2020年3月20日金曜日

算数と数学の話 2020.3

毎年行われる高校入試は、僕に多くの発見を見つけさせているのかもしれない。
合格を目指して必死になっている頃には気がつかなかった事が、合格発表が終わって、それまで毎日のように顔を合わせていた元生徒たちの姿が、塾の中で見えなくなって、急に塾の中が静かになってしまって、落ち着いて今年の受験を振り返る時間ができてくると、僕は毎年いろいろなことを悟りに近い感覚で感じ出すのだと思う。

いわば気持ちの面についての軌道修正の話はfacebookに書かせていただいた(3月10日投稿)。
そしていま書きたいのは、僕が教えている数学のこと。20何年も毎日数学を塾で教えていると、どうすれば数学の成績を上げられて、それをどうやって高校合格に繋げるべきなのか?というようなことが、朧げながら分かってくるものなのかもしれない。
入試は5教科だから、いくら数学ができるようになったとしても、それで合格というわけにはならないはずである。
でもなぜだか、数学を苦手にしていない生徒は高校入試に強い。そして数学の成績を上げ、その成績を上げるのには時間が掛かる。英語も時間が掛かるけれど、数学に比べればまだ時間が掛からない教科だと思う。

「数学の解き方を教えてあげてください」と、保護者の方から言われることがある。
こういう時の保護者の方のお気持ちはよく分かる。我が子を助けてほしい…という気持ちが伝わってくる。
でも数学は、解き方をいくら教えても成績はあまり上がらない。
解き方や知識はいくらでも教えられる。でも教えられる方の生徒の方はというと、それを使って問題を解いて、解けなくて悩んでまた解いて…という作業を繰り返さなければ、知識の使い方を身に付けることはできない。だから数学は時間が掛かる。

よく部活が終わってから、塾に入塾してくれる生徒がいる。夏期講習会前ならまだしも910月となってくると、もう数学は突貫工事の連続となってしまう。
突貫工事とはどんな状況かと言えば、入試によく出る箇所、具体的には計算問題と関数の範囲を中心に説明中心の授業となる。だから生徒に対しては暗記を求めることになるが、その説明中心の授業の中で、どこまで考えてもらえるか?ということが念頭となる。でもすぐに中間テストがあり塾の授業が中断、それが終わればまた期末テストがあるわけで、他の教科同様どこまで頭に入ってくるのか?が、僕自身も心配になる状況だ。

毎年中32学期の時期になると、生徒ばかりでなく保護者の皆さんも北辰テストの結果や中学の定期テストの結果を心配することになる。私立高校の確約や内申を気にし出すのだと思う。
北辰テストの結果が届くたびに、
「塾に通いだしたのだから、そろそろ成績が上がるはずだ」
と、考えがちになるのだと思う。
でも、実際にはあまり上がっていない。北辰テストで要求されている知識の深さを持ち合わせていないのだと思う。もしも上がることがあったとすれば、北辰
テストの問題が安易(最近は公立入試問題の影響で難しい回の方が多くなっているが、年に何回かは解きやすい数学が出される回がある)だった可能性が強い。

数学は知識の深さを問われる科目なのだと思う。
残念なことに、中学の授業や定期テスト、それに実力(校長会)テストも知識の深さをあまり必要としていない。入試問題に近づこうとしている北辰テストはそういった中学で行うテストよりは深い知識を求めせけるけれど、やはり入試問題の深さまでは届いていない。北辰では高偏差を取れていた生徒が、入試問題の演習では歯が立たない状況が起きているのは、その深さのためでもある。
数学は解き方ではなく、考え方が求められる教科になっている。
あと数学の学力を高める上で最近ここが問題だと思うのであるが、何本の線を頭の中で描けるか? という大きな課題もある。

知識の深さは、塾で教えることで身に付けてもらうことができる。
でも線の方は、僕の努力ではどうにもならない…と思うことが多くなった。
線の話をどんな風に説明させていただいたらいいだろうか。なかなか上手に説明することができないような気がする。

