2025年6月7日土曜日

安行中 my Love 2025.5のいま④「変化・不安」

「変化」

 

一年くらい前まで、僕は塾で日々生徒に向き合うときに、なんで勉強しないんだという気持ちをいつも持っていたような気がする。

いつらかというと、たぶん56年前から。急に変わっていく中学生たちの姿を前に立ち往生していた自分がいた。

きっとこの頃から、小学校の先生方の子どもたちへの接し方が変わったのだと思う。おそらくこの頃から、なんらかの配慮のようなものが先生方に出てきたのではなかったか。

 

子供たちは、それ以前とずいぶんと変わったように思う。

一言で言えば、勉強をするという作業が急に疎かになってきたような印象がある。

それが確かコロナ禍がちょうど始まる頃だった。

 

コロナ禍の前と後で、中学生たちは、もちろん小学生たちも変わった。

真面目に勉強をするという意識が明らかに後退して、そこに中学のアクティブラーニングの導入があった。

中学生たちは、真面目に一生懸命とは逆の方向にベクトルを動かした。

そしていまの現状がある。

 

いま子供たちは、分からない。と、少しも悪びれずに言う。

考えたけど分からなかった。ではなく、パッと問題を見て、分からなければもう問題を見ようとしない。それがこの地域の子供たちの普通の姿になった。

今年の中3生たちもそうした姿を持った子たちだと思うけれど、中2生たちからはさらにその状況が進んできているように思う。

 

そしていま教室で生徒に向き合う時に、なんで勉強しないんだという気持ちはない。

コロナ禍とやや前後しながら同時に進んできたアクティブラーニングの導入が、僕に気持ちの変化を起こしたのだろう。

いま僕は、どうしたら勉強をしてくれるか?ということに一点集中して、生徒たちに向き合っている。

 

僕の気持ちの変化が起きると、状況は一気に進むものなのかもしれない。

週末に行っている補習の影響もあって、以前よりも生徒たちの成績は上昇に変わってきている。

ただ、僕はどこか寂しい目をして生徒たちに向き合っているところがある。

 

コロナ禍が始まる前まで、学校帰りに塾に寄って勉強する生徒たちがいた。

僕はその子たちのために、10年くらいの間おむすびを用意していたことがあった。

初めは母が作ってくれていたし、母が疲れたと言い出してからは、奥さんと僕で用意していた。

あの頃はいまよりも生徒が大勢いたから、それができたのだと思うのだけれど、なぜ毎日おむすびが必要だったかといえば、中3生の三分の一くらいの生徒が学校帰りに、あるいは家に帰ってすぐ塾による生徒がいたからだった。

なぜ彼らが毎日塾によるかと言えば、授業をしている塾の教室の後ろの席に座り勉強をしていたからだった。

 

いつからだろうか? その日に授業がない生徒まで塾に来て勉強をするようになったのは、たぶん塾を始めて56年が経って、元生徒たちが講師をしてくれるようになってからだったと思う。

はじめは保護者の方がお弁当を届けてくれていた時もあった。そのうちいろいろと問題が出てきた。

フルタイムで働いているお母さんがいたりして、塾で勉強の合間に食べる夕食を用意できない子が出てきた。そうした子の中には、夕食の時間になるとコンビニに行って食事を取る子がいたりした。

その様子を見た僕は母と相談をして、おむすびを出すことにした。

それが始まりだったと思う。結局コロナ禍まで10年とちょっとの間、僕の塾は生徒たちに夕飯用のおむすびを出す塾になった。

 

中3生の3分の1から半数くらいの生徒が学校帰りに塾に寄り、塾が終わる10時まで塾で勉強をする。授業がない日も中3生たちはそれを繰り返す。

それが部活が終わる6月7月頃から始まるのが、僕の塾の風物詩になっていた感があった。

効果はてきめんだった。偏差値40の生徒は年末くらいには50近くなる。50の生徒は55を超えた。それは全員ではなかったかもしれないけれど、かなりの確率で生徒たちは成績を上げたと思う。

