2020年11月25日水曜日

こんなやり方を取りたいわけじゃないけれど、取らざるを得ない「浦和西、蕨の合格の仕方」

落ち着いて、頭の中で湧き上がるさまざまな不安を取り除いて考えたとき、この地域、この地域というのは戸塚、鳩ヶ谷、新郷、そして塾をやっている安行という地域の小学校を卒業し、中学校に通う中学生たちにとって、特別なことをしないで、それでいてある程度真面目に学習をしたとして、じゃあどの辺の高校に合格できるのかというと、たぶん川口東(45.5)から鳩ヶ谷(47.7)といった高校になるのではないか?

ただ子供たちの中にも、生まれ持った学習の能力の差もあるから、知能指数の高い子たちは草加南(51.5)や川口(53.0)に合格することになるのだと思う。

浦和西(64.0)や蕨(64.8)やそれ以上の高校に合格し、そこそこの成績をおさめるということは、この地域の中学生たちにとっては奇跡に近いことなのではないだろうか。

 

でも僕の塾に来てくれている生徒の中には、浦和西(64.0)や蕨(64.8)以上の高校を目指そうとする生徒が毎年いる。まあ、彼らに日常的に接している講師たちの元生徒たちがそうした高校の卒業生だったりもするものだから、そういった高校を目指そうとする生徒たちが出てきてしまうのだと思うのだけれど、そうなると僕などはなんとか浦和西・蕨以上の高校に生徒たちを合格させることはできないものか?と必死に考えることになる。

 

そうやって、僕はいろいろと方法を考える。

一人一人その方法は違ったりもするのだけれど、何よりも合格させることが目的じゃなくて、入学後高校の授業についていくことが最優先されなければならないわけだから、決して隙間を狙うような奇抜なことをしたいわけではないのだけれど、時として保護者の皆さんの耳を疑うようなことになってしまうことも多いのだと思う。

 

例えば、高校合格に英検等の資格は必要ないのではないか?という話もそうだし、学習の上の話ではないけれど、私立特待を希望する方たちが多かったときには、その選択は正しいのか?との意見をプログに書かせていただいたこともあった。

最近では、私立高校への単願についての意見も書かせていただいている。

 

ただ僕が思うことというのは何の決定権も強制権も無いわけで、生徒にはときどき話してはいるけれど、僕と違った考えを持つご家庭に対して意見をするようなことはあってはならないと思っている。

私立高校単願のことにしても、もしも保護者の方からご相談があれば意見は言わせていただくかもしれないけれど、やはり決定はご家庭がするべきものだから、私立高校に連絡をしたりもしている。

 

塾に来ていただいているというのに、塾側が意見をいうべきなのか?という考えもあると思う。僕もそれを思う時があります。だからこの辺について迷うところでもあるのですが、意見があるならば、やはり言わせていただくべきではないかと思っています。でもそれをどう考えるのか?というは、ご家庭が判断することだと思います。

 

それでこのことは、これまでにブログやフェイスブックでも何度か書かせていただいていることなのですが、実は僕が生徒に伝え続けていることがあります。

もう10年以上、僕は時折こんなことを生徒に伝えている。

「普段は英語と数学の勉強だけをした方がいい。理科と社会はテスト2週間前に集中する」

このこと、読まれている方はどう思われるのでしょうか?

そんなことはないよ…。そう考える方もたくさんいると思います。

 

このこと、こんな事情があります。

いま公立入試は、明らかに英数高・理社低の状況にあります。

ここが実は問題で、この地域の中3生の多くが受験期が近くにつれて英語数学の成績が下がってくるようです。

原因はたぶんいろいろとあって、まず小学校の時期に身につける発想力と読解力の不足があって、その辺が中学入学後にネックになっていく中で、中学入学後の英語数学の授業のレベルの低さがあるのだと思う。

よく思うのは、定期試験の英語数学の問題のレベルが公立入試のレベルに完全に届いていない。

 

理科社会にも同じことが言えるのだけれど、まだまだそれほど県入試の難易度は上がっていない。英語数学との違いは、公立入試で難易度が上がって平均点が下がったとしても、この地域の受験生たちの得点だけが大きく下がることはないと思う。でも英語数学は難易度がわずかに高くなると、この地域の受験者だけ得点が下がる傾向がある。

 

とすると、英語数学の学習時間を増やすべきなのではないかというのが、僕の思いになっている。

いつから増やせば良いか? 早い方がいいに決まっている。だから僕はあるときから家庭学習も塾での自習も英語数学中心で、理科社会はテスト前にした方がいいと言っている。

ただここで、問題が生じる。理科社会はどうするんだ?ということである。

ぼくはこんなふうに生徒の皆んなに伝えている。

理科社会はテスト前に集中してやろう。テスト1週間前か2週間前に理科社会は集中してやって、それまでは塾の英語数学に集中する。

 

この状況、理解できない方がきっといるのではないか…と、僕も思う。

こんなことを書いている受験情報はきっとないし、公立高校受験は5教科だから英語数学の学力だけが上がっても、理科社会の成績が上がらなかったらどうするんだ?という思いだってあるだろう。それに内申のこともある。

ただ実はここ10年くらい僕の塾では通常は英語数学の学習を中心に、中学の定期試験の前には理科社会を中心にというやり方を伝えている。

だからいま塾で働いてくれている講師たちも、この学習の仕方で成績を上げて高校に合格した人たちだ。それで彼らも自分の中学生時代の経験から、この学習の仕方が合格を生む学習だと思っているようである。

 

これは資格のこともそうなのだけれど、理想としては5教科の学習をまんべんなくするべきなのだと思う。資格だって、取るべきだと思う。

でもそれをしていては、この地域のほとんどの子が中3の受験期に英語数学の成績を大きく下げることになる。

だからといって、中学の授業のレベルを上げることはどうも無理なようだし、例えば塾のテキストを難しくすることも、現状として負担の上で無理になってきている。

だからこその英語数学を中心とした指導なのだけれど、受け手である生徒と保護者の皆さんの理解は得られないかもしれない。

 

※ ( )内は合格者平均偏差値、2020年北辰図書資料から

2020年10月19日月曜日

いまもう一度、公立高校入試を考えてみたくなった

川口東高校で130点、鳩ヶ谷高校で150点、草加南高校で200点、川口高校で220点、草加高校で250点、越谷南高校で270点、浦和南高校で290点。

                                                                                       

選択問題実施校を考えると、市立川口高校が280点、川口北高校が300点、浦和西高校が320点、蕨高校が350点、春日部高校が360点、浦和市立高校が375点、大宮高校が390点、浦和一女が400点、浦和高校が420点。

 

上の得点は、公立入試で合格に必要な高校別の得点です。

意見がある方もいるかもしれないが、シローズでは毎年この得点をもとに受験指導をしている。

もちろんもう一つの指標である内申点も無視できないから、標準的な内申点に対して内申がマイナスであれば合格に必要な得点はさらに上がり、プラスであれば必要な得点は下がるということなのだと思います。

 

それから倍率についても同じことが言えて、1.5倍台まではこの通りでいいと思います。1.6倍を超えたとしたらどうでしょうか? 多少考えるかなあという感じです。1.7倍を超えたとしたら、入試得点を加算しなくてはならないと思います。

 

