「変化」
一年くらい前まで、僕は塾で日々生徒に向き合うときに、なんで勉強しないんだという気持ちをいつも持っていたような気がする。
いつらかというと、たぶん5、6年前から。急に変わっていく中学生たちの姿を前に立ち往生していた自分がいた。
きっとこの頃から、小学校の先生方の子どもたちへの接し方が変わったのだと思う。おそらくこの頃から、なんらかの配慮のようなものが先生方に出てきたのではなかったか。
子供たちは、それ以前とずいぶんと変わったように思う。
一言で言えば、勉強をするという作業が急に疎かになってきたような印象がある。
それが確かコロナ禍がちょうど始まる頃だった。
コロナ禍の前と後で、中学生たちは、もちろん小学生たちも変わった。
真面目に勉強をするという意識が明らかに後退して、そこに中学のアクティブラーニングの導入があった。
中学生たちは、真面目に一生懸命とは逆の方向にベクトルを動かした。
そしていまの現状がある。
いま子供たちは、分からない。と、少しも悪びれずに言う。
考えたけど分からなかった。ではなく、パッと問題を見て、分からなければもう問題を見ようとしない。それがこの地域の子供たちの普通の姿になった。
今年の中3生たちもそうした姿を持った子たちだと思うけれど、中2生たちからはさらにその状況が進んできているように思う。
そしていま教室で生徒に向き合う時に、なんで勉強しないんだという気持ちはない。
コロナ禍とやや前後しながら同時に進んできたアクティブラーニングの導入が、僕に気持ちの変化を起こしたのだろう。
いま僕は、どうしたら勉強をしてくれるか?ということに一点集中して、生徒たちに向き合っている。
僕の気持ちの変化が起きると、状況は一気に進むものなのかもしれない。
週末に行っている補習の影響もあって、以前よりも生徒たちの成績は上昇に変わってきている。
ただ、僕はどこか寂しい目をして生徒たちに向き合っているところがある。
コロナ禍が始まる前まで、学校帰りに塾に寄って勉強する生徒たちがいた。
僕はその子たちのために、10年くらいの間おむすびを用意していたことがあった。
初めは母が作ってくれていたし、母が疲れたと言い出してからは、奥さんと僕で用意していた。
あの頃はいまよりも生徒が大勢いたから、それができたのだと思うのだけれど、なぜ毎日おむすびが必要だったかといえば、中3生の三分の一くらいの生徒が学校帰りに、あるいは家に帰ってすぐ塾による生徒がいたからだった。
なぜ彼らが毎日塾によるかと言えば、授業をしている塾の教室の後ろの席に座り勉強をしていたからだった。
いつからだろうか? その日に授業がない生徒まで塾に来て勉強をするようになったのは、たぶん塾を始めて5、6年が経って、元生徒たちが講師をしてくれるようになってからだったと思う。
はじめは保護者の方がお弁当を届けてくれていた時もあった。そのうちいろいろと問題が出てきた。
フルタイムで働いているお母さんがいたりして、塾で勉強の合間に食べる夕食を用意できない子が出てきた。そうした子の中には、夕食の時間になるとコンビニに行って食事を取る子がいたりした。
その様子を見た僕は母と相談をして、おむすびを出すことにした。
それが始まりだったと思う。結局コロナ禍まで10年とちょっとの間、僕の塾は生徒たちに夕飯用のおむすびを出す塾になった。
中3生の3分の1から半数くらいの生徒が学校帰りに塾に寄り、塾が終わる10時まで塾で勉強をする。授業がない日も中3生たちはそれを繰り返す。
それが部活が終わる6月7月頃から始まるのが、僕の塾の風物詩になっていた感があった。
効果はてきめんだった。偏差値40の生徒は年末くらいには50近くなる。50の生徒は55を超えた。それは全員ではなかったかもしれないけれど、かなりの確率で生徒たちは成績を上げたと思う。
僕が続けている塾は大きな看板の塾ではないから、生まれつき頭の良い子というのはあまり来ない。来てくれることはあるけれど、そんなには多くはないと思う。どうしたって、生まれつき頭の良い子は大きな塾に行く。