 

僕が続けている塾は大きな看板の塾ではないから、生まれつき頭の良い子というのはあまり来ない。来てくれることはあるけれど、そんなには多くはないと思う。どうしたって、生まれつき頭の良い子は大きな塾に行く。

 

塾にときどき入ってきてくれる頭の良い子はいいんです。

どこの塾に通ったとしても、ある程度の期間まじめに勉強をしてくれれば浦和にも一女にも入れる。

でもこの地域によくいるタイプの小学生のときにあまり勉強をしてこなかった子たちはそうはいかないと思う。

でも中2の二学期から勉強を始めたとすれば、蕨や浦和西は間に合う。

もちろん中1の早い時期から、英語と数学の基礎固めと処理能力を高めるためのトレーニングは必要となる。

 

僕が思うのは、公立入試問題がどんどんと思考力発想力の方向に変わって行き、初めは数学だけだったのに、いまでは5教科に渡ってただ知識を問われるのではなく、考えて答えることが要求されている。

でもこの地域の子供たちはそのトレーニングを小学校で受けてはいないから、受験までにその部分のトレーニングをする必要がある。

2の二学期以降の猛烈な勉強はそのためのトレーニングなのだと思う。

 

でもいま、そうした猛烈な勉強をしてきた中3生が塾にはいないし、去年もいなかった。

一昨年は二人いた。でもそのほかの生徒たちはさすがに部活が終わってからは勉強をしていたけれど、やはりそれ以前の勉強が不足していたから、大幅に成績を上げることができなかった。だから蕨や浦和西には届かなかった生徒がいた。

 

いま何が変わったのかと言えば、学力よりも子供たちが勉強をする意思なのではないか?と思うことがある。

そして保護者の方たちも、我が子に勉強しなさい。という言葉を使わなくなった。

 

コロナ禍とアクティブラーニング、この5年の間に子供たちは大きく変わった。

これからも近くの中学では、浦和や一女や蕨等への合格者が出るのだと思う。

でもそれはごく一部の知能指数の高い子に限られたことで、普通付近の知能指数の子は、この5年で合格する高校のレベルを大きく下げた。

 

 

「不安」

 

小学生時の習い事で気になることがある。

 

受験時に偏差値を上げようとした時、それを邪魔してしまうことがある。

そしていまもその習い事を続けている小学生は後を絶たない。もしかすると、増加しているのではないか?と思えることさえある。

 

一つは学習の習い事である。

この習い事、昔からある習い事であるが、この習い事を低学年から始めて高学年まで続けてしまった子たちは、なぜか数学の偏差値の上昇を止める力があるようだ。

たぶんあまり頭を使わずに習慣的に問題演習を繰り返してしまうことが、いまの考えなければ答えが出ない入試問題に合わなくなっていることが原因であるような気がする。

この地域の小学校授業が思考力発想力の領域に入っていない現状と、この習い事の特性のようなものが合致して、学力の上昇を止めてしまっているような気がしている。

 

実は毎年、中3生で成績が上がらない生徒が出てくる。

一生懸命勉強している。授業態度も悪くない。ただどこか、集中できていないような生徒が出てくる。

なんでだろうと思って、いろいろ聞いていると、小学校の低学年から56年生までこの習い事をしていたということはよくあることになってしまっている。

 

もう一つが、スポーツの習いごとである。クラブチームと言えば良いのだろうか?

サッカーが有名だし、野球や卓球、バレーやバスケなどもあるのだろう。

最近この種の習い事を中学生になってからも続ける子が増えてきているような気がする。

子供たちがスポーツをすることの素晴らしさは知っているつもりだけれど、クラブチームに属する子たちの高校受験の状況が気になっている。

 

はっきり言おう。

前述の習い事を小学校の低学年から高学年まで続けた生徒で、数学の偏差値が60を超えた子を僕の塾ではこれまでに出ていないし、スポーツのクラブチームを中3の二学期まで続けた子で、僕は偏差値60以上の高校に合格した例はない。たいていの場合は、偏差値50を超えないレベルの高校に進学することになっている。