では資格はどうなのかというと、シローズの場合、あまり考えてはいない。

資格を考えなくても入試で得点が取れた生徒は合格し、取れなかった生徒は不合格になっているという記憶があるからだ。

 

資格のことで言わせていただきたいのは、資格を取るために学習する時間が惜しいと思うことがあります。とくに中学3年生になってからは、それどころじゃないのではないか? そんな想いに駆られることがあります。

もしも資格取得のために要する時間が、通常の塾授業に向かったとしたら、どんな結果が出るのだろうか? 僕の思考はいつもそこに行きついている。

 

実はこの地域の中学3年生たちのほとんどは、2学期以降北辰テスト等の偏差値を下げる傾向がある。

たぶん他の地域の中学3年生たちの、彼らはこの地域よりも高い国語力や思考力を小学校からの学校授業から身につけた子たちが部活終了後に勉強を始めるのが常だから、それに押されるように小学校からの授業で国語力や思考力を身につけてこれなかった子たちの大半が、勉強を始められずに高校受験の時期に突入する。その差が学力の開き、さらには下降を生むのだと思う。

 

それとその時期に数学の学力が下がる傾向があるようだ。

こちらの方は前述のような緩やかな偏差値の下降ではなく、一気にドタンというような下降となる場合がある。11月まで65以上の偏差値を取っていた生徒が、12月の北辰で一気に56まで下がる。そんなことを目にしたことは、僕にはある。

割合的にどうなのだろう…。もしかしたらこの地域の3割から4割の中学3年生たちが、大きく数学の偏差値を下げているのかもしれない。

そういう状況があるから、僕などは資格取得のための動向に疑問を持つ。

 

公立高校入試の残る一つの要素である問題の難易度はどうか?

実は選択問題の導入以降、この地域は入試問題の難易度の影響を強く受けている。

この問題、一言で言えば偏差値通りの得点が入試の本番で取れない…ということを意味する。

 

5人→15人→20人→21人 これは安行中学の過去4年の川口北以上の高校に合格した人数である。

4年前入試問題はかなり難しかった。選択問題だけでなく、学力問題の方も解きにくい問題が多かった。その結果、多くの受験生が公立高校を不合格になっている。4割が不合格だという人もいれば、6割近いのではないか。そんなことを口にした人もいた。

去年と一昨年、合格者が多くなっているのは、中3生たちが努力をしたということよりも問題が非常に解きやすかったことの要因が大きいような気がする。

 

この地域は入試問題の難易度が、即合否に結びついてしまう。

この原因を考えるとき、3つ事が頭に思い浮かぶ。

 

一つは、いまの入試問題が発想力と国語力のあるなしで得点の差が出やすいタイプのものだという点がある。

いま5教科とも国語力の影響を受けやすい問題が多くなっている。

国語の長文のような文章を読むことで、はじめて解ける問題が5科を通じて増えてきている。

そして発想力と言っていいのだろうか。数学では一般的な解き方では解けない問題が増えてきている。

9月と10月の北辰テストの中で、一般的なその単元の解き方では解けない問題が出されていたが、ああいった問題が入試で出題されると、なぜだかこの地域の生徒たちは解けない。それなのに一部の地域の中学生たちは平気で解く。

これは小学校からの授業レベルが大きく関連しているような気持ちになる。

 

県内の一部の中学3年生たちは、小学校入学以来、いやその前から国語力を身につけながら生活してきている。そして学校授業の中で発想力も自然に身についてきているのではないか。でもそれが身に付いていないこの地域の子供たちは、入試前の突貫工事的な受験勉強ではそれが身につかなくなっているのかもしれない。

そういった発想力と国語力の地域間格差が、難易度の高い受験になると見えない学力の違いとして出てきているように思う。

 

二つ目は、受験期の学習量の違いがある。

どうしてもこの地域の子供たちは勉強量が少ない。中には勉強している子もいるが、その子たちとはいえ県内の一部の地域では一般的な学習量なのかもしれない。

この地域のように学習時間が少ないことが一般的な地域では、平均的な学習時間は当然低くなる。そしてそれが一般的な受験勉強だと思ってしまうのだと思う。

ところが県内の一部の地域のように中学校の平均偏差値が60を超えるような地域では、部活終了後に学習をするということが一般的なことになっているのではないか。

この学習量の違いが、難易度の高い受験に対応できない地域と、対応できる地域を生んでいるように思う。

 

三つ目は、いま中学生たちと保護者の興味は中学の定期テストに向かっているように思う。それはこの地域だけの問題ではないと思う。

そしてそのニーズを受けて、ほとんどの学習塾はその対策に追われているのではないか。ただ、ここで問題が生じる。この地域の中学の定期テストは問題のレベルが低すぎるのだ。

 

だから塾は定期テスト対策として、授業のレベルを下げがちになる。そして生徒たちはそれに慣れ、保護者は点数や学年順位に一喜一憂しながらも、定期テストの先に高校入試があると考えてしまっている。

でも実際には、定期テストの問題と入試問題はレベルが違いすぎている。

こうした悪循環の中でこの地域の中学生たちは日々中学校生活を送り、高校受験に一歩ずつ近づいていく。

 

この地域のごく平均的な中学生たちの進学先である川口東高校で130点、鳩ヶ谷高校で150点という合格点は、定期テストを念頭に置いた学習をした結果となっているのではないか?

 

この地域の中学3年生は定期テストを念頭に置いた学習状態の中で、準備不足のうちに高校入試の時期を迎えているのかもしれない。そして大半の子供たちにとって、入試は初めて向き合う本格的な総合問題なのかもしれない。

北辰テストの経験はあっても、時間区切った形での公立高校の問題を初めて向き合った子供たちも大勢いるのかもしれない。

もしもそうだとしたら、入試問題に目が慣れないうちに入試を経験することになっているのかもしれない。

だとしたら、一般的な難易度の入試問題でも対応できないのに、難易度の上がった入試問題には一層対応できないのではないか?

 

 

前述の合格に必要な得点をもう一度見ていただきたいと思う。

安行・新郷地区の中学生たちのちょうど真ん中の生徒が入る高校が川口東高校、鳩ヶ谷・戸塚地区の中学生たちの真ん中の生徒が入る高校が鳩ヶ谷高校なのだと思う。

入試は1教科100点満点だから、川口東高校は1教科26点で、鳩ヶ谷高校の方は1教科30点で合格することになる。

 

100点満点で26点や30点という数字が意味するものを考えるとき、僕はいまのこの地域の高校入試の難しさを感じてしまう。

自然とこの地域の中学生たちの流れが川口東高校や鳩ヶ谷高校に向いているような思いさえしてくる状況がある。

 

そんな中では川口高校は進学校になっているのかもしれないし、市立川口は秀才の入る高校になっているのかもしれない。

ただこんなことを僕は経験している。

 

川口高校よりも少し高い高校の定期テストの問題を見た事がある。

基本問題と言っていいのだろうか。いや基本問題と言うよりも、明らかに点数を取らせようとする学校側の意思が感じ取れた。

しかしその高校に通う生徒たちは、その高校を歴史あるレベルの高い高校だと言っている。この辺の矛盾が、いまこの地域の中学生たちの多数が入学する高校にはある。

学校側が事実を伝えずに、励ますことに専念しているんだ。

 

