2014年11月9日日曜日

ある朝、塾長が考えたこと…



昔の話です。ふと…思い出したことがあって、そのことを書かせていただきます。

今年50歳になった僕が20代の終わり頃から30代の初めまで、5年か6年くらいの期間だったのですが、かなり必死にそろばんを教えていた時期がありました。
生徒を連れて毎年県の競技会にも行っていましたし、かなり暗算が強い生徒が何人かいました。
その頃、ベテランのそろばんの先生達からよく言われていたことがありました。
例えば5級の練習をしている生徒が、塾内の試験で各教科70点以上で合格なのに見取り算だけ1題間違えて60点になってしまった。当然不合格なのですが、こうしたときに先生達は悩むのです。合格させてしまえば、そろばんが嫌になりかけている生徒はうれしくて…またやる気を出して次の4級に取り組んでくれるかもしれない。それに保護者が喜ぶ姿も浮かんでくる。
ベテランの先生達は、そんなときも絶対に合格させてはならないと言うのです。合格させてしまえばそのときは喜んでもらったとしても、次の級かその次の級あたりで必ず止まってしまう。長い期間同じ級をやることになり、結局そろばんの級を諦めることになってしまう。母によると、亡くなった父もよく同じことを言っていたそうです。

実はこの話にはもう少し続きがあって、当時志木でもう40年そろばん塾を続けているある先生から聞いた話なのですが、そろばん塾がとても流行っていた頃、級を持っている方たちがいろんなところでそろばん塾を始めた時期があったそうです。
新たにそろばん塾の先生となった方たちの中には、わりとたやすく級を合格させる方が多くいたようです。たぶんどんどん級があがるものだから、その先生の言葉を借りれば、「はじめはいいのだけれど、やがて塾を続けられなくなる…」。
たぶん多くのそろばん塾ができて…、その中のほとんどのそろばん塾が消えていったということだと思います。

話は変わり、もうすぐ各中学校で期末テストが行われます。
そこで思うのが生徒である中学生たちと、その保護者の皆さんが必死になる状況です。まるでその結果で入れる高校が決まってしまうような様相には、気持ちは分かるのですが…ちょっとというか、かなり首を傾げたくなる自分がいます。
そもそもいまの県内公立入試は、ほぼ入試の得点で決まっています。ただ高校のレベルによって必要な内申点がある。それを上回った場合には若干入試得点が低くても合格するし、下回った場合には受験雑誌に載っている平均偏差値よりも高い入試得点が必要となる。
資格はどうかと言えば、たぶん内申点の補助的な意味合いでしかないというのが一般的な状況だと思います。
一般的な状況というのは、川口市内の某高校のように一つの資格さえ持っていれば合格となる高校もあるようです。この辺が多くの方に誤解を生んでいる原因なのではないでしょうか。ただおそらくこの高校は500点満点の公立入試でおそらく50点あれば合格できるはずですから、資格を取るよりも1教科10点ずつの点数を取る方が簡単なのではないか…との思いもしてきます。

ですから県内公立入試において、内申点のウェートというのはそれほど高くはないというのが実情なのではないでしょうか。高くはないというよりも、あくまで入試で何点取れるかという大前提があって、それをサイドからサポートしているのが内申点ではないか…との考えもできると思います。そしてもしも県内の公立入試の合否だけを考えるならば、定期テストの勉強の比重を減らして偏差値を上げる勉強を重視した方が得策なのではないか…との考えを持つのは、たぶん私だけではないと思います。
でもなぜか中学生たちも、そしてその保護者の皆さんたちも、成績という指標をなぜか中学の定期テストの方ばかりに向けがちである。そしてそうした状況を助長するかのように、そしてニーズという経済原則を死守するかのように、いま多くの塾では定期テストの順位を上げる指導が主流になってきている。たぶん多くの塾によって研究がなされ、その結果がシステム化されているのではないかと思えるほどです。
「中間テストの英語で92点取った生徒の北辰偏差値が45だった…」とは、元大手塾の講師で現シローズ講師の声でした。

この状況は、前述のそろばん塾が合格点に満たない生徒を進級させる状況に似ているように私には思います。言葉は悪いですが、明らかに大切な生徒たちに下駄を履かせている。本来定期テストの順位と偏差値はともに上昇しともに下降するものなのに、塾の指導が高校受験にも高校入学後にも役立たない指標を生徒たちに取らせることに終始させてしまっている。この状況は、前述の「はじめはいいのだけれど、やがて続けられなくなる…」ものだと思うのです。
学習塾が続けられなくなり塾を閉めるということは、その代表者とスタッフにしか被害を及ぼさない問題だと思います。でも続けられない…ということは、結局は社会に役立っていないということにつながるのではないでしょうか。塾を続けている自分にプライドなんて少しもありませんが、やはり「先生」と呼ばれる仕事ですから、責任を果たすということを決して忘れてはならないと思います。

そして下駄を履かせてもらえない状況で、日々勉強を続けているシローズの生徒たちは他の塾に通う生徒たちよりも随分と苦労をしているように思います。なぜなら定期テストで高得点を取るためには、彼らは偏差値という…本物の学力に近い力を持つ必要があるからです。
でもその苦労が高校入学後に役立つ本物の力となり、社会に出たときに花開くことを祈るというのは、「先生」と呼ばれる仕事をするものたちにとって、極めて必要な資質のように私には思います。

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