どちらの習い事にしても、そのすべてを否定するつもりなど毛頭ないが、この地域ではあらかじめそうした高校受験の結果を覚悟する必要があるように思っている。

2025年5月19日月曜日

安行中 my Love 2025.5のいま③「番外?数学」

本当は、今回の投稿のまとめを書くつもりだったのです。

だいたい内容は頭に中にありまして、エネルギーが溜まってきたら書くつもりでいました。

 

ただ、いま中間テストの時期ですよね。ですから塾でもほとんどのクラスが塾のテキストを進める通常授業を止めて、テスト勉強の指導をしています。

僕が教える数学もそうで、やっぱり定期テストの前は中学のワークの指導になるわけです。

 

ちょっと補足しますと、生徒の中にはこのワークの指導が必要ない子たちもいます。彼らは勝手にワークを解いて、勝手に丸つけをしてくれます。

普段の塾の授業で、ワークよりも難しいテキストをどんどんという感じで解いていますから、ワークの問題はそれほど負担なく解いているようです。

たぶんその子たちが選択問題の学校を受験することになるのだと思います。

ただ、そうした子たちの割合がずいぶんと少なくなりました。

ああ、中学の授業のレベルが下がってきているな。僕が、そう感じるのはそんな時です。

 

それでワークを解いている生徒たちの状況なのですが、前半の計算問題でも間違いが目立ちますし、後半の利用の問題になるとほとんどの子が解けていないようです。

中学の授業ではやったということなのですが、理解の領域までは達していない。

ちょっと異常なくらい授業の内容を理解していない生徒が多くいることに驚かされます。

もうほとんどの子がこの単元の内容を理解をしていない。

いま市内の中学で行われている、先生方が大きく成果を期待して導入されたはずのアクティブラーニングですけれども、この地域の中学では機能しているとは言えないのかもしれません。もっと言えば、教師が提供した課題に対して、生徒たちが討論をし答えを見つけるというアクティブラーニングのメリットがまったく出ていないで、討論の場が雑談の場になってしまっているのかもしれません。

 

確かにアクティブラーニングが導入されてから、中学生たちの学力はどんどん下がってきているように思います。

コロナ禍の学校休校もありましたけれども、それよりもアクティブラーニング導入以降の学力の低下の方が大きいように思います。

毎日塾で授業をしている僕には、その導入以降の学力低下がひたひたと日々の実感として感じられました。

とくに塾の近くの中学校は、他校よりも一年早くアクティブラーニングが導入されました。

 

授業が雑談や休憩の場になっているのが現状のようです。

 

近くの中学校は、市内の他の中学に比べて一年早くアクティブラーニングが導入されました。当時の校長先生が、自分の出身校であるその中学で新しい授業の試みとして、アクティブラーニングを導入したという話を聞いたことがあります。

これによって、学力が向上すると期待していた面があったのだと思います。

ところがそれが叶わなかった。叶わないどころか、更なる下降の方向に完全に進み始めている。

そうなってくると、数学という教科はもう暗記の領域になってしまうんですね。ワークの解答を見ながら、ワークを解いている人は大勢いると思いますが、その勉強の仕方って、入試直前に大きく偏差値を下げる原因になりますし、1日2日しか頭に知識が残らないということになると思います。

わずか1日2日しか頭に残らない奇妙な暗記の連続が勉強になってしまっている子は、本当にこの地域には多くいると思います。もうそれが普通の勉強になってしまっている感すらあります。

 

入試の数学って、暗記とは逆の方向にいっていると思うのです。

考えないと答えが出せない。以前に解いた問題がこうだったから、これもこうすれば解ける。そういった記憶の部分で解こうとすると、解けない問題が急に増えてきているようにも思うのです。