塾にときどき入ってきてくれる頭の良い子はいいんです。
どこの塾に通ったとしても、ある程度の期間まじめに勉強をしてくれれば浦和にも一女にも入れる。
でもこの地域によくいるタイプの小学生のときにあまり勉強をしてこなかった子たちはそうはいかないと思う。
でも中2の二学期から勉強を始めたとすれば、蕨や浦和西は間に合う。
もちろん中1の早い時期から、英語と数学の基礎固めと処理能力を高めるためのトレーニングは必要となる。
僕が思うのは、公立入試問題がどんどんと思考力発想力の方向に変わって行き、初めは数学だけだったのに、いまでは5教科に渡ってただ知識を問われるのではなく、考えて答えることが要求されている。
でもこの地域の子供たちはそのトレーニングを小学校で受けてはいないから、受験までにその部分のトレーニングをする必要がある。
中2の二学期以降の猛烈な勉強はそのためのトレーニングなのだと思う。
でもいま、そうした猛烈な勉強をしてきた中3生が塾にはいないし、去年もいなかった。
一昨年は二人いた。でもそのほかの生徒たちはさすがに部活が終わってからは勉強をしていたけれど、やはりそれ以前の勉強が不足していたから、大幅に成績を上げることができなかった。だから蕨や浦和西には届かなかった生徒がいた。
いま何が変わったのかと言えば、学力よりも子供たちが勉強をする意思なのではないか?と思うことがある。
そして保護者の方たちも、我が子に勉強しなさい。という言葉を使わなくなった。
コロナ禍とアクティブラーニング、この5年の間に子供たちは大きく変わった。
これからも近くの中学では、浦和や一女や蕨等への合格者が出るのだと思う。
でもそれはごく一部の知能指数の高い子に限られたことで、普通付近の知能指数の子は、この5年で合格する高校のレベルを大きく下げた。
「不安」
小学生時の習い事で気になることがある。
受験時に偏差値を上げようとした時、それを邪魔してしまうことがある。
そしていまもその習い事を続けている小学生は後を絶たない。もしかすると、増加しているのではないか?と思えることさえある。
一つは学習の習い事である。
この習い事、昔からある習い事であるが、この習い事を低学年から始めて高学年まで続けてしまった子たちは、なぜか数学の偏差値の上昇を止める力があるようだ。
たぶんあまり頭を使わずに習慣的に問題演習を繰り返してしまうことが、いまの考えなければ答えが出ない入試問題に合わなくなっていることが原因であるような気がする。
この地域の小学校授業が思考力発想力の領域に入っていない現状と、この習い事の特性のようなものが合致して、学力の上昇を止めてしまっているような気がしている。
実は毎年、中3生で成績が上がらない生徒が出てくる。
一生懸命勉強している。授業態度も悪くない。ただどこか、集中できていないような生徒が出てくる。
なんでだろうと思って、いろいろ聞いていると、小学校の低学年から5、6年生までこの習い事をしていたということはよくあることになってしまっている。
もう一つが、スポーツの習いごとである。クラブチームと言えば良いのだろうか?
サッカーが有名だし、野球や卓球、バレーやバスケなどもあるのだろう。
最近この種の習い事を中学生になってからも続ける子が増えてきているような気がする。
子供たちがスポーツをすることの素晴らしさは知っているつもりだけれど、クラブチームに属する子たちの高校受験の状況が気になっている。
はっきり言おう。
前述の習い事を小学校の低学年から高学年まで続けた生徒で、数学の偏差値が60を超えた子を僕の塾ではこれまでに出ていないし、スポーツのクラブチームを中3の二学期まで続けた子で、僕は偏差値60以上の高校に合格した例はない。たいていの場合は、偏差値50を超えないレベルの高校に進学することになっている。
どちらの習い事にしても、そのすべてを否定するつもりなど毛頭ないが、この地域ではあらかじめそうした高校受験の結果を覚悟する必要があるように思っている。