2014年11月1日土曜日

私立高校の特待制度を思う



私立高校の特待について、書かせていだだこうと思います。
皆さんがご存知だとも思うのですが、一応書かせていただきますと、特待とは私立高校の受験で、成績優秀者に入学金や授業料を減額または無料にする制度です。ほとんどの私立高校で、この特待と呼ばれる制度はあると思います。ただそれを表に出している高校とそうでない高校がある。
表に出している高校というのは、特待制度をその高校の宣伝に使っている高校だと思います。確かにこの方法はかなり有効なようで、かつてはあれ程レベルの低かった県内の某私立女子高校は、男女共学と同時にこの方法で上の下の地位を完全に手に入れたと思うし、ちょっとデラックスな新校舎を建てたもの定員割れが続いていた県境にわりと近い都内の某私立女子高校も確かにレベルを上げ、中の上ほどの地位を手に入れている。
そうかと思うと、特待制度を表に出していない高校であっても受験をしてみると、特待制度があったりもする。実はそうなのです。特待制度はどこの私立高校でもあると考えていいと思います。

なぜ私立高校に特待制度かあるかと言えば、それは生徒確保のための手段だと思います。それも出来るだけ学力の高い生徒を確保するため。なぜ学力の高い生徒を確保する必要があるかと言えば、大学受験での実績を出すため。なぜ大学受験の実績を出す必要があるかと言えば、それによって生徒が確保できると、高校側が考えているからだと思います。
つまり私立高校の特待制度は、私立高校の生徒確保のための手段だと考えるべきだと思います。

ここで私は思うわけです。私立高校の真の姿を、中学生を我が子に持つ保護者の皆さんがどこまで気づいているのかと…。
かなり前にこんなことがありました。私の娘が中学3年生になったとき、家内を塾向けの私立高校主催の説明会に随分と連れて行きました。家内は高校の説明会に行く度に、帰りの電車やクルマの中で、今日行った高校の素晴らしさを口にしていました。その度に私は心の中で思うわけです。「違うんじゃないかな…」と。

いまどこの高校の説明会でも、舞台の上でその高校の素晴らしさをアピールする教員は、その高校でいちばん人受けの良い、いちばん話のうまい教員が務めていると思います。公立高校しかり、つねに経営を考えならなければならない上に、理事長という絶対的な権限を持つトップがいる私立高校ではなおのことだと思います。理事長というトップが高校教育を第一に考えているうちはいいのかもしれませんが、どうでしょうか? なかなかそういう私立高校は少ないように思いますし、それは教職員たちの勤勉さに乱れを生じさせます。その上公立高校の校長は、評価により当然責任を問われることもありますが、私立の理事長は法律に触れるようことをしない限り、責任を問われることはないはずです。そうすると、入学する前に想像していた高校イメージと、入学してから気づいた実際の高校のイメージがかけ離れていることがあるのは当然…くらいに思うべきかもしれないという考えが浮かんできます。

そこまで考えた上で特待制度を思うとき、私はいまの私立高校特待制度に不安を感じます。そしてもしかしたら特待制度は、現代の「新聞奨学生」なのではないか?との思いにつながるわけです。
いまはどうか分からないのですが、むかし大学の周りには学生たちを住まわせる新聞配達所がありました。彼らは朝夕の食事と住居と授業料を提供され、大学生活を続けるわけです。朝はまだ暗いうちから起き、バイクや自転車で新聞を配達し、大学で授業を受け、部活やサークルの活動など一切せずに、授業が終われば今度は夕刊配りが待っている。そして彼らは夕食後も仕事をしていたように思います。つまり彼らは食事と住居と授業料を提供される変わりに、一般的な大学生たちが味わうはずの自由な時間を失わなければならなかった…と思います。
現代の奨学制度もこれに似ていると、私には思えます。確かに入学金や年2回から3回に分納すべき授業料は免除となりますから、ご家庭の負担は限りなく0に近くなります。しかしその分、負担はさまざまな形で、高校に通いはじめてからの子どもたちの生活に押し掛かることになるのではないでしょうか。一般的な高校生たちが体験する教職員や先輩から受けるであろう助言も、友人同士の会話や思い出etc.…それらすべてが犠牲になる代償として、入学金や授業料が免除されるということを保護者も受験生も覚悟する必要があると思うのです。
特待でなくても、大学受験を目指せば、日々学習に追い立てられることになるとお考えの方もいると思います。でもそれは自分が決めたペースで、自分のためにする勉強です。ところが特待になると、自分のための勉強ではなくて、その私立高校のための大学受験になってしまうような気がします。
自分の学力レベルの高校ではない、それよりも低い高校を受験して、入学しなければ特待は絶対に出ない。ということは、自分に合う環境とは違う…はるかに成績で下の環境を選ぶ見返りとして、授業料等の援助が出されているということを忘れてはならないと思います。最近気になるのは、こうした私立高校の特待制度を利用しようとする安行地区・新郷地区の保護者たちが目立って増えてきていること。一部にはそれをブランドのように解釈している方まで出てきているのではないでしょうか。

私は思うのです。特待を決して安易に考えるべきではないと…。
100人の受験生がいれば、100人の受験生の事情があり、100軒の家庭の事情がきっとあると思います。だから決して特待制度を使って、高校に入学する生徒を批判したいわけではないです。でも特待を安易に考えるには、あまりにも代償の大きな選択のように私には思います。

補足ですが、埼玉県では県内の私立高校にお子さんを通わせているご家庭に補助金が支払われています。上限はありますが、家庭収入によって年間20数万から30数万の補助金が出されている模様です。

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