たぶんこれが思考力発想力の問題だと思うのですが、他の地域は小学校の算数の授業で、この部分のトレーニングができてきているように思うのです。

でも、この地域は小学校の算数授業も考えさせるというよりは覚える部分が主になってしまっている。

そうすると、高校受験を考えた時に必要な思考力発想力の部分の習得を中学授業でする必要が出てくる。

でも、それが中学校授業で出来ていない。そこで救世主となると期待していたアクティブラーニングは、救世主とは真逆の成果しか出なくなってしまった。

塾はそれを補うためにあるのだと思うのだけれど、これがなかなか大変な状況で、思考力発想力まで進まない状況があります。

 

そんなとき、塾が取るべき道は二つあると思います。

一つは数学を捨ててしまうこと。入試でどうせ平均点が低い教科なんですから、数学の指導は最小限にして、他の教科で必要な得点を取ろうとする。

公立入試には理科と社会がありますから、このやり方は一見有効なようにも思うのです。

でもこうして高校に入学した生徒たちは、数学の授業か分からなくなると思います。

いま数学が分からないと言って、来てくれている高校生が何人かいます。

彼らはもしかしたら、こうした塾の指導の犠牲者なのかもしれません。

 

塾が数学を捨てるという指導をしないのであれば、もう一つの道を選ぶ必要があります。

僕が選んだのは、土曜日曜に無料で補習を行うというやり方です。成果はジリジリという感じで、少しずつ出てきていると思います。

 

思うんです。諦めてはいけないと。僕は少しも彼らの数学の成績を上げることを諦めてはいません。

2025年5月7日水曜日

安行中 my Love 2025.5のいま②「姿勢」

なんで、こんなに変わってしまったのだろう

もうここのところ、僕の心にはそんな思いがある。

 

少し前に、授業中に鼻歌を歌っている生徒がいた。

その子の鼻歌が耳に入ってきて、初めは聞こえないふりをしようとした。

怒ってはいけないと思って、唇の前に人差し指を持っていって、シーというポーズをしたりしていた。

授業の途中で、その生徒の鼻歌に独り言が混ざるようになってきた。

授業中なのに、隣に座った生徒に話しかけ始めた。

それでも怒ったりなんかせずに、柳がしなるようにやさしく注意を続けながら授業を続けるべきだったのだと思う。

でも僕は言ってしまった。

さっきから何してるんだよ 授業妨害だぞ

と言ったものの、まだ僕の心にはブレーキが掛かっていたはずだから、そんなに強い口調ではなかったと思っていた。

でもその子は泣き出してしまい、授業が終わるまで泣き続けていた。

翌日、お母さんからLINEが入った。

僕のことが怖いと言っている。辞めさせてください。という内容だった。

僕はその日に起こったことをお母さんにLINEで話したのだけれど、本人がもう行きたくないと言っていると理由で、やはり退塾の意思は変わらなかった。

 

こんな事もあった。

週末に続けている数学の補習のときに、間違い直しをしてもらいたい僕が、間違い直しは終わったの?と聞いても、終わったと言い続けている生徒がいた。

ノートを見せてと言っても、家のノートにやってきたから持ってきていないと言っている。

そんなやりとりが何度か続いた後、僕は黒板に計算問題を2問書いた。

ちょっと途中で悪いけど、この問題を解いてみよう。と言った。

 

補習に来ていた二人の生徒が、問題を解き出した。

一人は考えながら、ゆっくりとしたペースだったけれど確実に式を書いて言っている。ただ先ほど終わった。ノートを家に置いてきたと言っていた生徒は、式を書けずに困った顔をしていた。

やっていなかったね?と言うと、その生徒は黙って頷いた。

 

いま週末も、このゴールデンウィークも毎日のように補習を続けている。

僕が補習をしたいわけなのではなくて、計算ができない生徒が塾の中にたくさんいるんだ。

コロナ禍前の計算ができる生徒とできない生徒の割合がもう完全に逆転して、いまでは計算問題ができる生徒が圧倒的に少なくなってきた。

分数の通分や小数の掛け算や割り算ができない中学生生徒はたくさんいるし、方程式の計算が危うい生徒までいる。それができたしても、途中式を丁寧に書く習慣ができていないために、正解率がひどく危ういものになっている。