いま小学校の算数はたぶん1本〜2本の線でできているような気がする。1本の線とは、問題を解こうと考えるときに、1つのことを考えれば足りることを意味する。言い換えれば1つの事項だけを考えれば、答えが出る問題なのだと思う。単純な計算問題が、これに当たるのではないか。
2本の線とは、ちょっと複雑な計算問題や一般的な文章題がこれに当たる。中学校に入学すると、算数は数学になる。これにともなって、これまで1から2本だった線が、1から3本になる。
ここで問題が起きるかもしれない。中学に入学して、一気に数学の成績が下がる生徒が多く出てくるようだ。これは数学の問題を解くときに、問題に含まれている要素が1から2だったものが1から3に増え、割合い的に2から3の問題が多くなることが関係している。
それと小学校の時に計算中心の塾に通っていた生徒が、この地域で割合い的に多いことも関係しているようにも思う。
子供たちは単純問題に慣れてしまうと、問題に含まれる要素が多くなった時に、脳がオーバーヒート?を起こしてしまうものなのかもしれない。
「単純問題の演習ばかりをする」 → 「中学入学後、数学が難しく感じる」 → 「数学が嫌いになる」 → 「数学の成績が下がる」 という状況は、たやすく子供たちのもとに訪れてしまうものではないだろうか。

ところで最近の入試問題はかなり難しい。Facebookで何度か書かせていただいているが、全体として問題の難易度が上がっている気がする。昔は公立高校の入試問題は、そのほとんどが基本問題ばかりであった。それが、2002年度のゆとりの教育実施以降、中学校で授業を受ける単元は減ったが、その分難易度が年々上がってきているような気がする。
例えばここ3年の公立の数学入試問題は年度によって差はあるものの、かなり解きにくい問題が増えてきている。そして問題を解くのに必要な知識の深さが増しているように思うし、やはり前述の問題を構成している要素の数も増えてくているように思う。

今年公立入試で、当塾の生徒は全員ではないが、ほとんどが合格した。
塾の近くの中学でも、上位のある高校に合格した生徒が8人だという。でももしも、数学の難易度があと少し上がっていたとしたら、当塾の生徒も含め合格者は半減していた可能性もあったのではないか。
こうした不安材料をどう解決していくか? 僕の仕事はそれに向き合うことだと思っている。


1. 高校入試を考えた時の小学生の算数指導

補習を求める生徒でない限り、ここ数年は少し難しい算数の問題集を使ってもらっている。
このちょっと難しい問題集は若干中学入試の問題も載っているが、決して難しい問題ばかりというわけではない。むしろ解きにくい問題が圧倒的に多い。
なぜ解きにくいのかと言えば、前述の問題を作っている線(要素)が多いのだ思う。
2〜3というのは当たり前、中には3〜5くらいの内容を含んだものまである。問題を読んで、わりとすぐに解き方が分かるものもあるが、3分の1くらいはすぐに解き方が思い浮かばないものが含まれている。だから時間が掛かる。時間が掛かるから、その学年で全ページを終わらせる生徒は少ない。

こんな意見を聞くことがある。
子供たちに難しい問題をやらせてしまって、勉強が嫌いになったりしないのか?との意見である。
ただ毎年新年度に、やってみなくてはわからないのじゃないかな?という気持ちで、新しいテキストを使ってもらっている。僕が思うには、子供たちは外見とは裏腹に意外に逞しく、教室の中でみんながこのテキストを解いているという状況さえ作ってあげれば、子供たちは普通のテキストとしてこのテキストを使っているように思う。ただ全ページが終わらない。
それに中には、ほとんどページが進まない生徒も出てくる。そんな場合は、短期間で終わる講習テキストの類を使ってもいいだろうし、他のテキストに替えることにしている。

またここで疑問が出るのかもしれない。その学年の学習内容をすべて塾でも終えなくてもいいのか?との心配である。
もちろん学校で分からないところがあれば、授業中に質問してもらいたい。もしも生徒が言えないのであれば、保護者から連絡をいただきたい。授業中に小学校の授業の説明もしたいし、しばらくテキストを中断して学校の範囲をやるのもいいと思う。
たとえそうした状況を続けたとしても、僕はこの少し難しくて、何本もの線を頭に描かなくては解けない問題集を続けるべきだと思っている。
算数や数学という教科は、かつては解き方を学ぶ教科だった。たぶん15年くらい前までは、僕は塾で解き方を教えていたように思う。でも入試問題の内容が変わってきて、この地域の中3生たちの高校合格が問題の難易度で決まってしまうようになってしまうと、僕はいつからだろうか…。問題の解き方ではなく、考え方を教えたいという気持ちになっている。


