2025年10月27日月曜日

安行中 my Love 洞察①「児童生徒と先生方」

こんなことってないだろうか?

 

この地域の小中学校には、ときたまクラスで主導権を握ろうとする保護者が出てくる。クラスの人たちのためと思う部分があるのだと思うが、そのやり方が強引だったりして、ときには非常識に思えるような行動を取ることがある。

そして、その非常識が担任の先生に向かったりすることがある。

そうすると、先生方の中には休職をするほどのダメージを負ってしまう人が出てくることになる。

中学でアクティブラーニングが始まって、先生方の休職は減ってきてはいるが、相変わらず他の地域よりも、この地域の小中学校で休職をする先生方は多い。

 

どこの地域でもこうした傾向はあるのだけれど、この地域の小中学校はその傾向が特に強いのだと思う。

そして先生方の中には、この学校の保護者には気をつけろという雰囲気が出てくる。

だからこの地域の学校に赴任を受けた時から、先生方は警戒という防御壁を持つことになる。

それがこの地域で数十年前から続いている?

 

その結果何が起きているかといえば、児童生徒たちに対して、どこかで遠慮した態度を先生方は取ることになる。

つまりこの地域の小中学校に通う子供たちは、多少なりとも先生方の遠慮の中で学校生活を送っていることになっている?

 

中学を卒業して、高校に入る。その時にこんなことが起こるか。

やけに高校の先生が厳しすぎると感じてしまう生徒が出てくる。

学力問題の高校はまだいいのかもしれない。学校が生徒たちを褒めて励ますことが運営の基本になっているはずだから

 

でも選択問題の高校、特に浦和西以上の高校は生徒を一人の人間として見る。当然中学までのようにはいかない。

中学までは成績が良いことから、そして部活動も一生懸命取り組んでいたことから優等生だった彼らは、言わば先生たちから特別扱いされていた生徒だったはずである。

ところが高校に入学してからは2、300人の一人の子としてしか見てもらえなくなる。

先生方も中学までとは違うから、より一人の人間として生徒を見ることになる。

 

授業はまだ良いのだろう。でも部活はその子たちにとってはより過酷なものになる。

なぜ顧問の先生は自分に対して、自分に厳しいことを言うのだろう…。中学の部活動では顧問が自分を信用してくれたし、自分も部活のために一生懸命だった。

それが高校の部活では、一年生の部員の中のただ一人でしかない自分が取るべき態度に戸惑いを感じる。

それをある意味驚きの気持ちを持って、生徒は受け止めていた。

初めは頑張ろうと思った。でもどこか落ち着かない。やがて気持ちは部活から離れていく…。

 

僕はもう30年以上塾を続けながら、外からこの地域の小中学校を見ていた。

そして幼稚園に勤めていた15年間は、外からではなくもう少し近づいて小中学校を見た時期がある。

それと塾に来てくれた人たちの中には、市内の小中学校で教員として働いている人たちがいる。

 

そうしたことを頭に思い浮かべながら、指導生徒と先生方の関係を思った。

洞察? 果たしてその力が自分にあるのかは分からない。

ただ僕にははっきり見える。日常の児童生徒と先生方の関係の裏に何が起きているかを。

2025年10月1日水曜日

算数指導

僕は毎日小学生たちには算数を、中学生たちには数学を教えている。

ちょっと英語も教えているのだけれど、やっぱり塾に来てくれている生徒のみんな、全員に教えているのは数学ということになる。

 

いまちょうど近くの中学校は中間テスト直前で、みんなその勉強をしているのだけれど、半数以上の生徒は分からなくなっているようです。とくに中2生と中3生でその傾向がある。

もちろん彼らの質問には答えているのですが、いくら説明をしても理解してもらえないのです。

教える技術がないのでは?と言われるかもしれませんが、僕はこの教え方をもうずっと続けているわけで、たぶんそうではないと思うのです。

 

ではなぜ説明の内容が彼らに浸透していかないのか?というと、子供たちの処理する能力が低下してきているのだと思います。

そして理解できない子の割合が年々増えてきている。

以前であれば、たぶん10年から15年くらい前であれば、ほとんどの子たちが理解できていたはずなのに、たぶんいまは理解できる子がごく少数になってしまった。

でもきっと他の地域の子たちは理解ができているわけで、この辺だけの問題になっているのだと思う。

そんなとき僕は毎回思うことがあって、中学生からではなく小学生から指導させてもらうことができれば、塾に来てもらうことができたとしたら、こうした状況にはならなかったのではないか?と思ったりしています。

 

もう必要な勉強は学校で間に合うという考えは、残念ながら完全に通用しなくなっている。

でもまだまだ学校で間に合うんだ的な話が根強く残っているのがこの地域なのだと思います。

 

僕が小学生の指導でいつも目指しているのは、常に考えてもらうことです。

それが計算問題であっても、文章問題であったとしても、またどういうレベルの問題をやっているのかに関わらず塾の中ではいつも考えてもらうようにしています。

例えば公式的に教えなくてはならない事柄があったとしても、できるだけなぜその公式がなりたつのか?をできるだけ説明するようにしています。

分数の通分の意味、少数の割り算の計算の仕方など、やり方として説明すればすんでしまう内容をなぜそうなるのか?という説明を繰返しさせてもらっています。

 

そうすると中学に入ってから、学力を問わず考えるベースができてくるように思います。

小学生から来てくれた子と中学生になってから来てくれた子では、明らかに思考力や発想力のベースの幅に違いが出てくるような気がするのです。

 

いま中学の数学は年々難しくなってきています。

思考力と発想力を求める風潮が年々高まってきていますから、解き方教えるだけでは他の地域の子供たちの状況についてきていけなくなってきています。

だから余計に考える力量のようなものが目に見えない段階で求められていると思っています。

 

いま問題として大きくなってきているのは、そうした状況の中で中2の一次関数以降の数学の内容を地域的に子供たちが理解する土壌を持ち合わせていないことです。

中学校でも先生方はそれを感じているから、分かりやすい内容ばかりを教えようとしているし、その授業内容と求められている学力との差を埋めるために、試験前に出題される種類の問題を子供たちに伝えようとする。

結局丸暗記スレスレの指導をしている現状が中学授業にはあります。だからこそ、小学生の時代に何をするのかが問われているように思います。