そしてさらに厄介なのは、補習をして正解率が上がったとしても、1週間や2週間後にもう一度解いてもらってみると、また解けなくなっていることに驚くことが頻繁にある。

だから授業以外の時間に、僕は時間を見つけては計算問題の補習を続けている。

 

ただこの補習を続けながら、僕は思っている。

僕が続けている補習を、どれくらいの生徒や保護者の方が好意的に受け取っているのだろう。

 

部活があって、生徒たちが友人と過ごす時間がある。

その上、土曜日曜に僕が補習までしてしまったら、家族で過ごす時間の邪魔をしているだけなのではないか?

なんだか僕がいま授業をしながら感じている計算が正確にできないことによる危機感に似た不安を生徒自身や保護者の皆さんは感じていないのではないかとの思いがしてきて、ちょっと不安になっている自分もいる。

 

コロナという大きな出来事があって、川口市ではほとんど同時期に授業中に生徒たちが相談しながら教え合う形のアクティブラーニングが始まった。

その影響がとこまであったのかは分からない部分もあるのだけれど、その前と後で中学生たちの勉強意欲というものが大きく後退していっているような気がしている。

でも実はそればかりじゃなくて、同時に保護者の皆さんの勉強させ意欲のようなものも同時にかなり後退してきている。

近くの中学で進学の相談の中に通信制高校の説明が入ったのも、このことと無関係ではないと思う。

個人の選択の自由の部分はもちろんあるのだろうけれど、生徒たちの学力の低下がこのことにかなり影響していると考えるべきだろう。

 

近くの中学に通う生徒たちの学力の低下は、当然平均学力の低下を招いている。そして子どもたちもその保護者たちも平均レベルと比べて自分の、我が子の学力を見てしまいがちになるから、平均レベルが下がれば生徒たちの学力は低下しがちになってしまうということなのだろう。

でも問題はそればかりではないと思う。もっと大きな問題がこの地域の中学生たちにはある。

2025年4月30日水曜日

安行中 my Love 2025.5のいま①「驚き」

ここ数年、たぶんコロナ禍以降、あるいはアクティブラーニングの導入後と言った方がいいのかもしれないが、僕の想像を超える勢いで、塾の近くの中学校は大きく変化してきている。

 

具体的には、大きな学力の低下と生徒たちの学習意欲の低下である。

学力については、中3からの入塾生徒でも蕨や浦和西に合格させることができたのが、いまでは川口高校が危うくなってきている。

一番の原因は中学授業の低下だと思うのだけれど、それだけでなく生徒たちの学習意欲の低下もまた大きな問題となっていると思う。

 

ただ安行の場で塾を続けている僕には、近くの中学の、そしてそこに通う子どもたちの変化が自分の想像を超える速さで変化してきていると思っている。

学力のこともそう、生徒である子どもたちの変化もそう、それから先生たちの姿まで変わってきたのではと、その中学の卒業生である僕にはやや不思議な感覚を持って眺めている。

その思いが、安行中 my Love という大それた題の身勝手な文章を書く原動力になっているのかもしれない。

 

 

中3生の保護者会の場で、通信制高校の説明が取り入れられたという。

ここ数年、通信制高校への進学者が増えてきていることが原因らしい。

もはやその中学では、通信制の高校への進学者が無視できない数まで膨らんできているということだろう。

全日制に進むか、定時制に進むか、それとも通信制に進むのかは、個人の自由であるのだから、他人が口を挟むべきことではないのだけれど、そこには学力という物差しが大きく関わってきているような気がして、どこか納得できない。そしてそこまできてしまっているのか?との驚きがあった。

 