でも考えてみると、いまを生きる子供たちは、励まされることに専念されているコミュニティーの中で生きているのかもしれない。

保護者は褒めることに専念し、我が子が迷わないことをいつも念頭に置いた子育てを目指す。

本来高校受験は、現実の世の中を見せる手段でもあるばずなのに、寄ってたかって、現実を見せない方向にこの地域は進んでいるような気がする。

 

202010月半ばすぎ、シローズに来てくれている中3生たちはかなり焦りを見せているようだ。

3ヶ月に及んだ休校の影響が確かにある。勉強をしようと言う気持ちが、この地域にいま渦巻いている、受験期になっても机に向かおうとしない妙な雰囲気に足を取られている。

 

先週木曜日に届いた北辰テストの結果はひどかった。

生徒たちの個別の偏差値だけを見て、事務所のテーブルに置いたままにしていた北辰から送られてきた冊子の内容を見ていたのは、塾の授業を持つはずもない家内だった。

 

「まずいんじゃない」

目が覚め切っていない僕に、彼女はそう言った。

見たことのない平均偏差値、頼みの綱の数学の偏差値でさえ、例年のこの時期よりも7ポイントくらい下回っている。

「これじゃ土日閉められないよ」

黙っている僕に、家内はそう言った。

この成績の先に何が待っているのか? 僕には分からない。わずかな希望を大きな悲観が包み込んでいる。

 

授業の形態を変えるべきなのか?

でもそんなことで変化が出ないことは、20年以上も塾をやっていれば、僕にも想像ができる…。

ただいまの僕に出来きることと言えば、土日もできるだけ閉めずに窓を開け、換気扇をつけて、エアコンを適温にして、生徒たちを待つことだけだ。

2020年8月22日土曜日

市立川口高校の「学校選択問題」導入を思う

市立川口高校が来年度の受験から学校選択問題(以下選択問題)を導入するという。

倍率が下がるのではないか? 僕がまず思ったのがそれだった。

 

なぜ、市立川口高校は選択問題の導入を決めたのだろうか?

それを書かせていただく前に、市立川口高校が今年の入試まで使用していた学力検査問題(以下学力問題)と来春の受験から導入される選択問題の違いについて、書かせていただきたいと思う。

 

学力問題も選択問題も国語・理科・社会の3教科は共通のものが使われている。

だったらそれほど大きな違いはないのではないか?と思われる方もいるかもしれない。でもこの二つの入試問題は大きく違う。

 

学力問題の得点を上げるのには、選択問題に比べて長い時間を必要としない。

市立川口が選択問題を採用したいま、県南の高校で一番の高得点を必要としているのは浦和南高校だと思われるが、そこであっても合格に必要な得点は一般的な内申点であれば280290点ほどになるのではないかと思われる。

もしも280 点だとすれば1教科56点、入試問題は100点満点であるから、56点といえば半分ちょっとの点数になる。ということは、浦和南高校は学力問題の入試得点で半分ちょっと以上の得点が取れれば合格点となる。

市立川口高校は、ほぼこの浦和南高校と同程度のレベルであると思われるから、いま市立川口に通っている生徒たちは入試で各教科半分ちょっと、合計で300点弱の得点以上を取った生徒が通っているはずである。

 

ここである状況が思い浮かんでくる。

毎年1月の末、私立入試が終わると、シローズでは公立入試過去問題の演習を行っているが、僕は市立川口や浦和南、そして越谷南を受験する生徒にこんな言葉をしきりに伝えている。

「全問を解こうとしない方がいい。6割の得点が取れればいいのだから、4割は捨てていいんだよ」

僕は、その時期に毎年同じような言葉を生徒たちに伝えている。もう10年くらい言い続けているかもしれない。

 

そうすると、生徒たちは解き方を変えだす。

これまでは全問題を解こうとしていた生徒たちは、解けそうな問題を探し始める。そして解けない問題を残しながらも、安定した点数を取り始める。

半分ちょっとの得点を取ろうとするとき、学力問題はある程度以上の学力を持つ生徒にとっては、比較的短期間で得点を積み重ねることができる入試問題なのだと思う。

 

でも選択問題は、こうはいかない。

とくにこの地域の中学生の場合は、尚のこと。時間と労力をかなり要することになる。

毎年県入試まであと半月となった頃、僕は比較的学力問題の高校を受験する生徒たちを落ち着いて見ているような気がする。でも選択問題の高校はそうはいかない。直前までバタバタしながら、僕も不安になりながら、生徒たちを見守ることになる。

 

選択問題の何が学力問題と違うのかと言えば、英語は中学では習わなかった英単語や言い回しが出される。そして長文を解くにはかなり経験が必要となる。

数学は、最近はほとんど中学校の例題的な問題が姿を消した。数問出される計算問題も、中学の教科書やワークの類に載っている問題とは違う。

つまり英語でも数学でも、この地域の中学生であれば、やはり特別な勉強が必要となってくる入試問題なのだと思う。

 

英語では語彙力が関わってくるし、長文を読み取る力がどうしても必要となってくる。ということは英語力だけではない国語力の有無が得点を左右することになる。

数学では問題を作っている要因が学力問題に比べて、かなり増えるような気がする。いくつもの事項を頭の中で、持っている知識を使いながら、同時進行でいくつもの事項を考え、それを使って答えを出す力が必要となっている。

 

そしてこの地域の中学生たちは、保護者もそうだと思うが、選択問題を敬遠する向きがある。

まだ8月だから、それほどでもないかもしれないけれど、これから年末に近づくにつれて、選択問題を実施している高校への受験を心配する気持ちが増してくるようだ。

というのもこの地域では、中3生たちが二学期以降、数学や英語の偏差値を大きく下げる生徒が続出することになる。とくに数学の落ち込みは大きい。

9月から12月まで、偏差値を下げる生徒は半数近いのではないか?などという信じられない話は毎年のように伝わってくる。

そんな中で、どれだけの生徒が選択問題の高校を受けるのか? 多くの中学生たちが不安を募らせていく中で、同レベルであれば、選択問題を採用する高校よりも学力問題を採用する高校を選ぶご家庭は多いはずである。

 

ここで疑問が生じる。

2020年度の入試で、市立川口高校は倍率を大きく下げている。2018年度、2019年度と普通科で1.5倍台、理数科で2倍を超える高倍率だったのが、普通科で1.2倍、理数科で1.4倍まで下がってきている。唯一文理スポーツ科が2019年度に1.5倍だったのが2.1倍まで上がった。

2019年度に理数科は川口北と完全に並んでいる。2020年度の資料はまだ手元に来ていない状況だが、理数科と言えども、もう川口北のレベルではないだろう。

そんなときの選択問題の導入は、やはり腑に落ちない部分がある。

倍率がこれ以上下がってしまったとしたら、下がらないまでも1.7倍以上の高倍率が続かなければ、高校の難易度の上昇はない。

もしかしたら教員間の決定ではなく、学校の外から強い圧力があったのかもしれない…などと想像を支度もなる。

 

もしも選択問題の導入によるメリットがあるとすれば、それは大学受験に有利な生徒は見つけやすくなることなのかもしれない。

学力問題の問題では、どうしても入学後の成績やとくに大学入試の学力を測れない部分がある。例えば学力問題の数学で80点以上の得点を取った生徒が理系の大学に向いているかなどは分からないという事情がある。

それほど学力がない生徒であっても、点数の取り方で高得点が取れるのが学力問題との見方ができる。

それが選択問題となることで、より受験生たちの本当の学力が見えやすいものになるのかもしれない。

生徒たちの学力をきめ細かく見ることができれば、より大学入試の指導に役立つものになるから、そのための選択問題導入なのかもしれない。

 

ただやはり、頭の中でどうしてもクエッスションマークが点滅してしまうのはなぜだろう?

