫌いというよりも、指示を出されることに対する反発といった方が良いのかもしれない。

 

やっぱり学校の先生方に対して、あるいは学校というものに対して、不信感に近い感情を持ち合わせているおとなたちはきっといるのだと思う。

この地域は、そうした考えを持つ方たちの割合が他の地域よりも高いのではないだろうか? だから余計に中学校の先生方と保護者の本当の意味での協力関係が築きづらくなっているし、そのことが周り回って、結局は子供たちを苦しめているような気がする。

 

 

「学習塾はいま?」

 

周りの学習塾を見ていて、僕には分からないことが一つある。

なぜ入試の直前になっても、入試問題の演習をしないのか?ということである。

 

シローズは冬期講習会以降の中3クラスは、全授業が前年の入試問題の演習と解説になる。

入試直前の時期の入試問題の演習は、かなり入試本番の得点を上げる力を持つ。それに気づいているから、僕たちは毎年入試問題に向かい合う。生徒に解説をするために必死に入試問題を解いているし、講師になってもらう条件には入試問題の解説ができる人であることが大前提になっている。

 

それなのに入試問題の指導をしている塾は意外に少ない。2月の中旬になって、やっと入試問題の演習をする塾はまだいい方で、まったく入試問題の演習を行わない塾まであるらしい。

 

入試問題の演習を行うと、不合格者は確実に減る。これは紛れもない事実で、毎年合格発表の日に入試問題の演習に助けられたとの実感が僕にはある。

それを他塾がなぜ行わないのか? 僕には、それが分からない。

 

 

「高等学校はいま?」

 

最近思うのは、私立高校がどんどん予備校的になっているような気がしている。それも生徒全員を対象としたものでもなくて、学力の低い高校(偏差値50台)では一部の生徒、ある程度のレベルの高校(偏差値60台半ば以上)では67割程度の生徒しか、その成果が出ていないようだ。

 

だから私立高校の方が大学受験に有利だということは決してないと思う。よほど高いレベルの私立高校でもない限り、大学受験に有利なのは、その私立高校に通う一部の生徒に限られたことになっているような気がする。

この地域の中学生たちのほとんどが入学する私立高校は、大学受験に特段有利な高校とは言えないのではないか?

 

それと高校の3年間を大学受験一色の生活にしてしまって良いのか?との思いもある。

私立高校への進学が、部活をやり、友達を作り…という一般的なおとなたちが考える高校生活とは違うまるで予備校的な生活を送らせることになってしまう場合だってあるのではないか?

 

もう一つの公立高校の方はというと、いまかなり二極化が進んでいるような気がする。

一方では生徒を励まして、通う高校が素晴らしい高校だと伝え、生徒たちに誇りを持たせようとする。もう一方では世の中で起きていることを伝え、その中で君たちはどうやって生きていくか?と問いかけ続ける。

 

前者は川口工業から市立川口高校までが当てはまり、後者は浦和西から一女、浦和高校までが当てはまる。

僕が不安なのは、前者の高校にこの地域の中学生のほとんどが入ること。彼らは現実を見せられない高校生活を送ることになるのかもしれない。そのことが、僕には気になっている。

 

 

「高校入試はいま?」

 

成績を上げ そこまで書いて、僕はキーボードの上の指を止めた。

そもそもいま、この地域の中学生たちの成績には種類がある。何種類かと言えば、3種類の成績がすぐ頭に浮かんだ。

 

一つは定期テストでの成績、二つ目が通知表の成績、そして三つ目が入試の合否を決める成績である。

この3つの成績は、本来は同じ成績であるはずなのに、なぜだかここにきて、この地域ではその3つの成績が別物になってきているような気がする。

 

例えば定期テストでたいてい一桁の順位の生徒の5教科の通知表に「4」の評定があったり、あるいは通知表で「5」の評定の科目の北辰偏差値が40台後半だったりということが起きている。

ちなみに今年の受験で、ある県立高校に4人の生徒が受験したが、不合格になった1人は内申が4人の中では一番高い生徒だった。

そうしたことが、ここにきて急に起きるようになった。

 

話を元に戻したい。

成績を上げ、生徒とその保護者の方が目指す高校に合格させることが、塾の仕事である。

ただ、やっぱりそのことが難しくなってきている。

 

さいたま市の小学生とこの地域の小学生の間には、読解力と発想力を筆頭に大きな学力の差が生じている。だから中学入学後にまずこの格差を減らす必要がある。

でも、やっぱりこれがなかなかうまくは進まない。

とくに中間層の成績が一向に上がってこない。いや、上がるのだけれど、すぐに下がってしまっているような気がする。

これにはきっと訳があって、学習量の持続ができなくなってきているのではないか?

