2025年5月19日月曜日

安行中 my Love 2025.5のいま③「番外?数学」

本当は、今回の投稿のまとめを書くつもりだったのです。

だいたい内容は頭に中にありまして、エネルギーが溜まってきたら書くつもりでいました。

 

ただ、いま中間テストの時期ですよね。ですから塾でもほとんどのクラスが塾のテキストを進める通常授業を止めて、テスト勉強の指導をしています。

僕が教える数学もそうで、やっぱり定期テストの前は中学のワークの指導になるわけです。

 

ちょっと補足しますと、生徒の中にはこのワークの指導が必要ない子たちもいます。彼らは勝手にワークを解いて、勝手に丸つけをしてくれます。

普段の塾の授業で、ワークよりも難しいテキストをどんどんという感じで解いていますから、ワークの問題はそれほど負担なく解いているようです。

たぶんその子たちが選択問題の学校を受験することになるのだと思います。

ただ、そうした子たちの割合がずいぶんと少なくなりました。

ああ、中学の授業のレベルが下がってきているな。僕が、そう感じるのはそんな時です。

 

それでワークを解いている生徒たちの状況なのですが、前半の計算問題でも間違いが目立ちますし、後半の利用の問題になるとほとんどの子が解けていないようです。

中学の授業ではやったということなのですが、理解の領域までは達していない。

ちょっと異常なくらい授業の内容を理解していない生徒が多くいることに驚かされます。

もうほとんどの子がこの単元の内容を理解をしていない。

いま市内の中学で行われている、先生方が大きく成果を期待して導入されたはずのアクティブラーニングですけれども、この地域の中学では機能しているとは言えないのかもしれません。もっと言えば、教師が提供した課題に対して、生徒たちが討論をし答えを見つけるというアクティブラーニングのメリットがまったく出ていないで、討論の場が雑談の場になってしまっているのかもしれません。

 

確かにアクティブラーニングが導入されてから、中学生たちの学力はどんどん下がってきているように思います。

コロナ禍の学校休校もありましたけれども、それよりもアクティブラーニング導入以降の学力の低下の方が大きいように思います。

毎日塾で授業をしている僕には、その導入以降の学力低下がひたひたと日々の実感として感じられました。

とくに塾の近くの中学校は、他校よりも一年早くアクティブラーニングが導入されました。

 

授業が雑談や休憩の場になっているのが現状のようです。

 

近くの中学校は、市内の他の中学に比べて一年早くアクティブラーニングが導入されました。当時の校長先生が、自分の出身校であるその中学で新しい授業の試みとして、アクティブラーニングを導入したという話を聞いたことがあります。

これによって、学力が向上すると期待していた面があったのだと思います。

ところがそれが叶わなかった。叶わないどころか、更なる下降の方向に完全に進み始めている。

そうなってくると、数学という教科はもう暗記の領域になってしまうんですね。ワークの解答を見ながら、ワークを解いている人は大勢いると思いますが、その勉強の仕方って、入試直前に大きく偏差値を下げる原因になりますし、1日2日しか頭に知識が残らないということになると思います。

わずか1日2日しか頭に残らない奇妙な暗記の連続が勉強になってしまっている子は、本当にこの地域には多くいると思います。もうそれが普通の勉強になってしまっている感すらあります。

 

入試の数学って、暗記とは逆の方向にいっていると思うのです。

考えないと答えが出せない。以前に解いた問題がこうだったから、これもこうすれば解ける。そういった記憶の部分で解こうとすると、解けない問題が急に増えてきているようにも思うのです。

たぶんこれが思考力発想力の問題だと思うのですが、他の地域は小学校の算数の授業で、この部分のトレーニングができてきているように思うのです。

でも、この地域は小学校の算数授業も考えさせるというよりは覚える部分が主になってしまっている。

そうすると、高校受験を考えた時に必要な思考力発想力の部分の習得を中学授業でする必要が出てくる。

でも、それが中学校授業で出来ていない。そこで救世主となると期待していたアクティブラーニングは、救世主とは真逆の成果しか出なくなってしまった。

塾はそれを補うためにあるのだと思うのだけれど、これがなかなか大変な状況で、思考力発想力まで進まない状況があります。

 

そんなとき、塾が取るべき道は二つあると思います。

一つは数学を捨ててしまうこと。入試でどうせ平均点が低い教科なんですから、数学の指導は最小限にして、他の教科で必要な得点を取ろうとする。

公立入試には理科と社会がありますから、このやり方は一見有効なようにも思うのです。

でもこうして高校に入学した生徒たちは、数学の授業か分からなくなると思います。

いま数学が分からないと言って、来てくれている高校生が何人かいます。

彼らはもしかしたら、こうした塾の指導の犠牲者なのかもしれません。

 