市立川口高校は、大学進学を強くアピールしている高校である。

入学試験前の説明会でも、在校生に対して中堅ではない上位大学への進学を強くアピールしている高校である。

市内ではもう一つの進学校である川口北があるが、アピール度では川口北を完全に上回っているのではないか。

その結果が、来春に出る。新市立川口高校になってから入学した生徒が初めて来春卒業生を送り出すことになる。

どれくらいの合格実績になるのだろうか?

 

これは私の持論であるが、大学受験を目指すには高校入試時に偏差値65が必要なような気がしている。5教科でも3教科でもなく、英語と数学がともに65を超えていることが必要条件であるような気がする。

私は高校受験のことしか知らないから、大学受験については常識の範疇以上の情報を持っているわけではないが、塾に来ていた元生徒たちで中堅以上の大学に合格した元生徒たちは、ほぼ全員が高校入試時に英語と数学で65の偏差値を持っていた。どこの高校に進学したかではなくて、その生徒が持っている勤勉性や逞しさのような気持ちの方が、大学受験のの結果に大きく関わっていたような気がする。だから進学した高校と大学受験の結果は、僕が接してきた元生徒たちの状況では、それほどの関連性はないのしれない。

 

現在の市立川口高校は、圧倒的に英語と数学の偏差値が65以下の生徒で占められている。

もしも進学校としての評価を得ようとするのなら、入試問題の変更などよりも偏差値65以上の生徒をどうやって集めるのか? そのことの方が重要なような気がするが、これを読んでいる皆さんはどのように思われるのだろうか?

やはり僕の中では、今回の市立川口高校の選択問題の導入は、理解できないもどかしさがある。

2020年7月31日金曜日

安行中 my Love 「こんなことでいいのか? 安行中」

もしかしたらこの地域の中学3年生の4割から5割は、総合問題に対応できなくなっているのかもしれない。

今年のシローズの夏期講習会で中3生たちは、3部構成になっている。

一つは通年テキストを進めること…
この地域は入試までに中3の学習範囲が終わらないから、入試問題を解き始める冬期講習会までに中3範囲を終わらせる。あるいはできるだけ進める必要がある。

二つ目が理科と社会…
理科と社会は、夏休み中にある程度目処をつける必要がある。そうしないと二学期以降理科と社会に時間を取られてしまい、英語と数学の学習に時間を割く時間がなくなってしまう。この地域だと、多くの生徒が12月くらいの時期に大きく(英語と)数学の成績を下げる。これを防ぐには、夏休み中にある程度理科と社会で目処をつけることが必要となっている。

そして最後が、模擬試験等の総合問題の演習…
英数国の総合問題を前授業で生徒に配布し、生徒は演習解説日までにそれを解いてくることになっている。

三つ目の模擬試験等の総合問題の演習の解説の初日が終わったとき、僕はある生徒から声を掛けられた。
「分からない。全然解けない…」
憮然とした表情と言ったら良いのだろうか…。ときどき心の中を表情に出してくれる〇〇くんは、僕にそう言った。

彼の解答用紙を見ると、正解がかなり少ない。
この地域のちょうど真ん中の生徒が進学する市内の高校の合格入試得点が一教科二十数点だということを僕は思い出していた。
そのとき、僕は必死に〇〇くんを励ましていたけれど、彼の「いったいなんでなんだよう…」という視線が頭に残った。

学校の定期テストは単元別に出される。
だから定期テストの問題は、ある程度は予測できる問題なのだと思う。
でも模擬試験の類は当然、様々な単元から出されるわけで、〇〇くんにとっては予想外の問題に思えたのだろう。
あれもできない、これもできない…、どうしたらいいのだろう…。そんな思いだったのではないか?

彼は前から塾に来ている生徒だ。でも成績はあまり伸びてはいない。
一つには国語力の乏しさがある。だから問題を瞬間的に分かる・分からない問題に分類するきらいがある。
彼にとっては、分かる問題はすぐに答えを書かなくてはならない問題であり、分からない問題は先生に聞く問題であるのだろう。

分からない問題を聞く…という行為は、決して悪いことではないと思う。
保護者の中にも、分からない問題は先生に聞いて教えてもらう。塾という場所の存在理由の中には、きっとそれがあるのだと思う。
ただここで問題が生じる。

分からない → 先生に聞く 

という行為は、知識として残らない場合が多くある。数日あるいは数時間という時間の中で、忘れてしまうことが起きてしまうようだ。
それはそこに、「考える」という行為が欠如しまっているからではないか。
考えずに聞くという条件反射的な習慣が、確かに彼にはある。それが知識として残らない原因となっている。
知識に残る学習とは、

分からない → 考えてみる → 先生に聞く

という学習方法ではないだろうか?

彼のような生徒は、この地域にかなりいる。
彼は中学の定期テストの順位から考えて、この地域の中学校で中位にいる生徒だと思う。明るく、部活も一生懸命やり、教員たちからも彼はある程度信用されている生徒であるはずだ。
そう考えると、彼の状況はこの地域のごく平均的な中学生たちの状況なのかもしれない。
そこまで考えた時、僕は怖くなった。

保護者の皆さんは、この状況をどのように考えるのだろうか?
中学3年生が夏休みになって、総合問題を解くことができない状況を中学の先生のせいだという方たちもいるのかもしれないし、彼らが通っている塾の指導力の無さを非難する方もいるかもしれない。
あるいはこの地域の中学生たちの能力を疑う方もいるのではないか…。

でも僕はこんなふうに考える。
平均値を思うときの感覚に、他の地域との間でズレが起きているということはないだろうか?

平均値とは、学力だけことではない。
どこが平均的な高校なのか?
中学生たちの普通の学習とは、どんなものか?
中学生が一日のSNSやゲームにかける時間はどれほどが平均的で、学習にかける時間はどれくらいが平均的なのか?

最近では、我が子の学習を見る時間も他の地域との間で差が生じてきているような気がする。この地域の保護者の方たちが、過度に我が子の学習に手を加え出しているような気がしてならない。
この部分での行き過ぎは、子供たちの考える力をひどく奪い取ることになる。

いまシローズに来てくれている中学3年生たちは、たいていは不安の中にいる。
何に対する不安かと言えば、自分の学力の状況が自分の望み通りになっていない…との感覚なのだと思う。
彼らにとっては学校休校が終わり、とうとう受験だ…と思った途端に、北辰テストが帰ったきた。
えっ、自分の偏差値はこんなものなのか?
塾内模試も帰ってきた。さらに落胆は続いたのだと思う。
それが少し癒されたと思ったら、今度は期末テストが帰ってきた。もうすぐ学年順位も出る…。

そんな中、不安は次第に大きくなるばかりではないだろうか?
でも、僕はそれでいいと思っている。高校受験は、自分の置かれている現実に気づくことから始まると思うから。
問題なのは、その状況の中で自分がいま何をすべきかを考えるべきことだと思う。