いまこの地域の中学生たちの学力は、ものすごく低下してきている。

一例を言えば、小学生範囲の計算問題を理解できていない中学生たちが急に増加してきてしまっている。

5年前までの理解できていない子どもたちの割合が、いまは出来る子の割合になった。そんな印象すらある。

とくに×+÷−が混じった四則の計算にいたっては、ほぼ正解となる生徒の割合は1割程度となった気がする。

以前のように塾に来てくれている生徒たちに、方程式の文章題や関数といった入試必須の内容を週末の補習の場で教えることがなくなってきていて、いまでは週末の補習の場では、小学6年生の分数が入った計算や正負の数の難しい計算ばかりを僕はホワイトボードに向かって解いている。

放っておけないという気持ちが、還暦過ぎの男の身体と頭を休めるための休日の時間を自分の意思として返上している。

 

その状況があるから、確かに指定校で大学を選ぶ高校がこの地域では進学校と呼ばれて久しいし、そうした高校の数学がやけに暗記が多い内容になっているという事も聞いている。

でもそのレベルの高校への合格が高嶺の花になった感が強くなった昨今、そのレベルの高校に合格することの難しさをなんとか克服したいと思っていた僕の思いのはるか先まで、この中学の状況は行っている。

2025年4月8日火曜日

2025.3 いま公立入試の場で何が起きているのか? 追記

いま塾の中でこんなことが起きている。

計算ができない生徒が出てきているんだ。

 

例えば分数の計算ができないとか、小数の方がちょっと不安というのではない状態の、分数も小数も一応はできるのだけれど、掛け算と足し算引き算が同時に入っているような問題で、なぜだか足し算引き算の方を先にやってしまうとか、+(足し算)と書いてあるのに、なぜだか掛け算をしてしまうとか、これって計算間違いと言われれば、確かに計算間違いには違いないのだけれど、イメージとしては間違える癖が脳にしっかりと張り付いてしまっていて、なかなか剥がすことができない。

説明すれば理解してくれて、間違いがグッと減るのだけれど、もう翌日には前の癖が戻っていて、また間違いをしてしまう

ということは、いくら関数や図形ででてくる計算をして答えを出す種類の問題を理解してもらっても、結局方程式の計算ができないから正解にならない。ということはどんなに頑張っても、数学で決して4がつかない。数学の偏差値が50を超えないということが起こる。

 

深刻なのはこうした生徒たちの割合で、安行地区の2中学の場合、塾に来ている生徒たちに占める割合を考えると、一クラスに78人くらいはいるような気がする。だから彼らの中には、自分が計算が苦手とという意識を持ち合わせない子までいる。

思うに成績を上げるにはこの部分が苦手だからとか、分からないという感情が必要だと思うのだけれど、彼らにはその部分が不足しているように思えてならない。

きっと彼らの心の中には、この地域の中学生たちがよく口にする、もっとできない子がたくさんいる。という思いがあって、ここでもそんなに真剣になるようなことではない。そんな思いが、正しい知識を手にすることを拒んでいる部分があるのかもしれない。

 

いま塾は、強い対費用効果を突き付けられている。

とくにこの地域では、どうせ塾に通っても成績が上がらない。という気持ちが保護者の中に広がってきているように思う。

多くの中学生たちが正しい計算ができなくなっている状況は、数学の成績が上がるのにかかなり時間がかかることを意味する。まして剥がそうにも剥がれない、しつこく脳にこびり付いて離れないその癖は、土曜日曜に無料で補習を続けたとしても、そこに毎回出てきてくれることすら不確定な状況がある中で、どうやって数学の成績を上げればいいのだ?と言いたくもなる。

きっと暗記まじりで行う定期試験対策という塾にとっての逃げ道はあるのだろうけれど、そのやり方が生む大きなデメリットを考えてしまう僕には補習をやり続けることしかもう道は残っていないことに気づいて、補習をやり続けることになるのだろう。

 

もうこの地域の小学校の授業は、無理に学力を身につけない、身につけようとしない形で進んできている。

でもその問題を小学校の先生方は一切口にしていないから、児童も保護者も何の不安もない形で中学校に進学することになる。

その結果として、こうした事態が起こってしまっている。

2025年4月2日水曜日

2025.3 いま公立入試の場で何が起きているのか? ④教え方・学び方

思考力や発想力を別の言い方で言い表すとすれば、それは考える力なのだと思う。

 