塾が数学を捨てるという指導をしないのであれば、もう一つの道を選ぶ必要があります。

僕が選んだのは、土曜日曜に無料で補習を行うというやり方です。成果はジリジリという感じで、少しずつ出てきていると思います。

 

思うんです。諦めてはいけないと。僕は少しも彼らの数学の成績を上げることを諦めてはいません。

2025年5月7日水曜日

安行中 my Love 2025.5のいま②「姿勢」

なんで、こんなに変わってしまったのだろう

もうここのところ、僕の心にはそんな思いがある。

 

少し前に、授業中に鼻歌を歌っている生徒がいた。

その子の鼻歌が耳に入ってきて、初めは聞こえないふりをしようとした。

怒ってはいけないと思って、唇の前に人差し指を持っていって、シーというポーズをしたりしていた。

授業の途中で、その生徒の鼻歌に独り言が混ざるようになってきた。

授業中なのに、隣に座った生徒に話しかけ始めた。

それでも怒ったりなんかせずに、柳がしなるようにやさしく注意を続けながら授業を続けるべきだったのだと思う。

でも僕は言ってしまった。

さっきから何してるんだよ 授業妨害だぞ

と言ったものの、まだ僕の心にはブレーキが掛かっていたはずだから、そんなに強い口調ではなかったと思っていた。

でもその子は泣き出してしまい、授業が終わるまで泣き続けていた。

翌日、お母さんからLINEが入った。

僕のことが怖いと言っている。辞めさせてください。という内容だった。

僕はその日に起こったことをお母さんにLINEで話したのだけれど、本人がもう行きたくないと言っていると理由で、やはり退塾の意思は変わらなかった。

 

こんな事もあった。

週末に続けている数学の補習のときに、間違い直しをしてもらいたい僕が、間違い直しは終わったの?と聞いても、終わったと言い続けている生徒がいた。

ノートを見せてと言っても、家のノートにやってきたから持ってきていないと言っている。

そんなやりとりが何度か続いた後、僕は黒板に計算問題を2問書いた。

ちょっと途中で悪いけど、この問題を解いてみよう。と言った。

 

補習に来ていた二人の生徒が、問題を解き出した。

一人は考えながら、ゆっくりとしたペースだったけれど確実に式を書いて言っている。ただ先ほど終わった。ノートを家に置いてきたと言っていた生徒は、式を書けずに困った顔をしていた。

やっていなかったね?と言うと、その生徒は黙って頷いた。

 

いま週末も、このゴールデンウィークも毎日のように補習を続けている。

僕が補習をしたいわけなのではなくて、計算ができない生徒が塾の中にたくさんいるんだ。

コロナ禍前の計算ができる生徒とできない生徒の割合がもう完全に逆転して、いまでは計算問題ができる生徒が圧倒的に少なくなってきた。

分数の通分や小数の掛け算や割り算ができない中学生生徒はたくさんいるし、方程式の計算が危うい生徒までいる。それができたしても、途中式を丁寧に書く習慣ができていないために、正解率がひどく危ういものになっている。

そしてさらに厄介なのは、補習をして正解率が上がったとしても、1週間や2週間後にもう一度解いてもらってみると、また解けなくなっていることに驚くことが頻繁にある。

だから授業以外の時間に、僕は時間を見つけては計算問題の補習を続けている。

 

ただこの補習を続けながら、僕は思っている。

僕が続けている補習を、どれくらいの生徒や保護者の方が好意的に受け取っているのだろう。

 

部活があって、生徒たちが友人と過ごす時間がある。

その上、土曜日曜に僕が補習までしてしまったら、家族で過ごす時間の邪魔をしているだけなのではないか?

なんだか僕がいま授業をしながら感じている計算が正確にできないことによる危機感に似た不安を生徒自身や保護者の皆さんは感じていないのではないかとの思いがしてきて、ちょっと不安になっている自分もいる。

 

コロナという大きな出来事があって、川口市ではほとんど同時期に授業中に生徒たちが相談しながら教え合う形のアクティブラーニングが始まった。

その影響がとこまであったのかは分からない部分もあるのだけれど、その前と後で中学生たちの勉強意欲というものが大きく後退していっているような気がしている。

でも実はそればかりじゃなくて、同時に保護者の皆さんの勉強させ意欲のようなものも同時にかなり後退してきている。

近くの中学で進学の相談の中に通信制高校の説明が入ったのも、このことと無関係ではないと思う。

個人の選択の自由の部分はもちろんあるのだろうけれど、生徒たちの学力の低下がこのことにかなり影響していると考えるべきだろう。

 

近くの中学に通う生徒たちの学力の低下は、当然平均学力の低下を招いている。そして子どもたちもその保護者たちも平均レベルと比べて自分の、我が子の学力を見てしまいがちになるから、平均レベルが下がれば生徒たちの学力は低下しがちになってしまうということなのだろう。

でも問題はそればかりではないと思う。もっと大きな問題がこの地域の中学生たちにはある。