久しぶりに 安行中 my Love を書きたいと思ったのは、実はこんな理由がある。
安行中の期末テストが終わって、数学で90点以上の生徒が2名だったという話を生徒から聞いた。
僕はまずその時に、そんなもんなのか? という印象を持った。意外に平均点が低い。問題を見た印象としては、クラスで1人か2人くらいは100点の生徒がいてもおかしくない問題だと思った。

それから2日が経ったとき、90点以上だった生徒2人がシローズの生徒だということを知った。
嬉しくないわけじゃない。でも正直に言えば、それほど嬉しく感じられなかった。
むしろ、なんで? という感覚の方が強い。
彼らはできない子たちではないし、何よりも僕にとっては愛すべき子たちだけれど、90点台前半の彼らよりも高い得点を取れる生徒がいないという事実を、僕はひどく重く感じていた。
これまでよりも地域格差が広がっていることを痛切に感じたし、このままでは年明けになってから、志望校を変更する子が後をたたなくなるのではないか?
そんな予感さえ感じていた。

こんなことでいいのか? 安行中。ちょっと不甲斐すぎはしないか…。
先輩ズラするつもりはないけれど、なんだか僕にはひどく寂しく感じられた。
そんな気持ちが、僕をキーボードに向かわせたのだと思う。

2020年7月4日土曜日

2020夏期講習会を前に、塾長の頭にあること

まずは、生徒たちを机に向かわさなければならない。

学校は再開しているのに、何を言っているのだろう? 多くの方たちは、そう思うかもしれない。
どれだけの人が信じてくれるのかは分からないけれど、いま子供たちは3ヶ月に及んだ学校休校以前と様子が変わってきている。

小学生で言えば、ほとんどの子が一人で問題を考えられなくなってきた。
そして中学生は机に向かう時間が、圧倒的に減ってきている。
最近塾で宿題をやってきてくれない中学生がかなりいる。
割合的にはどうだろうか? 休校前に宿題をほぼやってきていた生徒は8割ほどだったのが、学校再開後は塾での授業が再開してからは2割から3割程度の生徒しか宿題をやってこなくなった。
子供たちの変化の原因はよくは分からないが、小学生で言えば、保護者が我が子の隣について学習を見ていたこと、中学生はSNSとゲームが関係しているような気がする。

それとここ何週間か、授業が始まって答え合わせという段になったときに、ノートを開こうとしない生徒が何人も出てきている。
どうしたの?と聞くと、ノートを新しいノートに替えてしまったから、答え合わせができない…と、彼らは口にする。そんなにノートってなくなるのだろうか? 雰囲気からして、言い訳のように感じられる。
それが少人数であれば、大した問題はない。注意をすることもだきるし、時には怒ることだってできた。
でもそうした生徒の割合がここまで多くなってしまうと、注意をすること自体が、塾の先生は何言っているんだ?という視線に変わってきてしまっている。

やっぱり学校は偉大なんだ。学習面だけではなくて、子供たちのモラルの面でも、休校の影響がこんなにも…と思えるほど、ジワジワと子供たちを蝕んでいる。
多くの方が口にしていた、子供たちの学びを止めてはいけない…という言葉を今更ながら思い出す日々が続いている。

この状況をどこかで変えなくてはならない。
時間をかけて変えよう…では、子供たちの成績の上昇はしばらくの間止まってしまう。この地域の子供たちにとって、それが何を意味することになるのか?
僕は、あまりにそれを見すぎてしまったのかもしれない。
夏期講習会を通して、何かの変化を起こすことはできないものか? 夏期講習会のことを考えているときの僕の頭には、それがあった。

それと、先日塾内で模擬試験があった。
この時期に塾内模試を行う必要などなかったのだけれど、全国の同級生の中で、自分の学力がどの位置にあるのか? それに気づいてもらう必要があると感じたから、僕は少し前から生徒たちに受験を誘っていた。
本当は塾の教室で行いたかったのだけれど、密になるのを防がなくてはならないから、zoomを使って、生徒たちには家庭で受けてもらった。
5教科の模試が終わった時、半数以上の生徒の顔に不安があった。
自分はこんなに出来ないんだ…。そう思った生徒もいたはずだ。
その様子がパソコンの画面を通して伝わってきて、そのときの生徒たちの何とも言えない表情が僕の記憶に残った。

そこで思ったのが、塾で用意した英数国のテスト問題を解いた上で、講習会に出てもらう…ことだった。
1と中2はそれを10日間行ってもらう。学力の進度によりテスト問題の解説を1日で行うクラスと2日で行うクラスに分かれます。
3生も同じです。でも彼らにとっては高校受験を前にした最後の夏休みですから、テストの解説に加えて、英語数学の中3テキストと理科社会も勉強してもらいたいと思っています。

心配なのはやっぱり、問題を解いてから塾に来てくれるか?ということだと思います。
初めに答え合わせをしますから、解いてきた、解いてこなかった…ということについては何も言わないつもりですが、生徒たちはそれを踏まえて、答え合わせにすることになります。
解いてきた子がマルや×を書いている横で授業を受けるわけです。それが何らかの作用を生み出すことを期待しています。

それと基礎を重点的に学びたいという人もいると思います。
基礎の勉強とテストの演習、これって両立しないと思う方もいらっしゃるのではないでしょうか…。
でも僕はそうは思いません。だって、これとこれとあれを勉強すれば基礎的な勉強が済むということではないですから。
基礎って、たくさんあります。いやあり過ぎるくらいある。それを思うと、かえって総合問題を解きながら復習した方が、早いように思うのです。

残念ながら塾って、僕たちの努力だけで、成果が出るものではないようです。
僕たちと生徒がスウィングしないと、生徒のみんなの成績アップはないわけです。
いま毎日僕たちは、そのための手段を探しています。

2020年5月31日日曜日

不安が募る…高校入試

高校入試で、入試過去問題の演習はかなり状況を好転させる。
とくに数学という教科において、それはとくに顕著で、例えば偏差値が50前後であれば、確実に3程度はあげることになると思うし、偏差値が60を超えた生徒であれば、問題によっての得点の上下動はかなり少なくなる。

ただやみくもに入試過去問題を解けば良いわけではなく、そこには確実に解けない問題、分からない問題をどう解るようにしていくか?ということがポイントとなる。
このこと、少し前に駅の近くの大きな書店の問題集売り場でも感じたことなのだけれど、小学生・中学生の問題集の棚の前でたくさんの保護者らしき方たちを見かけたのだけれど、問題なのはどの問題集かではなく、分からない問題をどのように解るようにするのか?という解き方の方なのだと思う。
入試問題の演習にしても、そのことが大いに言えて、ただやみくもに問題集のページを進めるという解き方は、結局分からない問題をそのままに…、ただ解る・解ける問題だけを解くということに陥りやすい。
これは僕の経験だけれど、この地域の中学生では成績上位にあたる偏差値55から60程度の生徒にしても、意外に分からない問題を飛ばしている生徒の割合は多いと思う。もしかしたら偏差値60の境目は、分からない問題を飛ばしているかどうかなのかもしれない。

話が横道に逸れてしまったが、いまこの入試過去問題の演習のメリットを活かせなくなくなる可能性が高まっている。
今月14日、文科省は各都道府県の教育委員会に通知を出している。
各地域の中学校の休校による学習状況を踏まえ、出題範囲や内容に適切な工夫をすることなどを求めるというものだ。
僕がこのことを知ったのはその前日の夜の報道番組のテロップだったが、一瞬身体に衝撃が走った。その衝撃は、入試過去問題を使えなくなるという連想に繋がった。

