2013年9月6日金曜日

通知表の恐いはなし2(結論)

 先日、シローズ塾長のブログにアップさせていただいた「通知表の恐いはなし」で、事実の提示だけで結論が書かれていなかったように思いまして、結論らしきことを以下に書かせていただきます。

 通知表において「よくできている」的な良い評定を多く取ることは、とても価値のあることだと思います。ブログの中でも書かせていただいていますが、立派な大人に近づいている…という見方も確かにできると思うのです。でもただそれだけでは、高校入試で評価される…に続く小学生としての学力を身につけることはできないようです。なぜかと言えば、小学校のテストが考えて答えを導くという形式のテストではなくて、授業中に先生がどんな説明をしたか。その記憶力の調査的な内容のテストだからだと思います。当然知能指数の高い子どもたちは良い点数を取ることになる。さらに知能指数の高い子どもたちは、頭の中で化学反応に似た動き?が起こって、高校入試でも通用するような知識を得ることができる。そこまでいかない知能指数の子どもたちは、ブログに登場しているような結果になってしまっているようです。
 それから気になるのが、ブログの中でも書いたのですが、最近小学校に一層幼稚園的な側面(できない子、やる気のない子を授業に積極的参加させようという傾向)が強まってきているようです。小学校の研究授業を見せていただく度に、その事実に戸惑うことが多くなりました。そしてこうした問題は、授業レベルの低い安行・新郷地区ではより顕著なものになってきているように思います。
 ではどうすれば良いか。一つの方法として、国語でも算数でも良いから(両方ならもっと良い)、考える時間の必要な問題を早い時期から解かせることだと思います。早い時期から塾に通っている子どもたちは多いですが、分かる問題を長時間やらせても、目と指先の運動にしかならないとは言えないでしょうか。たぶん塾側の責任というものもあると思うのです。意識的に楽しい雰囲気を作って、さあこれからという時に急に階段を外す。それって、塾の経営的には正しいかもしれないですが、道義的には絶対に間違っているやり方だと思います。習い事ですから、成績を上げるためには、やはり上がる分だけの苦痛を伴うものだと思います。




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