彼らには、成績が下の生徒が大勢いる。それが中間層の生徒たちから、学習に対する必死さを奪っているような気がする。

 

そんな子たちが受験の時期になった時、これまで学習量の持続ができなかった彼らであっても、志望校に合格するために勉強を始める。それほど勉強量を上げられない子であっても、志望校に合格したいと切に願いだす。

僕たちは、入試問題の演習という突貫工事を彼らにしてもらう訳なのだけれど、これは彼らの入試時の得点を大いに上げる。でも突貫工事で生み出された学力は、高校入学後にどこまで役立つのか? そこに不安を感じている自分がいる。

 

結局もしも上位の高校を目指すのであれば、中1時に読解力と発想力を身につけさせる必要がある。でもまださいたま市や戸田市や東武東上線沿線といった学習レベルの高い地域には近づかない。

だから中2時の学習量が入学時と入学後の成績に大きく影響しているような気がしている。中学校の授業のレベルでない難問に近い問題を多く解かなくてはならないのも、この時期だと思う。

 

1時の問題演習量があって、それによって発想力や思考力が身について、それを使った難問の問題演習を中2時に行う。その経験は入試時はもちろん入学後にもおおいに役立つはずだ。

 

1、中2時に中学校授業のレベルの学習しかした経験がなくて、中3時の受験期になって入試問題を解いた場合は、年々県入試に対応できなくなってきているような気がする。とくに選択問題の実施校への受験はあ合格という危険を伴うのではないか。

その辺が例えば5年前の高校入試と今年からの高校入試の違いで、あの頃であれば、そうしたやり方でもまだ間に合っていたような気がする。だから僕の中では学校の定期テストの存在がどんどん小さくなっていっている。

 

こうした状況にどれだけの人が気づいているのだろうか?

多くの方たちは、いまでも英検や数検を取ることが高校受験のプラスになると信じているという現状がある。

ところが英検や数検の問題と入試問題は内容が違ってきている。だから英検や数検がわずかな内申点のプラスには役立つだろうが、その勉強が入試問題に役立つことはないと思う。

 

 

「高校入試、これから?」

 

ここ10年ほど、僕は毎年毎年、県入試の問題の変化に追われているような気がしている。

その年の県入試の問題を解いて、それに対応するために僕たちは授業の内容を毎年少しずつ変えなくてはならなくなっている。

そして今年また大きく県入試の問題が変わった。中学の指導要綱が変わったことによる変化だと思う。これまでよりも深く、思考力が求められる問題になった。

 

問題に思うのは中学校から伝わってくる高校受験の情報からも、それから高校受験を経験した保護者の知り合いからの情報からも、なかなか受験の現状が伝わりにくくなってきている。

この地域の一番の問題は、もしかしたら学力の問題以上に情報の問題なのかもしれない。

受験期までにどこまで正確な受験情報を得られるのか? それによって合否が決まっていく。でもその怖さを知っている人たちは実は少ないのかもしれない。

 

この地域の場合、前述のように中学入学時の時点で、大きな学力の遅れがある。それを改善しながら、中学学習内容を身につけていく。

それは並大抵なことではない。市立川口以上の選択問題実施校への合格者が15名から20名程度(安行中)の現状はそうした事情によるものなのだろう。

 

生まれつき学習に向いている生徒は別として、一般的な生徒にとっては選択問題実施校への合格は年々遠のいて行くという状況がある。

それを解決するためには、かなりの量の学習量が必要となる。

それをこなせる生徒には、選択問題実施校への合格は身近なものとなる。でもかなりの量の学習量を維持できない子にとっては、年々選択問題実施校への合格は難しくなっている。

 

この状況を変えるには、何をすべきなのか?

塾を始めてから、僕の思いはそこに行き着くことになるのだけれど、いつもいつも解決策が見つからずに、僕は生徒と保護者の方の落胆の中で塾を続けている。