2、中3生たちの数学の偏差値を50に上げるということ

県公立入試問題で、数学で偏差値50というのはたぶん100点満点で30点前後に当たると思う。もしも合格だけを考えて、高校入学後のことを考えないとすれば、埼玉県の入試過去問題の大問1だけを過去5年程度繰り返しやってもらうのが最善の方法だと思う。大問1だけで満点で50点ほどの得点が取れるからで、このやり方が入試時の数学の得点を確実にする一番の方法であると思う。
ただあまりこの指導を、僕は気乗りしていない。この指導は合格の可能性は高まっても、高校入学後に数学を苦労させてしまう可能性を持っている。

大問1の問題というのは、すべて簡単というわけではないが、解き方さえおぼえてしまえば比較的短時間で答えが出る問題だ。あとは計算ミスがなければ正解になる。つまり頭を使う必要があまりない問題だと言えるかもしれない。
だから大問1ばかりを繰り返し解いて解き方をおぼえてしまった場合は、数学の大切な柱である考え方のトレーニングにはなっていないような気がする。これが高校入学後、どんな影響を出すことになってしまうのか? 僕の気乗りしない原因はここにある。

この地域の中学生たちは、知識の深い部分の授業を中学で受けていない。とくに数学はその傾向が強い。
中学の先生が悪いのではなく、「深い知識の部分の学習をする」=「生徒に時間をかけて考えることが要求される」=「生徒の負担が大きくなり、授業が進まなくなる…」
という状況があるために、どうしてもこの地域だと、授業内容がうわべに近いものになってしまっているのだ。
だから塾に通い、うわべよりも深い部分を学習しないと、高校に入ってから数学は苦手科目になってしまうことになる。だから塾は、中学ではやらない深い部分を教える必要が出てくる。
一番私が困ってしまうのは、10月以降に入塾してくれる生徒。シローズは入塾の時期の期限を設けていないから、10月や11月、ときには冬期講習会から入塾してくれる生徒がときどきいる。個人でやっいる小さな塾にとっては、どんな時期であっても入塾者が出るというのは嬉しいことだ。
ただこんなときは、迷いながらも僕は前述の大問1だけを指導することになる。指導しながら、この子は高校に入ってから大丈夫なのかな…。僕はときどき、そんな思いにかられることがある。
もちろん本人もそして保護者も、合格するために入塾してくれるわけで、塾としては第一にそれを求めるべきなのだと思う。でも僕はやはり心配になってしまう。
結局、数学という教科には遠回りという時間の経過が必要なのだと思う。なかなか上がらない。なんで上がらないのだろう?と思う日々は、実際には成績を上げる準備をしているだけなのではないだろうか。そんなことを感じることが多い。



3、選択問題を実施校に合格するということ

埼玉県の場合、越ケ谷高校以上の高校が英語と数学で選択問題を採用している。それ以外の高校が採用する共通問題との難易度の違いはかなり大きい。
英語はおそらく長文がネックになるだろう。今年の入試問題でいえば、それに加え英作文が解きにくかったのではないか。また長文に限らず、何か所か難しい文法表現があった。
数学の選択問題は、全体的に解きやすかったようだ。塾生全員に聞いたわけではないが、ほとんどの生徒が優しかった。と言っていた。確かに僕が聞いている塾生の自己採点の点数は、英語よりも数学の方がかなり高かった。

共通問題の数学と選択問題の数学の違いは、使う知識の深さなのだと思う。だから解き方が分かるか分からないかの問題ではない。
それと気になるのは、問題を構成している線の数なのだと思う。明らかに共通問題と選択問題の線の数は違う。問題のほとんどが、中学の定期試験よりはかなり難しいが、単純でそれほど多くの知識を必要とせずに解くことができる共通問題に対して、選択問題は問題を構成している線の数が多いために、なんとか答えに近づきながらも、答えが出てこない問題が多い。
ただこの選択問題にも年によって難易度の違いがあって、去年と今年の問題はかなり解きやすかったはずである。難問に近い問題は含まれていたはずであるが、それを解かなくても比較的高得点が取れる問題だったと思う。