思考力や発想力の厄介なところは、とても大きな個人差があること。それからその能力が現状としては、北辰テストや中学の実力試験の類ではそうした問題の出題が少ないために、あまり得点の差に出てはこないこと。

さらにはこれが一番厄介だと思うのは、おそらくこの地域以外の県内の生徒たちは思考力や発想力の問題をなんの苦もなく解いているような印象がある。

だから大手の塾のようにこの地域以外の場所で教室がいくつもあるような塾では、県入試の平均点が下がっていないことからもあまり大きな問題になっていないような気がする。

でもシローズはこの地域だけで指導している塾だから、この問題をとても大きな問題として感じる日々が続いている。

 

そうした中、塾はどういう指導をするべきなのか?

時代的に、褒めて・認めて・励ましてというやり方はどうしたも必要なのだと思う。ただ子どもたちの学習姿勢にこれだけの混乱状況の中で、褒めて認めることでさらに乱れが生じてしまうような気がして、僕の中には躊躇している部分がある。

そんな迷いがある中で、問題の授業の進め方なのだけれど、答えまでの過程を講師が伝え過ぎない授業が必要だと思っている。時間がかかったとしても、自分の力で問題を解かせる指導の先に思考力と発想力を身につけさせるヒントが隠れているような気がする。

ところが、これには難しさがある。

ヒントや知識の説明を加えたとしても、一人で答えまでに辿り着くには苦痛を伴う。そしてその苦痛は、学習経験の少ない子ほど大きなものになっていく。

コロナ禍以降、とくにこの地域では子どもたちは勉強をしなくなった。年々という言葉が必要なほど、毎年毎年子どもたちの家庭で行う学習時間は少なくなってきている。ということは、子どもたちの苦痛は毎年毎年大きなものになっているのかもしれない。

 

もしも僕にもう少し要領の良さがあったとしたら、こうした周囲の環境に合わないことをせずにもっと要領の良い方法を思いつくのかもしれない。

中学の定期テスト対策に力を入れ。そのためには予想問題まで作り、定期テスト前には繰り返し問題演習をしてもらう。そうすれば内申点が上がる。内申点が上がれば、低い入試得点で合格が可能になる。

あとは思考力と発想力の影響の少ない問題、数学なんかに時間を取らせずに理科と社会、それと英語に力を入れる。そうすれば合格の可能性はかなり高まるのだろう。

でもそれは入試のテクニックであって、子どもたちの未来に不安をともす。

どうしても高校入学後の成績に影を落とす部分が出てくるし、その後の就職試験や資格試験、大学入試にも影を落とす可能性を持つ。

 

思うのである。勉強をするとはどんなことなのか?

それをこの地域の小中学校が教えることができなくなっている現状がある中で、高校受験はそれを学ぶことができる最後のチャンスになっているのではないか。

ただこうした思いが、この地域と保護者と生徒たちにどこまで伝わるのか? 僕自身も分からなくなっている部分がある。

この地域の小中学校がもう勉強を学ぶ場ではなくなっている状況を伝えなくてはならないと思うのだけれど、それがどこまで伝わるのか? 自信らしきものがなくなってきている。

 

ある人は10年前、この地域の学校授業を末期だと言った。コロナ禍を挟んで、さらにひどい状況の中にこの地域の学校授業はある。

また近くの小学校の校長を務めたある人は20年前、このまま行ったらこの地域の学校は機能しなくなると執拗に僕に言葉を投げていた。

そうした中、教育ってなんなのだろうと考えることが多くなっている。

塾とはいえ、教育の場なんだから、受験のテクニックの方ばかりに、それと生徒たちの気持ちのケアーの方ばかりに気を使い過ぎている状況がやっぱり僕には気になってきている。

そんなことで、これから彼らは強く生きていけるのかな?

どこの高校に入るのかではなくて、高校入学後に自分の希望を通すために社会と隠していけるのかな?

