個別指導って
僕の塾でも個別指導を行なっています。ついこの間もずうっと集団授業を受けていた生徒に個別指導を勧めたりもしていました。
それにこの地域ではいまは、やっぱり個別指導の方に興味を持つ保護者の方が大勢いらっしゃるように思います。
ただそうした個別指導を求める方向って、本当に正しいのかな?
あるいはかえって、子供たちの可能性を小さくする方向にいってしまうのではないか?という気持ちがあって、大きなニーズに逆行するということは、なんだか怖い部分があるんですけど、やっぱりもう書かせていただくべきなのかな。という気持ちも同時にあって、キーボードに向かっている状況です。
いまの入試で求められているのは、考える力だと思います。
公立の方では数学がとくにそうですし、私立はというと数学よりも英語や国語の方がこの傾向があるような気がしています。
でもこれには問題があります。この地域の小学校中学校の授業が、考えることと逆方向にいっている部分がある。
たとえば算数と数学の学校授業って、先生が解き方を教えて、生徒たちは計算をして答えを出すというやり方をしていると思います。
このやり方は授業としては成立するのだけれど、学力になっているか?というと、たぶん身になっていない。むしろ教えてもらってから解くという習慣が出来てしまうために、受験が近づいてきたときになかなか偏差値が上がらなくなるというハンディがつきまとうことになる。
だから高校受験が近づいたとき、この地域の中学に通う人たちは誰もが学習の仕方の変更を余儀なくされる状況があるのだと思います。
教えてもらって解くという学習の仕方から、考えて・調べてからから解くという勉強の仕方に変えていく必要があるのだと思います。
個別指導のメリットは、分からないことをなんでも聞けるということだと思うのだけれど、そのメリットが考えて・調べてから解くという受験に必要な学習の仕方へのシフトを邪魔してしまうことだってきっとある。
毎年ではないけれど、僕の塾には他塾で個別指導を受けていた生徒が移ってきてくれることがあります。たいていは数学が分からなくなった。あるいは数学の偏差値が上がらない。ということで来てくれくれてているように思うのですが、その子たちに共通しているのは、考える前に説明を受けてしまっているために考える力が身についていないことが原因であるようです。
個別指導には難しさがある。
分からないことをなんでも聞けるという環境が、いま受験でも社会でも求められている考える力を身につけるという流れに反する部分が大きいですし、何よりも生徒のペースで進めてしまうということが成績を上げる、さらには合格するということと違うベクトルに向かってしまう危険を孕んでいます。
ただ、個別指導については思うこともある。
もしも勉強をあまりしていなかった子がいたとして、高校受験が近づいて急遽勉強しなくちゃならなくなって塾に通おうとしたときに、初めの数ヶ月だけ個別指導を受けるという選択は理にかなっていると言えるかもしれません。
勉強するということはどういうことなのか?ということをマンツーマンで教えてもらう。その上で学習の仕方を身につけてから集団授業に入る。それが理想的な指導とも言えるのではないでしょぅか。
英語と数学<理科と社会 の流れって
僕の塾では中2から希望する生徒に理科と社会の指導をしていますが、どちらかと言えば、というよりもかなり英語と数学の指導を重視している塾なのだと思います。
これには訳があって、公立の県入試がこの地域の中学授業のレベルとは違うレベルになってきている。そしてこの地域の受験生とこの地域外の地域の受験生の間に平均点の大きな開きが生まれているということがあります。
ということは、高校入学後についていけない生徒が出てきてしまう。ということはその後の大学入試にも、それからこれが一番気になってくるのですが、就職試験や資格試験に対応できなくなってしまうのではないか?との思いがあるからです。
もう少し中学の学力水準が上がったとすれば、そこまで考える必要はないのかもしれませんが、やはり高校合格と同じくらい、その後の生徒たちの状況を思うと、やはり英語と数学をもっと勉強をしてもらわないと。との思いに辿り着いています。
でもいま他塾さんの状況を見ると、大勢はもう完全に英語と数学から理科と社会の方に移ってしまっているようですね。大手の塾さんのカリキュラムはそうなっていますし、それに続くようにいろいろな塾がその方向に移ってきている。
この授業の進め方は確かに受験の合格率を上げることに繋がると思います。
そのことに僕などは、問題意識を感じてしまいます。