埼玉県教育委員会の発表はまだない。
入試過去問題を使えないことに関して、英語・国語・理科・社会はそれほど大きな問題にはならないのかもしれない。削除される単元は出てくるだろうが、得点の中でその単元が占める割合は少ないと思われる。
だから入試過去問題の演習をすることも可能ではないか?と思っている。もちろん指導する講師が、問題演習の前後でこの範囲は入試範囲でないと説明することが必要となる。
このことで一番被害を被るのは数学となると思う。

去年までの県入試で、50の偏差値の高校を受験するのならこの単元、60の偏差値の高校ならばこの範囲とこの範囲…というような必須単元があったように思う。それを抑えておけば大きな失敗はないという単元である。
そして県入試の数学においては、中1範囲の先に中2範囲があり、その先に中3範囲があって、そして入試があるという流れでは解けない内容になっていた。ここ5年ほどの県入試の数学問題は、難易度がかなり上がってきていたのだ。
だから私立入試が終わった頃から、この地域の高校入試に特化した学習が必要になっていた。でもそれが、この地域全体ではなかなか進んでいなかった。

その結果この地域で数学は5科の中では最も得点の取りにくい教科になっていたし、よく思うのであるが、この地域の中学生たちの公立入試での数学の平均点は30点を下回っているように思う。
ただここには逆説も同時に成立していて、数学の得点の落ち込みがなければ入試結果は一気に好転する。そしてその好転するためも最大の材料が入試過去問題であった。しかしそれが使えないとしたら、いったいどうすればよいのだろうか?

一つ解決策があるとしたら、塾で学習する単元ごとの学習の中で難易度の高い問題を演習していくとの方法ではないかと思われる。ただここにも問題があって、受験モードになっていないこの時期から、県入試レベルの難易度の高い問題を演習することの難しさがある。
思春期の真っ只中、休校によって様々なストレスを感じているこの地域の中学3年生の何割にそれが可能なのか?との問題が、今度は付きまとうことになる。

2020年3月28日土曜日

小学生たちの気になる動き2020.3

先日のブログ(シローズ塾長のブログ「算数と数学の話2020.3」)でも触れさせていただいたことだけれど、僕はきっと小学生の生徒の皆んなに算数の指導をするときに、高校受験というフィルターを通して見ているのだと思う。
高校受験の数学を考えているのか? というと、実は数学だけではなくて、国語も理科もそして英語や社会のことまで考えながら、毎日小学生の皆んなに算数の指導をしている。

ここでの高校受験は特別な高校へ入るというものではなくて、例えば川口東に入る力の生徒さんが川口に入るとか、川口に入る生徒さんが市立川口や越谷南に入るとか、もしかしたら浦和や一女を目指す生徒が出てくるかもしれない…というあくまでもこの地域の中学に通う子供たちの高校受験での話である。

だから小学生の皆んなとの算数の授業は小学校のテストで高得点をとることを目指しているわけでもなくて、高校入試時に数学で高得点を取ってもらうということでもなくて、高校入試に向かうとき、あるいは高校に入学してからの日々の授業で必要な考える基のようなものを身につけてもらいたいと思っている。

そのためには、算数の文章題を解くことを普通の感覚で解いてもらうようになってもらわなくてはならないし、最近増えてきている…なんだか問題文がやけに長い、まるで国語の問題のような算数の文章題に慣れてもらわなくてはならないと思う。
あとここが重要なのだと思うのだけれど、一見まるで分からないような問題を考えて考えて、答えに近くことに慣れないといけないと思う。
こうした経験って、中学入学後に英語や国語や社会や理科いった他の教科でも役立つ能力を身につけてもらうことに役立つようである。
頭が生まれつき良いとか悪いとか、そんなどうでもいいことなど度外視して、物事を落ち着いて考え、自分なりの答えを出す経験は必ずこれからを生きる力になるはずである。

でもそんな僕がちょっと首をかじげてしまうことが、少し前から起きている。
これまではあまりなかったことが、最近小学生たちの中で急に広まっているような気がする。そしてこのことは、もしかしたら小学生とその保護者の中では常識となっているのかもしれない。

テキストのページをただ進めようとする小学生が、何だか急に増えてきている。
ページを進めることは良いことだと思うのだけれど、あまり考えないで、正解が出ないままページを進めようとしている生徒が多いような気がするのだ。
「そんなに進めなくていいよ。じっくり考えて、答えが出てから次のページをやろう」
と、その度に言っているが、ちょっと目を離すと先のページを進めている生徒がいたりする。

それと子供たちが分からない問題を保護者の方に聞き、保護者がそれに答えるという流れができているような気がする。
それ自体は問題ではないのかもしれないが、保護者が教える時、どうしても考え方ではなく、解き方になってしまっているような気がする。
どちらも長い目で見たとき、子供たちにとってはあまり良い結果にならないと思う。

2020年3月20日金曜日

算数と数学の話 2020.3

毎年行われる高校入試は、僕に多くの発見を見つけさせているのかもしれない。
合格を目指して必死になっている頃には気がつかなかった事が、合格発表が終わって、それまで毎日のように顔を合わせていた元生徒たちの姿が、塾の中で見えなくなって、急に塾の中が静かになってしまって、落ち着いて今年の受験を振り返る時間ができてくると、僕は毎年いろいろなことを悟りに近い感覚で感じ出すのだと思う。

いわば気持ちの面についての軌道修正の話はfacebookに書かせていただいた(3月10日投稿)。
そしていま書きたいのは、僕が教えている数学のこと。20何年も毎日数学を塾で教えていると、どうすれば数学の成績を上げられて、それをどうやって高校合格に繋げるべきなのか?というようなことが、朧げながら分かってくるものなのかもしれない。
入試は5教科だから、いくら数学ができるようになったとしても、それで合格というわけにはならないはずである。
でもなぜだか、数学を苦手にしていない生徒は高校入試に強い。そして数学の成績を上げ、その成績を上げるのには時間が掛かる。英語も時間が掛かるけれど、数学に比べればまだ時間が掛からない教科だと思う。

「数学の解き方を教えてあげてください」と、保護者の方から言われることがある。
こういう時の保護者の方のお気持ちはよく分かる。我が子を助けてほしい…という気持ちが伝わってくる。
でも数学は、解き方をいくら教えても成績はあまり上がらない。
解き方や知識はいくらでも教えられる。でも教えられる方の生徒の方はというと、それを使って問題を解いて、解けなくて悩んでまた解いて…という作業を繰り返さなければ、知識の使い方を身に付けることはできない。だから数学は時間が掛かる。

よく部活が終わってから、塾に入塾してくれる生徒がいる。夏期講習会前ならまだしも910月となってくると、もう数学は突貫工事の連続となってしまう。
突貫工事とはどんな状況かと言えば、入試によく出る箇所、具体的には計算問題と関数の範囲を中心に説明中心の授業となる。だから生徒に対しては暗記を求めることになるが、その説明中心の授業の中で、どこまで考えてもらえるか?ということが念頭となる。でもすぐに中間テストがあり塾の授業が中断、それが終わればまた期末テストがあるわけで、他の教科同様どこまで頭に入ってくるのか?が、僕自身も心配になる状況だ。