毎年シローズは冬期講習会で、去年の他県とここ数年の県公立入試問題の演習を行なっている。今年は2日目と4日目に、一昨年と一昨々年の県公立入試問題の演習を行った。
このとき数学の得点は散々だった。1日目と3日目の他県の問題で高得点を取っていた生徒が、途端に50点に満たない点数を取っていた。ある程度を覚悟していた僕も、点数の大きな下降にはかなりの焦りを感じた。
私立入試を挟んで、1月22日から再び公立過去問題の演習になった。冬期講習で県入試の選択問題に太刀打ちできないことが分かった僕は、都立自校問題の過去問題の演習を行った。2月の中旬になった頃、選択問題受験の生徒たちの数学の点数は、学力的に二つに分かれていたと思う。自校問題の演習でじりじり点数を上げてきた生徒と、点数がそれほど伸びていない生徒にだ。
ここで少し不思議なことが起こっていた。
シローズに来る前、小学生の時に何年かある計算主体の習い事をしていた生徒が数人がこの都立の自校問題にひどく苦戦していた。
一生懸命やっていないわけではない。たぶんかなりの学習時間を取っている生徒だと思う。それにその子たちは、比較的簡単な問題のテスト演習だと90点に近い得点を取っていた。それなのに難しい入試問題だと、途端に点数を落としていた。
こうした状況は何が原因なのか? 僕にも的確に説明することはできない。
ただあくまでも、これは僕の想像なのであるが、小学校の低学年から単純な計算主体の算数ばかりを繰り返していると、算数や数学で問題を解く上で思考力に癖がついてしまうのではないか。そんな印象を持っている。
だから問題を構成する線が多いような難解な問題だと、途端に頭が動かなくなってしまうのでないか。そんな印象を持った。

あともう一つ、気になることがある。
2学期の終盤あたりから、中2生たちは図形の合同を学校で勉強している。一般的には、三角形の図形の合同を証明(三つある合同条件に当てはめて、文章で二つの三角形の形と大きさが同じであることをまとめること)するのがその内容である。
この単元は図形を見る目を養う内容だと思うが、実はこの地域の中学校の授業がかなり手薄になってしまっている。そもそも数学の答えを文章でまとめるという行為が多くの子供たちの苦手部分に触れるわけで、中学授業で説明する内容がかなりうわべだけのものになってしまっている。
中学の先生方はもっとレベルの高い内容をやりたいのだと思うけれど、数学が得意な生徒だけを相手にするわけにも行かず、分からない生徒に分かるように教える…という学校という場の事情がそこにあるのだと思う。

実は中2で学ぶこの図形という範囲は、中3の2学期の終わりにも子供たちは学ぶことになる。中2の合同に対して、中3では相似と三平方の定理を学ぶ。
2の合同と中3の相似と三平方の定理は別物ではなく、その3つが深く関連し合って、例えば図形の合同が出来ないのに相似と三平方の定理が出来るというのはまずない。またもしもその逆に合同の範囲が出来れば、相似や三平方の定理が出来る可能性が高い。

ところで中3生の数学の偏差値を考える時、例えば北辰テストであれば12月から相似の範囲が出題される。ということは、11月までであれば図形が解けなくても高い偏差値を取ることができる。
ここで問題が起きる。11月まで65以上の高偏差を取っていた生徒が、中3範囲の図形が北辰テストで出題される12月以降、急に偏差値が下がるケースがあるのだ。シローズでもこういう生徒が出てくる。彼らに共通するのは、中2範囲の図形の範囲ができていないこと。計算問題と関数と方程式はほとんどできている。だから11月までは65以上の偏差値が取れた。ところが相似と三平方の範囲が出題される12月以降、数学の偏差値が50台まで下がるのだ。ということは、蕨・浦和西への受験を考えていた生徒が草加・越谷南のレベルの高校を受験することになる。そしてこういった生徒がこの地域では以外の多いようである。


数学という教科は、また不思議な教科なのだと思う。
5教科のうちの1教科には違いないのだが、どんな学習をしてきたか?によって、大きく高校受験を左右する教科でもある。
そして得意科目になれば、数学の学習はまるでゲームをするような面白さを味わえることも事実である。でもそれには小学生からどんな学習をしてきたか?が大きく作用している。
僕は塾で毎日数学を教えながら、高校受験を見越して、高校入学後の彼らの姿を追いかけている。

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