そんな思いがやっぱり心の中で大きくなってきている。

 

ところで気になる子たちがいる。

以前からこうした子たちはいたのだけれど、県入試に思考力と発想力が完全に入り込んでしまうと、次に書くタイプの子どもたちは非常に不利な状況にある。それを最後に書かせていただく。

 

   小学校の時に、時間を競うように計算の類似問題ばかりを繰り返し解いていた子どもたち。

   例題や類似問題を見ながら、算数の問題を解いてきた子ども。

   勉強が分からなくなると、親や塾の先生に助けを求めることで答えを出すことを習慣にしている子どもたち。

 

いまそうした子たちは、県入試の数学にまったく対応できなくなっている。

塾でも対応策を考えているが、頭の深い部分に張り付いた習慣がそれをいっさい拒絶してきているるような気がして、まったく対応策が取れない状況にある。そしてそうした子たちの全受験生に閉める割合はこの地域では高く、増加傾向にあるような気がしている。

2025年3月27日木曜日

2025.3 いま公立入試の場で何が起きているのか? ③現状

今回の投稿で、「この地域」という言葉を使わせていただいていますが、こんな風にご理解をいただきたいと思っています。

主に安行中と安行東中の状況を想像して、この言葉を使っています。

 

その2中学周辺の中学校、例えば東中であれば1割減で、戸塚2中学もやはり1割減、神根中と鳩ヶ谷に至っては2割減程度で考えていただきたいと思っています。

 

 

今日は先日の北辰テストの結果が塾に届いていて、思ったよりも良かった子もいたし、逆に思ったよりも偏差値がとれていない子もいた。

だから生徒たちの反応もさまざまで、喜んでいる子もいれば、どこか浮かないような顔をしている子もいた。

 

ただ、もう北辰テストは合否の診断をする模擬試験ではなくなったと思っています。

県入試問題に考えないと答えが出ない種類の問題、これが思考力と発想力の問題だと思うのですが、この種類の問題が5教科に渡って年々増えてきていますので、北辰テストや中学の実力試験で測れない部分の学力があるわけで、北辰テストの信頼性は年々下がってきているように思うのです。

 

でも僕は生徒の皆さんに、毎回北辰テストの受験を勧めています。

それは合否判定でなく、やる気を持続させるために必要だと思うからです。

もう公立入試は中学の定期試験では全く測れないですし、頼みの綱だった北辰テストや中学の校長会テストもなんだか存在感が小さくなってきている状況だと思います。

それだけ思考力と発想力が県入試に入ってきたことは、それに年々その割合が5教科に渡って増えてきていることは、とてもとても大きな変化だと思っています。

 

②で書かせていただいたように、この地域の中学生たちは小学生の時に思考力と発想力を鍛える学校授業をほとんど受けていません。

それが毎年の受験結果に大きく影響しているように思っています。

県入試問題が知識量を問う試験から、知識の使い方を問う試験へと年々その割合を増やしている中で、入学する高校のレベルが下降していっていることがそれを表しているように思います。

 

現状として、もう浦和西・蕨というレベルは小学生からしっかり塾に通っていた生徒でないと届かないレベルになってきているような気がする。

以前であればたとえば5、6年前であれば、中3からでも十分に間に合ったと思うのだけれど、もう浦和西・蕨というレベルはとても高い壁になった感がある。

どうなのだろう。中3生から塾に入塾した場合、合格する高校は川口が最高位、中1、または中2の早い時期からなら市立川口が最高位となってしまった感がある。

 

物の値段が大きく上がっていく中で、いまこの地域では学習塾に通う時期が次第に後になってきている。

中3からの入塾者が、その年の受験生の半分を超える年まである状況。

小学生の習い事としてはスポーツが一般化している中で、受験に対応できない中3生たちを川口東から川口に合格させることが、塾の主な指導になってきた。

それはそれで、僕には楽しい時間には違いなのたけれど、それでいいのかな?と呟きたくなっている自分がいる。

塾長は春の一見薄曇りとも見える空を見上げながら、また呟いていた。

それでいいのかな?と。