理科と社会も学力だろう。という声が届いてくるのかもしれませんが、英語と数学と理科と社会は違う種類の教科である思います。
理科と社会が比較的短期間で成績を上げることができるのに対して、英語と数学は成績を上げるのに非常に時間がかかる。そして英語と数学の場合は、高校入学時の学力がその後もかなり影響してくるという現実がある。
そうするとやっぱり、英語と数学と理科と社会を同等に評価して良いのか?との思いに繋がってくる訳です。
高校入学後に学力の問題として浮かび上がってくるのは、たいていの場合は数学だし、英語というのが一般的であることもこの思いを強くしています。
他の地域ならいいようにも思うのです。
例えばさいたま市や戸田公園駅の近く、それから東武東上線の沿線とその近くの中学の平均偏差値が60付近を越える地域の中学生たちには、もしかしたら有効な手段とも言えるかもしれない。
でも内申に2が一つか二つの生徒が500点満点の公立入試で150点ほど取れば合格できる高校に生徒の半分弱が入れないというこの地域でそれをしてしまったら、子供たちはいつ一般的な学力と言われるものを上げるのだろうとの思いが持ち上がってくる訳です。
この地域の子供たちにとっての高校受験は、志望する高校に入るという目的以外に、他の地域の子供たちの学力、いや教養という言葉の方が適切なのかもしれません。それに近づけるという目的があるとの思いがあります。
ここでそのレベルに達っしておかないと、これからいろんな壁に出会ってしまいそうな、そんな思いがしてきます。
成績の良い子はまだいいのかもしれません。現状として、他の地域の子供たちと対等に意見を戦わせる力を持っているでしょうから。
でも近くの中学に通うごく平均的な学力の子たちに丁寧な定期試験対策を繰り返し、北辰テストの前には北辰対策までする。そして受験が近づけば、今度は受験のテクニックに沿った指導をされてしまったとしたら、彼らの成長はどうなるのだろうか? 高校入学後もずうっと塾に通わなければならない。僕はそうしたことに大きな怖さを感じています。
大勢に反しても…
いまこの地域の子供たちは小学校の高学年まで、場合によっては中学生になってまでもある習い事をしているケースがある。
この習い事を経験した子たちは、みんな数学を得意科目だと言う。
まあ確かに他の教科よりも数学の得点が高かったりするのだけれど、どんなに勉強をしてもある時期から数学が分からなくなる。偏差値も上がらなくなって、たいていの場合50弱程度で止まってしまうのだ。
一緒に勉強している子たちの数学の偏差値が55を超えても、その子たちだけ、受験が近づくにつれて数学が急に苦手科目に変わってしまう。
その状況は高校に入ってからも同じで、おそらくもう数学は苦手科目になってしまうのだろう。僕は塾を始めてから、そうした例を嫌というほど見てきた。
塾生たちの教科別の偏差値を見たとき、一番数学の偏差値が高い傾向がある僕の塾であっても、小6までこの習い事を続けてきていた生徒で数学の偏差値が60を超えた生徒がいないということからも、この習い事がこの地域の子供たちの高校受験に影響を及ぼしているのでは?と考えたくもなります。
どんな集団であっても、人は大勢から多くの影響を受ける。
他の地域では小学校の高学年になると、通塾者がかなり減ると言われるこの習い事がこの地域ではもてはやされていることも大勢の影響を受けてのことなのだと思う。
個別指導が高い人気を保っていることも、大手の塾が学力の高い地域のカリキュラムをそのまま持ち込んで、それがこの地域でも一般的な指導になってしまっていることに対して、保護者たちが何の不安も感じなくなってきていることも大勢の影響と言えることなのかもしれない。
塾に通わないで、高校受験を迎える。
公立入試のレベルがこの地域の中学校の授業とかけ離れている状況を思うと、その穴埋めをどこでするのか?それが塾なのだと思うのだけれど、いま塾の近くの中学の生徒たちを中心に急に塾離れが進んできている。
どこでもいいから公立高校に入りたい。私立無償化があるのだから、公立じゃなくても、だったら塾はいらないじゃないか?
そんな声がこのエリアで急に広まり出しているような気がする。
そこにもきっと大勢という言葉が影響しているのだと思う。
この地区に生きる人たちの声である大勢を無視することなどできないけれど、いまこの地域で広まってきてしまった大勢は、確実にこれからを生きる子供たちの未来に影を落とそうとしている。僕はそのことに恐怖に近い感覚を覚えているのです。
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