毎年中32学期の時期になると、生徒ばかりでなく保護者の皆さんも北辰テストの結果や中学の定期テストの結果を心配することになる。私立高校の確約や内申を気にし出すのだと思う。
北辰テストの結果が届くたびに、
「塾に通いだしたのだから、そろそろ成績が上がるはずだ」
と、考えがちになるのだと思う。
でも、実際にはあまり上がっていない。北辰テストで要求されている知識の深さを持ち合わせていないのだと思う。もしも上がることがあったとすれば、北辰
テストの問題が安易(最近は公立入試問題の影響で難しい回の方が多くなっているが、年に何回かは解きやすい数学が出される回がある)だった可能性が強い。

数学は知識の深さを問われる科目なのだと思う。
残念なことに、中学の授業や定期テスト、それに実力(校長会)テストも知識の深さをあまり必要としていない。入試問題に近づこうとしている北辰テストはそういった中学で行うテストよりは深い知識を求めせけるけれど、やはり入試問題の深さまでは届いていない。北辰では高偏差を取れていた生徒が、入試問題の演習では歯が立たない状況が起きているのは、その深さのためでもある。
数学は解き方ではなく、考え方が求められる教科になっている。
あと数学の学力を高める上で最近ここが問題だと思うのであるが、何本の線を頭の中で描けるか? という大きな課題もある。

知識の深さは、塾で教えることで身に付けてもらうことができる。
でも線の方は、僕の努力ではどうにもならない…と思うことが多くなった。
線の話をどんな風に説明させていただいたらいいだろうか。なかなか上手に説明することができないような気がする。

いま小学校の算数はたぶん1本〜2本の線でできているような気がする。1本の線とは、問題を解こうと考えるときに、1つのことを考えれば足りることを意味する。言い換えれば1つの事項だけを考えれば、答えが出る問題なのだと思う。単純な計算問題が、これに当たるのではないか。
2本の線とは、ちょっと複雑な計算問題や一般的な文章題がこれに当たる。中学校に入学すると、算数は数学になる。これにともなって、これまで1から2本だった線が、1から3本になる。
ここで問題が起きるかもしれない。中学に入学して、一気に数学の成績が下がる生徒が多く出てくるようだ。これは数学の問題を解くときに、問題に含まれている要素が1から2だったものが1から3に増え、割合い的に2から3の問題が多くなることが関係している。
それと小学校の時に計算中心の塾に通っていた生徒が、この地域で割合い的に多いことも関係しているようにも思う。
子供たちは単純問題に慣れてしまうと、問題に含まれる要素が多くなった時に、脳がオーバーヒート?を起こしてしまうものなのかもしれない。
「単純問題の演習ばかりをする」 → 「中学入学後、数学が難しく感じる」 → 「数学が嫌いになる」 → 「数学の成績が下がる」 という状況は、たやすく子供たちのもとに訪れてしまうものではないだろうか。

ところで最近の入試問題はかなり難しい。Facebookで何度か書かせていただいているが、全体として問題の難易度が上がっている気がする。昔は公立高校の入試問題は、そのほとんどが基本問題ばかりであった。それが、2002年度のゆとりの教育実施以降、中学校で授業を受ける単元は減ったが、その分難易度が年々上がってきているような気がする。
例えばここ3年の公立の数学入試問題は年度によって差はあるものの、かなり解きにくい問題が増えてきている。そして問題を解くのに必要な知識の深さが増しているように思うし、やはり前述の問題を構成している要素の数も増えてくているように思う。

今年公立入試で、当塾の生徒は全員ではないが、ほとんどが合格した。
塾の近くの中学でも、上位のある高校に合格した生徒が8人だという。でももしも、数学の難易度があと少し上がっていたとしたら、当塾の生徒も含め合格者は半減していた可能性もあったのではないか。
こうした不安材料をどう解決していくか? 僕の仕事はそれに向き合うことだと思っている。


1. 高校入試を考えた時の小学生の算数指導

補習を求める生徒でない限り、ここ数年は少し難しい算数の問題集を使ってもらっている。
このちょっと難しい問題集は若干中学入試の問題も載っているが、決して難しい問題ばかりというわけではない。むしろ解きにくい問題が圧倒的に多い。
なぜ解きにくいのかと言えば、前述の問題を作っている線(要素)が多いのだ思う。
2〜3というのは当たり前、中には3〜5くらいの内容を含んだものまである。問題を読んで、わりとすぐに解き方が分かるものもあるが、3分の1くらいはすぐに解き方が思い浮かばないものが含まれている。だから時間が掛かる。時間が掛かるから、その学年で全ページを終わらせる生徒は少ない。

こんな意見を聞くことがある。
子供たちに難しい問題をやらせてしまって、勉強が嫌いになったりしないのか?との意見である。
ただ毎年新年度に、やってみなくてはわからないのじゃないかな?という気持ちで、新しいテキストを使ってもらっている。僕が思うには、子供たちは外見とは裏腹に意外に逞しく、教室の中でみんながこのテキストを解いているという状況さえ作ってあげれば、子供たちは普通のテキストとしてこのテキストを使っているように思う。ただ全ページが終わらない。
それに中には、ほとんどページが進まない生徒も出てくる。そんな場合は、短期間で終わる講習テキストの類を使ってもいいだろうし、他のテキストに替えることにしている。

またここで疑問が出るのかもしれない。その学年の学習内容をすべて塾でも終えなくてもいいのか?との心配である。
もちろん学校で分からないところがあれば、授業中に質問してもらいたい。もしも生徒が言えないのであれば、保護者から連絡をいただきたい。授業中に小学校の授業の説明もしたいし、しばらくテキストを中断して学校の範囲をやるのもいいと思う。
たとえそうした状況を続けたとしても、僕はこの少し難しくて、何本もの線を頭に描かなくては解けない問題集を続けるべきだと思っている。
算数や数学という教科は、かつては解き方を学ぶ教科だった。たぶん15年くらい前までは、僕は塾で解き方を教えていたように思う。でも入試問題の内容が変わってきて、この地域の中3生たちの高校合格が問題の難易度で決まってしまうようになってしまうと、僕はいつからだろうか…。問題の解き方ではなく、考え方を教えたいという気持ちになっている。


2、中3生たちの数学の偏差値を50に上げるということ

県公立入試問題で、数学で偏差値50というのはたぶん100点満点で30点前後に当たると思う。もしも合格だけを考えて、高校入学後のことを考えないとすれば、埼玉県の入試過去問題の大問1だけを過去5年程度繰り返しやってもらうのが最善の方法だと思う。大問1だけで満点で50点ほどの得点が取れるからで、このやり方が入試時の数学の得点を確実にする一番の方法であると思う。
ただあまりこの指導を、僕は気乗りしていない。この指導は合格の可能性は高まっても、高校入学後に数学を苦労させてしまう可能性を持っている。

大問1の問題というのは、すべて簡単というわけではないが、解き方さえおぼえてしまえば比較的短時間で答えが出る問題だ。あとは計算ミスがなければ正解になる。つまり頭を使う必要があまりない問題だと言えるかもしれない。
だから大問1ばかりを繰り返し解いて解き方をおぼえてしまった場合は、数学の大切な柱である考え方のトレーニングにはなっていないような気がする。これが高校入学後、どんな影響を出すことになってしまうのか? 僕の気乗りしない原因はここにある。

