2025年5月7日水曜日

安行中 my Love 2025.5のいま②「姿勢」

なんで、こんなに変わってしまったのだろう

もうここのところ、僕の心にはそんな思いがある。

 

少し前に、授業中に鼻歌を歌っている生徒がいた。

その子の鼻歌が耳に入ってきて、初めは聞こえないふりをしようとした。

怒ってはいけないと思って、唇の前に人差し指を持っていって、シーというポーズをしたりしていた。

授業の途中で、その生徒の鼻歌に独り言が混ざるようになってきた。

授業中なのに、隣に座った生徒に話しかけ始めた。

それでも怒ったりなんかせずに、柳がしなるようにやさしく注意を続けながら授業を続けるべきだったのだと思う。

でも僕は言ってしまった。

さっきから何してるんだよ 授業妨害だぞ

と言ったものの、まだ僕の心にはブレーキが掛かっていたはずだから、そんなに強い口調ではなかったと思っていた。

でもその子は泣き出してしまい、授業が終わるまで泣き続けていた。

翌日、お母さんからLINEが入った。

僕のことが怖いと言っている。辞めさせてください。という内容だった。

僕はその日に起こったことをお母さんにLINEで話したのだけれど、本人がもう行きたくないと言っていると理由で、やはり退塾の意思は変わらなかった。

 

こんな事もあった。

週末に続けている数学の補習のときに、間違い直しをしてもらいたい僕が、間違い直しは終わったの?と聞いても、終わったと言い続けている生徒がいた。

ノートを見せてと言っても、家のノートにやってきたから持ってきていないと言っている。

そんなやりとりが何度か続いた後、僕は黒板に計算問題を2問書いた。

ちょっと途中で悪いけど、この問題を解いてみよう。と言った。

 

補習に来ていた二人の生徒が、問題を解き出した。

一人は考えながら、ゆっくりとしたペースだったけれど確実に式を書いて言っている。ただ先ほど終わった。ノートを家に置いてきたと言っていた生徒は、式を書けずに困った顔をしていた。

やっていなかったね?と言うと、その生徒は黙って頷いた。

 

いま週末も、このゴールデンウィークも毎日のように補習を続けている。

僕が補習をしたいわけなのではなくて、計算ができない生徒が塾の中にたくさんいるんだ。

コロナ禍前の計算ができる生徒とできない生徒の割合がもう完全に逆転して、いまでは計算問題ができる生徒が圧倒的に少なくなってきた。

分数の通分や小数の掛け算や割り算ができない中学生生徒はたくさんいるし、方程式の計算が危うい生徒までいる。それができたしても、途中式を丁寧に書く習慣ができていないために、正解率がひどく危ういものになっている。

そしてさらに厄介なのは、補習をして正解率が上がったとしても、1週間や2週間後にもう一度解いてもらってみると、また解けなくなっていることに驚くことが頻繁にある。

だから授業以外の時間に、僕は時間を見つけては計算問題の補習を続けている。

 

ただこの補習を続けながら、僕は思っている。

僕が続けている補習を、どれくらいの生徒や保護者の方が好意的に受け取っているのだろう。

 

部活があって、生徒たちが友人と過ごす時間がある。

その上、土曜日曜に僕が補習までしてしまったら、家族で過ごす時間の邪魔をしているだけなのではないか?

なんだか僕がいま授業をしながら感じている計算が正確にできないことによる危機感に似た不安を生徒自身や保護者の皆さんは感じていないのではないかとの思いがしてきて、ちょっと不安になっている自分もいる。

 

コロナという大きな出来事があって、川口市ではほとんど同時期に授業中に生徒たちが相談しながら教え合う形のアクティブラーニングが始まった。

その影響がとこまであったのかは分からない部分もあるのだけれど、その前と後で中学生たちの勉強意欲というものが大きく後退していっているような気がしている。

でも実はそればかりじゃなくて、同時に保護者の皆さんの勉強させ意欲のようなものも同時にかなり後退してきている。

近くの中学で進学の相談の中に通信制高校の説明が入ったのも、このことと無関係ではないと思う。

個人の選択の自由の部分はもちろんあるのだろうけれど、生徒たちの学力の低下がこのことにかなり影響していると考えるべきだろう。

 

近くの中学に通う生徒たちの学力の低下は、当然平均学力の低下を招いている。そして子どもたちもその保護者たちも平均レベルと比べて自分の、我が子の学力を見てしまいがちになるから、平均レベルが下がれば生徒たちの学力は低下しがちになってしまうということなのだろう。

でも問題はそればかりではないと思う。もっと大きな問題がこの地域の中学生たちにはある。

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