この地域の中学生たちは、知識の深い部分の授業を中学で受けていない。とくに数学はその傾向が強い。
中学の先生が悪いのではなく、「深い知識の部分の学習をする」=「生徒に時間をかけて考えることが要求される」=「生徒の負担が大きくなり、授業が進まなくなる…」
という状況があるために、どうしてもこの地域だと、授業内容がうわべに近いものになってしまっているのだ。
だから塾に通い、うわべよりも深い部分を学習しないと、高校に入ってから数学は苦手科目になってしまうことになる。だから塾は、中学ではやらない深い部分を教える必要が出てくる。
一番私が困ってしまうのは、10月以降に入塾してくれる生徒。シローズは入塾の時期の期限を設けていないから、10月や11月、ときには冬期講習会から入塾してくれる生徒がときどきいる。個人でやっいる小さな塾にとっては、どんな時期であっても入塾者が出るというのは嬉しいことだ。
ただこんなときは、迷いながらも僕は前述の大問1だけを指導することになる。指導しながら、この子は高校に入ってから大丈夫なのかな…。僕はときどき、そんな思いにかられることがある。
もちろん本人もそして保護者も、合格するために入塾してくれるわけで、塾としては第一にそれを求めるべきなのだと思う。でも僕はやはり心配になってしまう。
結局、数学という教科には遠回りという時間の経過が必要なのだと思う。なかなか上がらない。なんで上がらないのだろう?と思う日々は、実際には成績を上げる準備をしているだけなのではないだろうか。そんなことを感じることが多い。



3、選択問題を実施校に合格するということ

埼玉県の場合、越ケ谷高校以上の高校が英語と数学で選択問題を採用している。それ以外の高校が採用する共通問題との難易度の違いはかなり大きい。
英語はおそらく長文がネックになるだろう。今年の入試問題でいえば、それに加え英作文が解きにくかったのではないか。また長文に限らず、何か所か難しい文法表現があった。
数学の選択問題は、全体的に解きやすかったようだ。塾生全員に聞いたわけではないが、ほとんどの生徒が優しかった。と言っていた。確かに僕が聞いている塾生の自己採点の点数は、英語よりも数学の方がかなり高かった。

共通問題の数学と選択問題の数学の違いは、使う知識の深さなのだと思う。だから解き方が分かるか分からないかの問題ではない。
それと気になるのは、問題を構成している線の数なのだと思う。明らかに共通問題と選択問題の線の数は違う。問題のほとんどが、中学の定期試験よりはかなり難しいが、単純でそれほど多くの知識を必要とせずに解くことができる共通問題に対して、選択問題は問題を構成している線の数が多いために、なんとか答えに近づきながらも、答えが出てこない問題が多い。
ただこの選択問題にも年によって難易度の違いがあって、去年と今年の問題はかなり解きやすかったはずである。難問に近い問題は含まれていたはずであるが、それを解かなくても比較的高得点が取れる問題だったと思う。

毎年シローズは冬期講習会で、去年の他県とここ数年の県公立入試問題の演習を行なっている。今年は2日目と4日目に、一昨年と一昨々年の県公立入試問題の演習を行った。
このとき数学の得点は散々だった。1日目と3日目の他県の問題で高得点を取っていた生徒が、途端に50点に満たない点数を取っていた。ある程度を覚悟していた僕も、点数の大きな下降にはかなりの焦りを感じた。
私立入試を挟んで、1月22日から再び公立過去問題の演習になった。冬期講習で県入試の選択問題に太刀打ちできないことが分かった僕は、都立自校問題の過去問題の演習を行った。2月の中旬になった頃、選択問題受験の生徒たちの数学の点数は、学力的に二つに分かれていたと思う。自校問題の演習でじりじり点数を上げてきた生徒と、点数がそれほど伸びていない生徒にだ。
ここで少し不思議なことが起こっていた。
シローズに来る前、小学生の時に何年かある計算主体の習い事をしていた生徒が数人がこの都立の自校問題にひどく苦戦していた。
一生懸命やっていないわけではない。たぶんかなりの学習時間を取っている生徒だと思う。それにその子たちは、比較的簡単な問題のテスト演習だと90点に近い得点を取っていた。それなのに難しい入試問題だと、途端に点数を落としていた。
こうした状況は何が原因なのか? 僕にも的確に説明することはできない。
ただあくまでも、これは僕の想像なのであるが、小学校の低学年から単純な計算主体の算数ばかりを繰り返していると、算数や数学で問題を解く上で思考力に癖がついてしまうのではないか。そんな印象を持っている。
だから問題を構成する線が多いような難解な問題だと、途端に頭が動かなくなってしまうのでないか。そんな印象を持った。

あともう一つ、気になることがある。
2学期の終盤あたりから、中2生たちは図形の合同を学校で勉強している。一般的には、三角形の図形の合同を証明(三つある合同条件に当てはめて、文章で二つの三角形の形と大きさが同じであることをまとめること)するのがその内容である。
この単元は図形を見る目を養う内容だと思うが、実はこの地域の中学校の授業がかなり手薄になってしまっている。そもそも数学の答えを文章でまとめるという行為が多くの子供たちの苦手部分に触れるわけで、中学授業で説明する内容がかなりうわべだけのものになってしまっている。
中学の先生方はもっとレベルの高い内容をやりたいのだと思うけれど、数学が得意な生徒だけを相手にするわけにも行かず、分からない生徒に分かるように教える…という学校という場の事情がそこにあるのだと思う。

実は中2で学ぶこの図形という範囲は、中3の2学期の終わりにも子供たちは学ぶことになる。中2の合同に対して、中3では相似と三平方の定理を学ぶ。
2の合同と中3の相似と三平方の定理は別物ではなく、その3つが深く関連し合って、例えば図形の合同が出来ないのに相似と三平方の定理が出来るというのはまずない。またもしもその逆に合同の範囲が出来れば、相似や三平方の定理が出来る可能性が高い。

ところで中3生の数学の偏差値を考える時、例えば北辰テストであれば12月から相似の範囲が出題される。ということは、11月までであれば図形が解けなくても高い偏差値を取ることができる。
ここで問題が起きる。11月まで65以上の高偏差を取っていた生徒が、中3範囲の図形が北辰テストで出題される12月以降、急に偏差値が下がるケースがあるのだ。シローズでもこういう生徒が出てくる。彼らに共通するのは、中2範囲の図形の範囲ができていないこと。計算問題と関数と方程式はほとんどできている。だから11月までは65以上の偏差値が取れた。ところが相似と三平方の範囲が出題される12月以降、数学の偏差値が50台まで下がるのだ。ということは、蕨・浦和西への受験を考えていた生徒が草加・越谷南のレベルの高校を受験することになる。そしてこういった生徒がこの地域では以外の多いようである。


数学という教科は、また不思議な教科なのだと思う。
5教科のうちの1教科には違いないのだが、どんな学習をしてきたか?によって、大きく高校受験を左右する教科でもある。
そして得意科目になれば、数学の学習はまるでゲームをするような面白さを味わえることも事実である。でもそれには小学生からどんな学習をしてきたか?が大きく作用している。
僕は塾で毎日数学を教えながら、高校受験を見越して、高校入学後の彼らの姿を追いかけている。